J論 by タグマ!

23人中13人。ザックジャパンはJ2が育てた

有望株の踏み台としてJ2には優位性があるし、そのアドバンテージはおそらくさらに開いていく。

毎回一つ、日本サッカーに関するお題を決めて複数の著者が論じ合う、それが『J論』。記念すべき第一回目のテーマは「日本代表 23+7に言いたいことがある」。5月12・13日に発表されたW杯日本代表メンバー23名+同予備登録7名。この人選から読み取れることは何なのか。今回は博識の球技ライター・大島和人が、実に23人中13人に及ぶ「J2経験」について論じてみた。


▼2部リーグ経由ブラジル行き
“伸び悩み”と”期待外れ”は同じようでまるで違う。

 ザックジャパン23名の発表を見て、改めてそう思った。”1億2千万分の23″に入る彼らは、間違いなく極め付きのエリートだ。しかし一人一人を見ると失敗、挫折から這い上がった叩き上げが揃っている。
 柿谷曜一朗、齋藤学はU-16のアジア選手権を制し、07年のU-17W杯に参加した城福ジャパンの中核選手だった。一方で大迫勇也、山口蛍、酒井宏樹は同じ世代の代表候補としてチャンスを与えられつつ、競争に敗れた側だ。しかしその世代の二番手、三番手にいた彼らが7年のときを経て、今は先頭に立っている。

 90年組のトップランナーだった柿谷と齋藤は、プロ入り後に挫折を味わった。柿谷は16歳でC大阪とプロ契約を結び、早い時期から出場機会も得た。しかし次第に香川真司や乾貴士の後塵を拝し、半ば見切りをつけられた形で徳島に期限付きで移籍している。四国での臥薪嘗胆は2年半に及び、12年にC大阪に戻って立場を確立したときには、プロ入りから実に7年が経過していた。
 齋藤も2学年下の小野裕二に後れを取り、昇格後の3年で挙げたゴールは”ゼロ”。4年目に籍を移した愛媛で結果を出し、5年目になって横浜FMの主力として独り立ちした。時間こそかかったが、2人はJ2への期限付き移籍をきっかけに”伸び悩み”のレッテルを返上した。
 一度は集団に沈んでいたサッカー人生というレースの、先頭を奪い返した。

 彼らを見守っていた当時のU-17代表監督である城福浩氏(現・甲府監督)は「順風満帆な選手なんて、今の代表にいない」と口にする。試合に出られない、後発の選手に抜かれる、所属チームが降格する、大きなケガでパフォーマンスを落とす――。代表選手といえども、サッカー人生の中でこのような挫折をまず間違いなく経験している。今回の日本代表は、J2在籍経験のある選手が13名に増え、ついに過半数を超えた。J2経験はなくても本田圭佑、大迫勇也のようにヨーロッパの地で2部リーグを経験している選手もいる。下部リーグでのプレーを糧としたからこそ、彼らはブラジルのピッチに立つ資格を得た。

▼J2が繋いだ選手育成と代表強化
 J2経験者の台頭の背景として、各クラブの体制整備を見逃してはならない。4、5年前のことだが、あるJユースの監督が、J2に属するトップチームについて「サッカーへ真剣に打ち込む環境ではない」とこぼしていたことを思い出す。J1崩れが落ちてくるJ2に、若い才能が”染まって”しまう危惧を持っていたのだろう。
 しかし練習場、クラブハウスといった”プロとしての最低線”が、J2でも徐々に確保されつつある。安定した環境で存分に練習をして、トレーナーの施術も受けられる。栄養の整った食事と休養ができる――。そういう環境の充実は選手のパフォーマンスを維持するために無視できない要素だ。ハードの整備は、J2よりも大学が先行していた部分かもしれない。J2のクラブは京都、千葉のような例外を除くと大企業の母体がないため、施設を整備するために行政を動かさねばならず、時間がかかるのだ。

 ザックジャパンの23名のうち、大学サッカー経験者は長友佑都、伊野波雅彦の2名だが、いずれも中途退部を経てプロ入りしている。”才能はあるけれどJ1でプレーするほど花開いていない”選手にとって、大学はJ2と同じく重要な通過点だ。しかし若手選手にとって、4年の月日は少々長すぎるのかもしれない。また大学サッカーは部員数が多いため、1チームの登録が30名前後のJ2に比べて、試合へ絡めず埋もれるリスクも高い。そう考えると有望株の踏み台としてJ2には優位性があるし、そのアドバンテージはおそらくさらに開いていく。

 サッカー人生というレースは、抜きつ抜かれつのデッドヒートだ。スローダウンして抜かれたトップが、返り咲くこともザラにある。逆に言うと柿谷や齋藤にだって、この先の”再挫折”が待っている可能性はある。W杯南アフリカ大会の最年少メンバーだった森本貴幸は”波乱万丈”の分かりやすい例だろう。15歳で鮮烈なJ1デビューを果たすも伸び悩み、イタリアに渡って復活。しかし現在はJ2でくすぶっている。

 伸び悩む選手は沢山いる。いや、選手は必ず人生のどこかで伸び悩む。だが、伸び悩みの一時期を切り取って”期待外れ”と腐すのはナンセンスなのだろう。伸び悩んでいる時期に、その後の急加速のためにエネルギーを溜めている選手は少なくないからだ。
 とはいえ、J2がなければ、柿谷や齋藤はサッカー人生から”コースアウト”してしまっていたかもしれない――。ザックジャパンの選考は、J2が代表の強化に結びついているという、分かり易い例だった。


大島和人

出生は1976年。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。ヴァンフォーレ甲府、FC町田ゼルビアを取材しつつ、最大の好物は育成年代。未知の才能を求めてサッカーはもちろん野球、ラグビー、バスケにも毒牙を伸ばしている。著書は未だにないが、そのうち出すはず。