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あのとき選手は監督にキレていた…李忠成が語る伝説ボレーの舞台裏【サッカー、ときどきごはん】

日本代表はカタールの地と不思議な縁がある
1993年の「ドーハの悲劇」ではあと一歩で夢が絶たれた
その悲しい記憶を塗り替えてくれたのは
2011年カタールアジアカップだった

そして2022年カタールワールドカップでの躍進
しかし2011年アジアカップでの最後の瞬間は
2024年のいまもなお色褪せない
李忠成にあのときまでのドラマとオススメの店を聞いた

 

■あの瞬間は時が止まっていた

2015年オーストラリア大会は準々決勝でUAEにPK戦で負けて、2019年UAE大会は決勝でカタールに敗れたので、2011年カタール大会以来優勝がないことになりますね。ホントは今回、優勝してほしくないですけどね(笑)。ウソですけど。

2011年カタールワールドカップは本当にいろいろあったので、どの試合も思い出せるんですよ。

初戦はヨルダン戦ですね。

 

1月10日、日本(FIFAランク2010年12月/以下同 29位)はヨルダン(104位)とアジアカップ初戦を戦った。アルベルト・ザッケローニ監督は就任以降、ホームでアルゼンチンに勝利を収めるなど好調な滑り出しを見せており、2004年以来の優勝という期待が高まっていた。

ところが日本代表は格下のヨルダン相手に攻めあぐね、前半終了間際にはハサンのシュートが吉田麻也に当たってゴールに飛び込むという不幸な失点をしてしまう。後半も日本は攻め込むがヨルダンは10人が引いた堅い守りで日本の得点を阻んだ。だが後半アディショナルタイム、CKのショートコーナーから吉田がヘディングで合わせて辛くも同点に。なお、李忠成は後半から出場した。

 

僕はベンチスタートだったんで前半はピッチの外から試合を見ていたんですけど、やっぱり初戦は難しいと思ってました。2022年カタールワールドカップで優勝したアルゼンチンだって初戦はサウジアラビアに負けてるし。

大会の初戦、しかもグループステージの初戦は、勝てばほぼ70パーセントぐらいグループ突破できるんですけど、本命のチームが負けたり引き分けというのはよくある話で、まさにそんな感じでした。

ヨルダン戦は、自分たちが難しい試合にしてしまったと思います。失点が先行してしまって焦りに焦って、どうにかしなきゃいけないっていう試合展開で、そんなとき僕に後半頭から出番が回ってきました。

僕自身も「45分もあるんだったら、これはいけるぞ」って感じだったんです。ただ試合展開的にすごく難しかったですね。煮え切らない攻め方をずっとして終わってしまったって感じです。最後、パワープレーで同点に追いつくことができましたけど、終わった後のロッカールームは「切り替えよう」しかなかったですよね。

試合が終わったときの僕は、「申し訳ない」という気持ちでいっぱいでしたね。チームメイトに申し訳ない、ザッケローニ監督に申し訳ない、日本代表に申し訳ない。45分間も時間をもらっておきながら、決定的チャンスは1回ありましたけど、シュート0本。チームを勝利に導くこともできない。もう悔しいとかじゃなくて、情けないと。「代表生活はこれで終わった」と思ってました。

そんな状態で迎えた次のシリア戦がまた難しい試合になって。

 

1月13日、中2日で迎えたシリア(107位)戦は前半から日本が試合を支配した。35分には波状攻撃から最後は長谷部誠が決め、先制点を挙げる。その後も日本は攻め続けるが72分、いきなり戦況が変わった。

長谷部のバックパスが弱く、シリアの選手に詰められた川島永嗣もクリアしきれず、ボールは再びゴール前のシリアFWヘ。これを川島がペナルティエリア内で倒してシリアにPKが与えられ、川島は退場となった。

このPKを決められて1-1。またしても引き分けかと思われたが81分、遠藤保仁のロングフィードに粘った岡崎慎司がペナルティエリア内で倒されて日本にもPKが与えられる。これを本田圭佑が真ん中に蹴り込んで日本はかろうじて勝利を収めた。なお、この試合では川島の退場に伴い前田遼一に代わって西川周作が投入されており、李には出番が来なかった。

 

いやもう絶体絶命でしたよ。永嗣さんが退場した瞬間に、「うわ、もうほんと終わった」という感じでした。だけど、いつ出番が来てもいいような準備はしてました。自分が入った時に、どんな仕事をしなきゃいけないのかということばかり考えてるんで。ここでなんとか勝ち切ったのが大きいですよね。引き分けだったら、もうほんとにグループリーグ突破できませんでしたから。

 

1月17日、中3日で迎えたサウジアラビア(80位)戦は、これまでとは別の意味で予想外の展開となった。8分に岡崎慎司が先制点を挙げると、13分にも再び岡崎、19分と51分に前田、80分には岡崎がハットトリックを決めて5-0と圧勝したのだ。2位のヨルダンとは勝点で並んだが、この大量得点が物を言って日本はグループリーグを首位で通過することが決定した。なお、李には出番がなかった。

 

これは「中東あるある」ですよね。2点差、3点差がついたら精神的に切れてしまう。この試合展開を持っていければ日本は強いんですよ。ただ1点差だったり、0-0のまま試合が長引いていくと、相手のペースになってしまうんです。

特に相手は先行すると意味のないところで痛がったり時間稼ぎをやってくるし、僕たちもその時間稼ぎに焦ってしまうんで。今回のアジアカップも、アジア相手という戦い方をしっかり自分たちが認識してやらなきゃ、とても難しい戦いになりますよ。

初戦が終わった時点で「自分の出来はよくなかった」と思ってたんで、点差がついたんだから出場させてくれと気持ちはありました。でも出番はなかったですね。

だけど腐ってはいなかったんですよ。確かに当時、メディアの人たちを避けるようにしてバスに戻ってましたけど、腐ってはないにしてもメディアの人に話すこともないじゃないですか。ニコニコしながら話せないし。

もちろん腐ってなくてもイラつきはあるし、その気持ちを悟られたくもないし。やっぱり選手は、弱みじゃないけど、そういった姿を見せたくないですよね。プライド的に。

 

1月22日、グループリーグを首位で通過した日本は中4日で開催国のカタール(112位)と対戦した。これまでよりもFIFAランクの劣る相手だったが、この試合でもハプニングに見舞われる。

開始早々からのカタールの猛攻を受け、13分にはオフサイドトラップの乱れから突破されて先制点を許してしまった。それでも29分、香川真司がゴール前の上がったボールを押し込んで同点に追いつき、日本がリズムを取り戻したかに見えた。

ところが63分、この日2枚目の警告で吉田が退場になると、そのFKから再びリードされる。それでも71分、香川がゴール前で抜け出して同点に。さらに90分、長谷部のロングフィードに抜け出した香川がGKまでかわしたものの倒される。そこにサイドバックの伊野波雅彦が詰めてついに勝ち越し、3-2で激闘を締めくくった。

 

この試合は麻也も退場になったし、カタールには1人FWですごい選手、帰化してカタール人になったセバスチャン・キンタナがいて、なかなか強かったですね。ただ、日本は結構盤石な戦い方をしたと思いますよ。麻也は退場になったけど浮き足立つところはなかったと思いますし、真司が2点取ってくれてギリギリのところで勝ちましたけどね。

最後に伊野波が決めて、あそこからですよね。「日替わりヒーロー」が生まれるようになって。準決勝は細貝萌だったし、決勝は僕だったし。途中から出場する、いつも試合に出てない選手が決勝点を取る。それにはチーム力の厚さだったり、チームの団結力が現れてましたよ。それが伊野波のあのゴールですべて表現されてました。でも伊野波、いじられまくってました。「なんでお前いるの?」って。

伊野波は最初の失点のところでオフサイドトラップかけそこなったのを気にして、挽回しようとして上がったという話は聞いたんですけど、あいついなかったら入ってないですからね。DFが出て行ったら守備が空くリスクはあるにしても、「たら・れば」だし、結果出ししましたからね。

 

1月25日、準決勝の相手は優勝本命候補の一つ、韓国(40位)。お互いにGKを脅かしながら迎えた23分、ペナルティエリア内の競り合いで今野泰幸が相手を押したとしてPKが与えられ韓国が先制する。だが36分、長友佑都がオーバーラップからペナルティエリアに深く侵入し、折り返しを前田が決めて同点に。

結局90分では決着が付かず、試合は延長戦となる。すると97分、岡崎が走り込んだところで体をぶつけられ、これがPKとなった。本田はまたしても真ん中に蹴るもののGKに防がれる。だがそこに走り込んできた細貝萌が蹴り込んでついに日本が先行した。しかし120分、ゴール前の混戦から韓国が同点に追いついて、死闘はついにPK戦へともつれ込む。PK戦は川島が大活躍。2本を止め、最後は3-0で日本が勝ち残りを決めた。

 

本命同士の戦いですよね。韓国にもいい選手がいっぱいいたんですよ。パク・チソン、チョン・ソンリョン、チャ・ドゥリ、ク・ジャチョル、とか、めちゃくちゃいいメンバー。

この試合、実は残り5分で出そうだったんです。ピッチサイドまで行って交代用のプラカードも用意してたんですけど、誰かが足をつったか何かで交代で出る選手が変わっちゃいました。だけど、そこで僕を出そうとしてくれたことで「使ってくれるんだ。全く無視じゃないんだ」ってモチベーションが高まりましたね。

実際、ザッケローニ監督は練習中から声をかけてくれてたんです。「忠成、諦めるな。いつも見てるから」って。それに不思議なことに、どんどん調子が上がっていってたんですよ。

練習でミニゲームをやってるとすごい動きがよかったしシュートも入るし。「あ、なんかわかんないけど、調子上がってるな」みたいな。「使ってくれりゃいいのにな」みたいに思ってましたね。

最初のころはコンビネーションがまだまだだったし。僕はドリブルで1人で持っていくというよりもオフザボールの動きの選手じゃないですか。なので最初はパスの出し手と僕の動きがまだマッチしてなかったというのもあったと思います。たとえば圭佑がボールを持ったときに動き出すんだけど、圭佑はボールを持てるからそこで1拍あるので、僕がもっと合わせなければいけなかったりしてました。それに初招集っていう重みを感じすぎてたのは間違いないかな。気負いしてた部分があって。

この試合にはPK戦で勝ったんですけど、当時はやっぱりみんなの視座が高かったですよね。ワールドカップで優勝するためにどうすればいいのかしか考えてなかった。

だから、1試合に勝ったからって「これは通過点でしょう」みたいな感じでしかみんな捉えてなかったですよ。「韓国には勝って当たり前だろう。オレたちはワールドカップで優勝するメンバーなんだから」という感じでしたね。圭佑、佑都とかみんな。

2010年南アフリカワールドカップを経験した選手たちは、次のワールドカップで絶対優勝するんだって。多分次のワールドカップが自分たちのベスト、年齢的にもそうなるというのは内田篤人や麻也とかみんな思っていたので、そんな雰囲気でした。

 

1月29日、激戦を制して何とかたどり着いた決勝だったが、日本は手痛い代償も払うことになった。韓国戦で香川が負傷し、決勝戦への出場が不可能になったのだ。相手のオーストラリア(26位)はFIFAランクでアジアのトップに立っているだけではなく、準決勝でウズベキスタンを6-0で下すなど圧倒的な力を見せていた。

試合は立ち上がりからお互いが攻め合い、守備が粘ってはね返すという好試合に。ともに決定機をつくりながら決められず、息を飲む戦いはついに0-0のまま延長戦へと突入する。そんな緊迫した試合の中、98分に李がピッチに投入された。開幕戦以来出番のなかった選手がはたしてこの局面を変えることができるか——。

 

やっぱりオーストラリアは高くて堅くて、拮抗した試合になりましたね。ギリギリのところまで行くけどゴールが奪えない。ベンチで見てた僕は「0-0で、最悪は0-1で出番が来い」と思ってました。「残り15分、あるいは10分あれば1点取って試合を決めてやる」という気持ちです。

そして後半終わりまでずっと0-0だったので、もうウキウキ、ワクワクですよ。「マジありがとう。オレのために」って。ちょっとでもネガティブなマインドになったら、その1ミリの隙間から全部食われちゃうんで、嘘でもいいからそう思うんです。

「本当にお前はバカだ」と言われてもいいぐらい自分自身を洗脳して、「オレはヒーローになるんだ」と思えるぐらいじゃなきゃ。別にそう思ったからってサッカーでは人に迷惑かけることじゃないし。それぐらいのメンタルじゃなきゃいけないんですよ、間違いなく。

90分が終わって、「よかった」と思いました。残り30分あるんで、多分10分ぐらいで交代するんだろうと思ってたんです。延長に入る時点で交代するより、途中で出たほうが流れが変わるじゃないですか。仕切り直しの頭から出るとその選手が出たから流れが変わったかどうかよく分からないけど、時間が1回ストップして選手交代するのは結構流れ変わるんですよ。

「延長前半10分ぐらいで出るだろう」と思ってたら8分で交代になりました。そうしたらプレーできるのが22分間もあるんですよ。出場時間は1分でも多い方がFWはチャンスを掴みやすいし。その1分を勝ち取るために、Jリーグで活躍してるんだし。誰もが選ばれたい日本代表のワントップという1つしかないポジションに就きたくやってるわけだし。そしてまた点を取らなきゃいけない責任もあるし。

僕は幼い頃からずっと、日本で一番サッカーが上手くて点を取れる選手が日本代表のワントップになるべきだって思っていたので、自分がそこの位置に立ったときに、「オレが日本で一番のFWなんだから、オレが決めなきゃどうすんだ。オレのゴールで日本代表を勝利に導かなきゃどうすんだよ。オレがヒーローになるんだ」という気持ちでした。

実は入るときにザッケローニ監督は3バックにしようとしたんですよ。3-6-1の形かな。でも練習でも全然やってない形だったんで、みんなキレちゃって。ウッチー(内田篤人)とかヤット(遠藤保仁)さんとか「はぁ?」とか言ってて、今ちゃん(今野泰幸)が「ない! ない!」って一番切れてて。

それで監督はやり方を変えて、4バックのままにしたんですけど佑都を中盤に上げたんです。フォーメーションを変えようとしたのも佑都を前に出してクロスを上げさせたいということだったと思うんです。

僕はポストプレーというよりも、中に入ってきたボールをダイレクトで決めるワンタッチゴールが得意なんで、監督は僕仕様の形をしたんじゃないかと思います。そして点を取りに行くという意思を見せたかったんでしょうね。

109分、ヤットさんから今ちゃんにボールが入って、今ちゃんからヤットさんに戻すと、ヤットさんから佑都にパスが行って、佑都が突破してクロスを上げてきたんです。

それまでに僕は入ったときから布石をずっと打ってました。ウッチーと佑都に「クロスを上げてあげてくれ。そうしたらニアに入るから。僕が点を取るかもしれないし、僕が潰れた後ろの選手が点を取るかもしれないから、とにかくクロスを上げてくれ」って言ってたんです。それでずっとニアに入ってたんですけど、109分にクロスが上がったときはニアに行かなかったんです。

試合も終盤だったし、相手も味方もみんな疲れてたんですよ。佑都も疲れてたから、「これは多分1番自分の得意なクロスを上げてくるだろう」と。佑都は右利きなのに左足のクロスじゃないですか。そういうときの蹴り方って、自分の体の外に流しながらボールを横からこすって、ふんわりとしたボールを蹴るんです。

もし佑都が左利きだったら、ニアサイドにスパンって速いボールを上げることもできると思うんですけど、あのときは「きっと佑都は自分の一番得意なクロスを上げて来る」と思いました。そしてそのクロスを上げるとき、佑都は落とす場所まで決めてるんです。

そのときだけニアサイドに行くフリしてあえて押し合いをして、僕がそれまでと同じニアサイドに入ると相手に思わせておいて、佑都が落としてくるところに自分のスペースを確保した感じですね。

佑都のボールって、本当の横回転で飛んでくるんですよ。斜めの回転がかかってなくて、ものすごく横に回ってて。それで「時計回りのときは、どうボールを切って蹴ればいいか」「ボールの回転数はどうか」「どうやれば吹かさないでしっかりミートできるか」みないなのもイメージしながら、落下地点に入って体をひねって、バンって打ったんです。冷静だったから力が抜けたのがよかったんでしょうね。

今思えば、フリーだったんで「なんでトラップしないの?」とも思いますけど、あのときはトラップって1ミリも考えてなかったですね。時が止まったのがあの瞬間で、ボールの縫い目が見えるぐらい、写真で撮ったかのようにボールが止まって見えました。これまでで一番気持ちのいいゴールだったかもしれないですね。

それに観客には1万人、3万人、6万人の壁があって、観客が1万人だと「いっぱいいる」みたいな楽しい感じなんですけど、3万人のサポーター入ると、もう見てる人もやってる人たちも声援1つだけで感動するんですよ。ただ6万人になると、感動を超えて大気が揺れるんです。ビリビリビリって。

スタジアムの中心で、その大気の震えを感じるのはめちゃめちゃうれしいんです。選手も楽しいし、感動もするんです。ましてや満員のカリファインターナショナルスタジアムで、アジアカップの決勝で、日本コールが起きなくてもスタジアム全体が歓声を上げてるんです。

そしてボレーを打つ瞬間にかたずを飲んで静かになるんですよ。ザワザワという大気の震えが消えてみんなの目が僕に集中するんです。僕もボールを打つ瞬間に、「あ、静かだな」みたいな、よく漫画である水がぽちゃんと落ちるような感じで。そしてボーンと爆発するんですね。あれはめちゃくちゃ気持ちよかったです

ただ、こう言うと綺麗にまとめてるように聞こえるかもしれないですけど、たまたま僕がゴールを取っただけなんです。守るべき選手がちゃんと守って、運ぶべき選手が運んでくれて、で、フィニッシュで取るべき選手が決めたというだけなんですよ。すべての選手があの120分間、自分の役割を全うした結果、ああやって優勝したのだと思います。

 

 

■まだ現役を続けようと思ったらできたけど…

帰化したときに思っていたのは……僕の下の世代はいろんなキャラクターが出てきていいと思うんですけど、やっぱり僕は朝鮮人、韓国人、朝鮮半島にルーツを持つ人のほぼ代名詞になるわけじゃないですか。だから言葉の使い方とか、所作とか立ち振る舞いとか、服装とかにも気を付けました。

 

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