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「ライターと編集者。”二足の草鞋”を履くことになった動機とは?」後藤勝/前編【オレたちのライター道】

「君はピッチの中だけでなくピッチの外も書けるから、それを忘れないように」とサッカー批評の半田さんに言われた言葉は心に深く刻まれています。

“ライターの数だけ、それぞれの人生がある”。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画がスタートした。第7回は『トーキョーワッショイ!プレミアム』の後藤勝氏に話を聞いた。

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▼”ロック好き”が功を奏して……

ーーフリーライターになる以前は、どんなお仕事をされていたのですか?

後藤 20代前半にいろいろなアルバイトをしていまして、その中でもレコードショップの店員が一番長かったのですが、その期間にテレビゲーム専門誌を発行している出版社のアルバイト募集の広告を見て、それに応募しました。面接に当たった当時の部長がたまたまロック好きで僕がレコード店で働いていることを知るや、なんとそれだけの理由で採用を即決、意気投合するような形で出版界に潜り込むことができました。まあ、実力不足なので最初は大変でしたけどね。在学中は工業系でありながら現代文の先生に国語力を褒められていた状態からたいして変わらず数年経ってしまったような文学青年。でも、いざ文章を書くとなると難しく、キャプションを書くのも一苦労でした。

ーー編集のアルバイトということは、原稿を書くだけが仕事ではなかったわけですね。

後藤 ゲームソフト発売日の確認、読者プレゼントの収集とそのブツ撮り、ラフを切るのにとどまらず本チャンのデザインまでこなし、ありとあらゆる編集業務に携わってきました。結局、ゲーム誌の編集部のバイトを2年ほどやったあとは、編集プロダクションに入社しました。その会社でもライターとしてではありますが、編集的な業務もこなし、プレイステーション専門誌に携わるなど、それまでと似た感じではあったのですが、CG、映画、音楽など扱う分野が広がり、その過程で多くのノウハウを学んできました。

ーーサッカー関係の原稿やお仕事にはどのタイミングで携わるようになったのですか?

後藤 フリーになってから『サッカルチョ』という雑誌でサッカーゲームに関する記事を書きましたが、まだ本格的にサッカーライターに着手したとは言えない状況でした。しかし『サッカー批評』であるテーマについて書けるライターを探しているという半田雄一編集長の編集後記を見て連絡を取ったところ「君にはこのテーマは荷が重いと思うので、違うテーマの記事を書いてほしい」と依頼されました。そしてメキシコ五輪で銅メダルを獲得した際のメンバーの一人である杉山隆一さんを描いたノンフィクションを書くことになりました。これは僕がサッカー系の記事を書くきっかけとなった作品です。

2001年後半にはJ1残留争いをしていたヴェルディとマリノスを追いかけるテーマが与えられました。そして両チームを並行して取材をしている中で次第にマリノスの残留が見えてきて、シーズン終盤はヴェルディ一本に絞り、エジムンド補強で危機を乗り切ったストーリーを描いたわけです。翌シーズンの02年には取材対象をしっかりと一度固めたほうが良いと、FC東京に絞って今に至っています。

 

▼FC東京の位置付け

ーー『サッカー批評』でFC東京について書いたのですか?

後藤 そうですね。当時のFC東京で現場監督のようだった三浦文丈さんが主人公でした。Jリーグ開設からの11年でポジションがFWからボランチまで下がっていくその過程で、環境の変化にどう対応しながら選手として生き抜いてきたのか。それを描くことでJリーグ自体の歩みを振り返ろうという裏テーマがある企画でした。

ざっと経歴を振り返ると、93年からの5年間で編集とライターの基礎が構築されて、編集とライターを兼業していく中で、もっとライターとしての力を伸ばそうと考えている中、サッカーメディアがそのチャンスを与えてくれて、その中でライターとしての力量を伸ばすことにチャレンジしてきた感じですね。

ーー後藤さんはFC東京だけではなく、JFLや都リーグなども取材されてきたことが印象に残っています。

後藤 昔のJFLの醸し出す雰囲気が好きでした。佐川急便東京SCや横河武蔵野FCのホームゲームは味がありますし、クラブが地域に根付いていて、さらにピッチ上のサッカーのレベルも決して低くはありませんでした。『サッカーJ+』ではJFLの連載『3rd Flight Football』を担当していました。社会人のカテゴリーの試合も好物ですから、可能な範囲で取材していました。

これはあくまでも個人的な感覚ですが、サポーターが仕事をしているようなもので、こう言っては語弊があるかもしれませんが、職業ライターとはちょっと感じ方がズレている気がするんです。「君はピッチの中だけでなくピッチの外も書けるから、それを忘れないように」とサッカー批評の半田さんに言われた言葉は心に深く刻まれています。

ーー長年FC東京を取材している身として感じているクラブとしての魅力は何でしょうか?

後藤 古くは村林裕元社長が標榜していたFCバルセロナのようなクラブを作ろうという考え方に共感しました。僕自身もバルサが好きで、地元のマイクラブのようにバルサを見てきましたが、やはり真の意味でのマイクラブを持ちたかったんです。FC東京はそこにピッタリでしたね。地元感覚のない東京にローカルなクラブを作るというバーチャルな東京観を持っていて、これが都内に住む海外サッカーファンを惹きつけた面はあると思います。

ーー近年のFC東京は、”首都クラブ”という立ち位置を担っていると思うのですが、実際のところはどうなのでしょうか?

後藤 ここ数年は確かに。長らくヴェルディがJ1にいないことで首都のビッグクラブのポジションをもFC東京が担わなくてはならない状況になっているかもしれませんね。クラブの歴史を鑑みれば、ヴェルディが東京のビッグクラブで、FC東京は東京のローカルクラブという位置付けのほうが本来はしっくりくる。

スペインのマドリードを本拠地に置く、レアルとアトレティコに例えるならば、ヴェルディがレアルで、FC東京がアトレティコみたいな立ち位置のほうが都民以外にも分かりやすいと思います。とはいえ、Jリーグ全体のビジネスを考慮すると、首都の東京にあるFC東京が先陣を切って、将来的には全盛期のレッズのような規模感になっていく必要があります。東京のクラブである以上、その期待感は否定できません。

 

(後編「FC東京を追いかけて15年。自分の媒体を持つことの価値とは?」)

 

【プロフィール】
後藤 勝(ごとう・まさる)
サッカーを中心に取材執筆を継続するフリーライター。FC東京を対象とするWebマガジン『トーキョーワッショイ!プレミアム』を随時更新。著書に小説『エンダーズ・デッドリードライヴ 東京蹴球旅団2029』(カンゼン刊)がある。