“敵”から得られる経験値。ここはあえて”アギーレ・ジャパン”と呼びたい
宇都宮徹壱がアギーレ監督の現状を憂いつつ、過去大会の経験を踏まえた今大会の意義と価値を語る。
ピッチでの結果が今まで以上に必要になったアギーレ・ジャパン (c)宇都宮 徹壱
▼代表と人権を天秤にかける
正直、「アギーレ・ジャパン」という表現は好きではない。理由は簡単で、実際にピッチ上で戦うのは、監督ではなく選手であるからだ。ゆえに自分の原稿でも「●●●ジャパン」という表現は、これまで極力控えてきた。
しかしながら、今大会のアジアカップを放映するテレビ朝日のポスターにハビエル・アギーレの姿がなかったことについては、いささかの違和感を禁じ得なかった。本来的には、こうした番宣に指揮官のヴィジュアルは不可欠。にもかかわらず、今回のポスターからアギーレが外されたのは、テレ朝の「危機管理」と見て間違いないだろう。
結果として、この「危機管理」はとりあえず杞憂に終わったわけだが、ここに至るまでにはいろいろなことがあった。昨年12月18日には原博実JFA専務理事が、さらに27日にはアギーレ自身が多くのメディアの前で会見を行い、そのつどニュースになっている。ただし、八百長疑惑に関する新しい事実は何一つ明らかになることはなく、むしろアギーレの人権を度外視するような質問を繰り返すメディアに対する批判がネット上であふれていた。
かくして、「スペイン当局vs.アギーレ」というよりも、むしろ「日本メディアvs.アギーレ」という構図が明確になったところで、われわれは今回のアジアカップを迎えることとなった。この構図は、かつてのフィリップ・トルシエの時代を想起させるが、あの時は当人のメディアに対する態度にも問題があり、ある意味「身から出た錆」と言えなくもなかった。それに対してアギーレは、記者からの質問に時おり「いい質問をありがとう」と返すなど、メディアとのより良い関係を築こうとする気遣いが感じられた。それだけに今回の疑惑発覚は、誰にとっても不幸な出来事であったと言わざるを得ない。
今回の件は、ナショナルチームの強化と人権問題を天秤にかけるという、実にやっかいな問題をはらんでいる。かくいう私は、できることなら今後もアギーレには日本代表を引き続き率いてほしいし、そもそも起訴もされていない段階での解任は道理にも道義にも反すると考えている。しかし反面、技術委員会は水面下で次善の策を進めるべきだし、今後アギーレが起訴された場合は、強化スケジュールや各方面への悪影響を鑑みて解任、という選択肢も残しておくべきだとも思っている。
幸い、今月中の告発の受理および起訴はない、というのが大方の見方だ。であるならば、少なくとも今大会における「アギーレ・ジャパン」(とあえて表現する)に心からの声援を送ることについては、推定無罪の観点からも何ら問題はないはずだ。それは市井のサッカーファンのみならず、メディアについても同様である。4年前のスペインでの疑惑とオーストラリアでのアジアの盟主を懸けた戦いとは、きちんと切り分けて論じなければならない。その点については、自戒を込めてここに明記しておく。
▼目標は、一つだけ
その上で、今大会の日本の目標設定は、「優勝」と定めたい。それはアギーレ自身もかねがね言及してきたことではあるけれど、今回の一連の騒動について最も理想的な落とし所もまた、日本のアジアカップ連覇であると考えるからだ。アギーレにしてみれば、あらゆる批判に対して「ピッチで結果を出した」と堂々と主張できるし、日本代表にしてみれば2年後のコンフェデレーションズカップに出場する意義は大きい。また仮に「アギーレ解任」となった場合、後任監督のハードルが極端に下がることもないはずだ(アジアを制覇した監督を切って、世界的に無名の指導者を連れてくるようでは世論も納得しないだろう)。
逆にアジアカップで優勝できなかったら、おそらく怒りの矛先は指揮官と協会に向かうことになり、アギーレがあっさり解任となる可能性は高くなると思う。アンチ・アギーレの中には、そうした展開を密かに望んでいる人も一定数存在していることだろう。もちろん、いろいろな意見や考えはあってしかるべきだとは思う。が、少なくともいちサッカーファンとして考えるなら、気に入らない監督をクビにしたいがために日本代表の敗戦を期待するという、屈折した感情とは無縁でありたいものである。
最後に、日本代表にとってのアジアカップについて、個人的に思うところを言及しておきたい。決勝を除いて日本の圧勝に終わった2000年のレバノン大会以降、われらが代表はアジアカップでたびたび苦戦を強いられている。それはアジア各国が軒並み力を付けてきたことに加えて、それぞれの大会では必ずといってよいほどピッチ外での困難が日本の前に立ちはだかったからだ。
04年の中国大会では反日的な大ブーイング、07年の東南アジア4カ国大会では猛烈な暑さと湿気、そして11年のカタール大会では1月開催による調整不足に苦しめられた。今回のオーストラリア大会は、そうした不安要素が回避されると思っていたら、あに図らんやの八百長疑惑である。今回の”敵”は外部からのものではなく、疑心暗鬼という内側から脅かすものだけに、非常に難しいチームマネジメントが求められよう。そうした状況下にあってなお、アジアカップ連覇を達成したならば、その経験は日本代表にとって大きな財産となるはずだ。たとえ「アギーレ・ジャパン」が終わってしまっても、である。
宇都宮 徹壱
写真家・ノンフィクションライター。1966年生まれ。東京出身。 東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、1997年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」 をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)は第20回ミ ズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。2010年より有料メールマガジン『徹マガ』を配信中。http://tetsumaga.com/