J論 by タグマ!

Not滅私奉公!アギーレ新ジャパンは、モメてモメて揉んで揉まれていく!?

この会見を「超超超超重要イベント」と解釈し、現場でもハイテンションだった吉崎エイジーニョ。語った内容を「アギーレは滅私奉公を求める」と安直に解釈する動きに「No!」を突き付ける。

毎週週替わりのテーマを肴に複数の識者が議論を交わす『J論』。今週のテーマは「日本代表アギーレ新監督に期待すること、不安に思ってしまったこと」。8月11日に行われた就任記者会見では強い意欲を語った新指揮官だが、新生日本代表の前に問題は山積している。会見から見えてきたこと、そして不安要素とは……。四番目に登場するのは、この会見を「超超超超重要イベント」と解釈し、現場でもハイテンションだった吉崎エイジーニョ。語った内容を「アギーレは滅私奉公を求める」と安直に解釈する動きに「No!」を突き付ける。

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▼消えた「バランス」の二の舞は避けたい
 超超超超重要イベントなわけですよ、これは。今後の日本代表ウォッチングを楽しみ抜くにあたっての重要イベント。国家の長でいえば「所信表明」にあたる、「代表監督就任会見」。ここで公言した内容が、今後、監督を褒めたり、文句を言ったりということの基準になっていく。

 前監督の時代には、就任会見での発言が途中ですっかり忘れられ、結果的にチームに対する理解の違いが生じてしまった。奇しくももこの日、アギーレとともに登壇した日本協会の原博実専務理事が会見中にこんな発言をしていた。

「ザッケローニ前監督も決して守備をやっていなかったわけではないです」

 4年前、ザッケローニは2010年8月31日の日本代表監督就任会見で「バランス」を自らの指針として掲げた。この日の原博実専務理事の話を借りればこういうこと。「守備のポジションや構えというものをベースにやっていて、その上で攻撃をどう仕掛けるのか」。しかし、4年経ち、ブラジルW杯前になると「とにかく攻撃」という話にすり替わっていた。もはや「伝言ゲーム」。この日もアギーレ選任の疑問点として、当然のごとく「前任監督時には攻撃を志向したが、今回は守備なのか」という主旨の質問が飛んだ。

 というワケで、今回のアギーレ就任会見の主旨として最重要ポイントはここでした。4年間何を目指していくのか。そのベースです。

「日本のチームに関しては、メキシコのプレースタイルに似ていると思っている。たとえばボールのハンドリング、試合中のバランスのとり方、ディフェンスに力を入れること。自分は守備を固めて勝利を目指したいと考えているし、それを目標にしている。ただ、ボールは重要だと思っている。ボールというのはどこに行っても選手たちの前にあるものだ。ボールを共通語として選手たちの間で競争力を伸ばしていってもらいたいと思う」

 就任前から報じられてきた通り、「守備をまず考える」と。その上で試合中のバランス、ボールのハンドリングを考える。重要なのは「守備だけじゃない」とはっきりと明言していること。「ボールが重要だ」と。

 もう攻撃か守備かの「白・黒」議論はやめるべき。守備をやりながら、どう攻撃をしていくのか。そこがこのチームの見所です。逆にベースとなるべき守備組織の構築が出来ていなければ、大いにツッコミを入れていくところなわけです。

▼日本とメキシコで大きく異なる「個」の解釈
 ……細かい点は、詳しくは他の書き手から聞いていただければ。今の段階から「どの選手が外れる」といった超能力を駆使して将来を展望する媒体も存在するようです。

 自分が言いたいのは、「このチームはモメてモメて揉んで揉まれていく時間を過ごすだろう」という予測です。会見のなかから、いくつか「むむむむむむむむむ」と思ったフレーズを。アギーレは「選手選考では何を重視するか?」との質問に対し、次の点を挙げた。

(1)将来性のある選手
(2)代表チームに入ることに意欲的な選手
(3)国を背負って戦う気持ちのある選手
(4)個人のプレーではなくチームとしてプレーできる選手
(5)試合に貢献できる選手

 よーく見守るべきは(4)の項目。「個人のプレーではなくチームとしてプレーできる選手」。言い換えるなら、「献身的」?ここできっと、監督-選手間の大きな衝突が起きる。「個」と「組織」という考え方が、日本とメキシコでは大きく違うので。

 またその話か。そうですまたその話です。筆者は今年の5月、この違いを日本ではじめて問題提起した著書『メッシと滅私』を上梓した。日本と、W杯で圧倒的な成績を残してきたキリスト教社会では、そもそも「個」という考え方が違うのだと。

 日本―組織のために自分を犠牲にする。
 キリスト教社会―自分の力を発揮することが組織のためになる。

 詳しいことは拙著をぜひご覧いただきたく(!?)、要はキリスト教社会では、「社会の構成員として自分の役割を果たせないことを恥ずかしいと思う個」が存在する。ここの違いを双方がしっかり理解できないと、とんでもないことになる。同じ「組織」だと思っていても、日本とキリスト教圏ではその内容が全く違う。これまた以前に別の媒体でも書いた話だが、メキシコではユースを指導する際によく使われるフレーズとしてこんなものがあるそうだ。

「まずは自分。次に自分。そして最後に自分」

 要は、最も恐れるべき事はこの点にある。この原稿で一番言いたいことです。”アギーレが「組織」だと言った途端に、日本の選手が言うことを聞きすぎてしまう状況。そこに気づくまでに時間を要しすぎてしまうこと”。過去の外国人監督の多くはこの点を誤解していたか、あるいは、克服しきれなかったのではないか。これが筆者の見解だ。『メッシと滅私』では、トルシエが「嫌われてでもチームをまとめるリーダー」を選手に求めていたが、日本にはそういった「個」を持った存在はいなかった。そしてついに、自分がその役割を買って出た点を記した。ジーコも選手に「個」を求めた結果、上滑りになってしまった点は言うまでもない。

 ザッケローニの歩みも顕著な事例だった。細かい戦術理解を選手に要求した反面、2013年の5月に突如「インテンシティ(過激に、強い気持ちをもってプレーすること)」を口にしはじめた。秋の欧州遠征の際にはついに「守備時にはファウルしてでも止めるべき」とさえ口にした。個と組織のつり合いが明らかに取れていない、と解釈した。

▼「コミット」の真意とは?
 では、アギーレはどうなる!?

 11日の会見では、「日本についての知識」に関して、二通りのコメントを口にしている。

――以前に来日した経験があると思うが、日本の印象、日本人の印象は? なにか挑戦したい日本の文化はあるか?
「(中略)私がこれまでに住んでいたメキシコやスペインは日本から遠く離れた国ですが、日本についての情報は入ってきています。歴史や習慣について書かれた本もたくさん読みました。もちろん、自分の職業はサッカーですのでサッカーが一番ですが、その他の文化的なことも家族と楽しみたいと思います。長く日本にいることを望んでいますし、楽しみにしています」

 ここで、具体的に「挑戦したい文化」についての言及がなかったと見るや、メディア側から再び、「サッカー以外で日本で試してみたいことがあれば具体的に」という質問が入った。こう答えている。

「私もそうですが、息子と妻も旅行が大好きです。いろいろなところに行きたいし、普通に街へ出て、一般の方々と交流を持ちたいですね。日本は何千年もの歴史を持つ国ですが、西洋ではなかなか日本についてのインフォメーションは流れていません。私がいま望むのは、ひとりの一般人として、たくさんの方と交流することです」

 逆の内容を口にしているようにも見える。要は「社会全体ではインフォメーションが少ないが、個人的には情報を得てきた」ということ!?いずれにせよ、「個」の考え方の違いは、しっかりと伝えていくべきもの。ここを見誤ると失敗を繰り返すことになる。そして、この会見では、もうひとつ非常に興味深い言葉が聞けた。

――この4年間のテーマをキーワードにすると?
「スペイン語を日本語に訳して伝わるかどうか分かりませんが……。とにかく、”コミット”したい」

 コミット。これは”濃密な関わり合いを持つ”と解釈すべきでは?

 強い規律を要求する熱血漢。これまで実績のある選手にも容赦なく厳しく接する。そしておそらく生じるであろう「個」と「組織」の解釈の違い……衝突の強い予感がする。協会側もそれを織り込み済みの選任でしょうし!何より、できるだけ問題が起きず、順風満帆に過ごそうとする4年間はもう飽きたのでは!?問題を避けようとするから問題が起きた時に対処できなくなる。衝突して、怒ってエンターテイメントを楽しむ。そうやって「観る側」も成長する時間を過ごしていこう!!


吉崎エイジーニョ

日韓欧。洋の東西との比較で見える「日本って何だ?」を描く。74年生まれ、北九州市出身。大阪外大(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。05年にドイツ在住歴あり。 近著にサッカー海外組エピソード満載の「メッシと滅私」(集英社新書/2014年5月16日発売)、翻訳書に「ホン・ミョンボ」(実業団之日本社)などがある。 韓国ガールズグループ「RAINBOW」の熱烈ファン。本名は吉崎英治です。