J論 by タグマ!

心理的なワナのあったUAE戦。僕はアギーレ監督の用兵に「ノー」と言いたい

ベテランジャーナリスト・後藤健生は、試合前の心理面に注目。アギーレ監督の手腕を検証する。

2015年1月23日、日本代表のアジアカップは終幕を迎えた。早々に先制点を奪われ、一方的に攻め込んで同点としたものの、勝ち越しはならず。1-1からのPK戦の末、アギーレ・ジャパンの挑戦は早すぎるエンディングとなってしまった。果たしてこの敗戦から読み取るべきこととは何か。ベテランジャーナリスト・後藤健生は、試合前の心理面に注目。アギーレ監督の手腕を検証する。

▼まるでギリシャ戦のようだった
 UAE戦はアジアサッカー連盟の公式記録によれば、日本のシュートが35本、UAEのシュートが3本という、内容的には圧倒的に日本が優勢の試合だった。

 そして、大会を通じて見ても、実力的には日本とオーストラリアの力が圧倒的。パスの精度、パススピード、アイディアの多彩さ……。世界に通用しそうなサッカーをしていたのは、この2カ国だけだった。

 オーストラリアが韓国に敗れてグループリーグで2位となって以来、地元のテレビ局は「準決勝で日本と当たることになってしまった」と報じ続けていた。「事実上の決勝戦」。誰もが楽しみにしていた顔合わせだった。そして、選手たちもそう考えていたことだろう。

 D組で戦っていた日本は、決勝トーナメントに入ると休養日が相手より1日少ない状況での戦いが続く。特に準々決勝は「日本が中2日、相手が中3日」という状況だった。疲労は回復できていない。そして、選手たちが次の試合のことを考えながら試合に入ってしまった。それが伏線だった。

 立ち上がり、攻撃面ではあまりに軽いプレーが多く、簡単にボールを奪われてしまう。そして、守備も軽率過ぎた。開始3分に酒井高徳が攻め上がったところでボールを奪われ、アリ・マブフートに抜け出されてしまう。アリは、これまでのUAEの試合を見ても、ディフェンスラインの裏に抜け出すのがうまい、当然、警戒すべき選手の一人だった。

 そして、そのわずかに4分後、オフサイドトラップをかけそこねて、再び同じ選手をフリーにしてしまい、まさかの失点。

 その後はチャンスの山を築いたものの、柴崎の1点のみに終わって、勝負はアギーレ監督が「くじ引きのようなもの」と形容したPK戦に持ち越された。

 終わってみれば、攻めても、攻めても点が入らない。まるで、ブラジルW杯でのギリシャ戦を思い出すようなもどかしい試合だった。

▼試合前から指揮官は何をしていたのか?
 そのW杯の後、日本代表監督に就任したハビエル・アギーレ。

 予選敗退の危機にあった母国の代表を救ったり、スペインでは残留争い中のクラブを立て直したり……。そんな経歴から、僕は「ギリシャ戦のような状況で、何か有効な手を打ってくれる」。そういう指導者なのかと期待していた。

 では、UAE戦で、アギーレ監督は何をしたのだろうか?

 まず、中2日で疲労があり、気持ちが入り切れていなかった選手たちに集中を促すための働きかけは十分だったのだろうか?

 モチベーターとしての監督の力量の面である。ロッカールームでどういうやり取りをしたのかはもちろん分からないが、結果的に、選手たちを集中させてピッチに送り出せたとは言えない。

 1点リードされた後半、開始から20分間の間にアギーレ監督は武藤、柴崎、豊田の順に交代選手を送り込んだ。

 武藤と柴崎が入って、たしかに全体に動きが出てきた。特に柴崎の正確なロングレンジのパスは有効で、柴崎がピッチに入って数分もすると、周囲の選手も迷いなく柴崎にボールを集めるようになった。

 だが、最後の時間帯に攻撃力を強化できなかったのはどうしてなのか?

 イランとイラクの壮絶な打ち合いとなった延長戦と比べて、日本の延長での戦いぶりはあまりにも淡々としたものだった。「くじ引きのような」PK戦突入を阻止するためには、もっとリスクを背負ってでも攻めに出るべきだったろう。もちろん、長友の故障という不運はあったのだが……。

 こうした、残り時間が少なくなった時間帯にシステム変更などで攻撃アップのための手をアギーレ監督は打つことができなかった。そう考えると、後半の20分までに3枚目のカードを切ってしまう決断は正しかったのか? もう1枚、交代カードを残しておきたかった。

 もちろん、点が入らなかったのは選手のシュート技術の問題であり、また運の部分でもあって、監督の責任ではない。だが、「アギーレ監督は攻撃力を最大限に上げるための最善の采配をしたのか」と問われれば、僕の答えは「ノー」である。

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続けており、74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授。