『町田vs名古屋』で家本政明主審が退場者を間違えてしまった理由。そしてバッシングに覚える違和感【石井紘人の審判批評】
判定の中身を論じず、過去のイメージからバッシングを行うのはスポーツではない。
8月16日に行われたJ2第28節『FC町田ゼルビアvs名古屋グランパス』での家本政明主審の判定に対し、『ゲキサカ』紙は以下に報じている。
「僕はやっていない」退場者誤認は明らか…家本主審の”大誤審”町田は口頭意見(ゲキサカ)
「慌てた町田のDF深津康太が青木の突破をスライディングで止めてしまう。決定機阻止…のように見えた。家本政明主審は副審に確認してから、当然のようにレッドカードを出した。しかしその対象者は、やや距離のある位置にいたMF平戸太貴へのものだった。「僕はやっていない」。平戸の主張は通らない。深津も「あいつじゃない」と説明したが、判定が覆ることはなかった」
では、実際はどうだったのだろうか?審判批評したい(参考記事:2017シーズン家本主審批評)。
まず、映像を見れば一目瞭然だが、家本主審は深津選手の得点の機会阻止が見極められるポジションにいる。そして、笛を吹き、深津選手にレッドカードを掲出しようとする。
何も問題がない判定で、選手目線となることが多いテレビ解説も判定を支持していた。そしてここで副審から家本主審にインカムが入ったようだ。
「18番です」
家本主審は選手とコミュニケーションをとるが、上手くいかず。再度、副審に確認する。
「18番です」
判定はあっていたものの、誤った選手にカードを出してしまった。
「主審は最終決定者」であるため、家本主審が批判されるのは当然だ。私も批判している(参考記事:なぜ100%のミスをおかした?どうすれば防げるか?)。
だが「家本のミスを待っていました」とばかりに、判定の中身を論じず、過去のイメージからバッシングを行うのはスポーツではない。
ミスに対して、我々はカイゼンを要求すべき。今回でいえば、副審のレベルアップで、それは先日の報道(参考記事:【「疑惑の判定」村上伸次主審に「またやられた」? 「明らかにPK」柏×鳥栖戦で「誤審」指摘】という記事)にも繋がる。
批判の後に、オルタナティブ(代わりの提案)がなければ、それは批評とも議論とも呼べないと著名なジャーナリストは指摘する。
いまや、誰でもSNSで意見を普及させることができ、ある意味個々がメディア(情報媒体)の役割を手にしている。そこでの何気ない批判は、日本サッカーを後退させる危険性を伴っている。
と自戒しつつ、審判界を厳しく監視していきたい(参考記事:読者の意見を審判側に届ける)。