J論 by タグマ!

「よくやった、娼婦の息子たち」ではマズ過ぎる。アギーレ政権勝利のカギはそのスラングにあり!?

ラテン系の知識では誰にも負けぬ池田敏明。アギーレ新政権成功のカギは、ずばり「スラング」にあると言う。

毎週週替わりのテーマを肴に複数の識者が議論を交わす『J論』。今週のテーマは「日本代表アギーレ新監督に期待すること、不安に思ってしまったこと」。8月11日に行われた就任記者会見では強い意欲を語った新指揮官だが、新生日本代表の前に問題は山積している。会見から見えてきたこと、そして不安要素とは……。三番目に登場するのは、ラテン系の知識では誰にも負けぬ池田敏明。アギーレ新政権成功のカギは、ずばり「スラング」にあると言う。

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就任記者会見ではさすがにスラングが飛び交うことはなかったが…… [写真]

▼目指すは「戦う集団」
 都内のホテルで行われたハビエル・アギーレ新監督の就任記者会見。会場を埋め尽くした報道陣の数を見れば、今回の就任劇がどれだけ注目されていたかが分かる。「状況に応じて様々な布陣を使い分けたい」、「将来性のある選手を選びたい」、「エネルギッシュに走り、いいプレーをして勝利を収める」などと宣言した指揮官に対する好意的な報道からは期待度の高さもうかがえる。それだけに、9月に行われるウルグアイ、ベネズエラとの2連戦では、一定の成果が求められる。準備期間は短いかもしれないが、それは言い訳にはできない。彼自身の哲学を完全に投影させられずとも、方向性は示さなければならない。

 その方向性とは”戦う集団”を作ることだろう。アギーレはモチベーターとしての手腕に優れている。ラテン系らしく情熱的な言葉を並べ立てて選手のやる気を喚起させ、ピッチで100パーセントの力を発揮させるのが得意だ。かつてW杯予選で苦戦するメキシコ代表を短期間で立て直し、本大会出場に導くことができたのは、堅守速攻の実利的な戦術を採用したこと以上に、巧みな人心掌握術によるところが大きかった。日本代表でも同じように熱血指導を行い、「昔に比べて大人しくなった」と言われて久しい日本人選手たちに闘志を植え付けてほしいものだが、ここで問題になるのは言葉の壁ではないか。

▼その指導経験はスペイン語圏のみ
 アギーレはこれまで、スペイン語圏のクラブや代表だけでしか指揮を執ったことがない。彼が発した言葉はそのままストレートに選手たちに伝わり、理解させることができた。しかし、日本代表ではそうはいかない。たとえばブラジルW杯に出場した23人の中で、スペイン語が多少なりとも理解できるのは語学が堪能な川島永嗣と、スペインでのプレー経験がある大久保嘉人くらいだろう。今後、代表に招集されそうな選手の顔触れを見渡しても、アギーレとスペイン語で直接コミュニケーションが取れそうな選手はスペインでのプレー経験が長い指宿洋史くらいではないか。コルドバに移籍したハーフナー・マイクも今後は期待できるが、現状ではいくらアギーレが熱烈な言葉を並べ立てたところで、選手たちにはうまく伝わらない。そんな事態になってしまう可能性が高い。

 だからこそ、アギーレ政権の命運を握るのは、通訳の存在となる。単にスペイン語と日本語、サッカーを熟知しているだけでなく、アギーレが発する言葉から言わんとしていることを瞬時に理解し、彼と同じテンションでストレートに伝えられる人物が望ましい。

 とにかくスラングを多用するアギーレだが、「娼婦の息子」、「娼婦の母親」、「糞」といった、スペイン語のスラングとしてお馴染みの”魂の言葉”を直訳してしまってはいけない。「いいプレーだったよ、娼婦の息子たち」と訳されても、選手たちは戸惑うばかりだろう。そもそも「娼婦の息子」という単語に明確な意味など求めてはいけないし、いちいち過剰に反応する必要もない。ラテン諸国では、一般のご婦人でもごくごく日常的に使用する、何の変哲もない言葉なのだ。

▼アギーレと日本が融合するために
 むしろ、より効果的だと思われるのは、アギーレに日本語を覚えてもらうことだ。「日本代表を率いるにあたって、日本の歴史や文化に関する書物を読んできた」というぐらいだから、日本について多くを学ぶ意思はあるはず。歴代の外国人監督たちは、日本に対する深い愛情を示しながら、日本語をほとんど習得することなく任期を終えている。アギーレについては来日前に日本語の学習を始めていたという報道もあるくらいなので、そのまま勉強を続け、簡単な指示出しや選手を鼓舞する言葉ぐらいは使いこなせるようになってほしい。

 アギーレ新監督にはW杯での2度にわたる16強入りや弱小オサスナを率いての大躍進など、指揮官としての手腕、実績に一定の評価が与えられる一方で、度重なる暴言による退席処分や試合中に相手選手を蹴り付けるというあり得ない行為など、様々な懸念材料も取り上げられてきた。これで不甲斐ない試合が続くようだと、あっという間に激しいネガティブキャンペーンが展開される可能性もある。そういう苦境においても、言葉を学んで日本に順応する姿勢を示しているのと示していないのとでは、人々の捉え方も違ってくるだろう。

 アギーレは「メキシコのスタイルを日本に注入したい」と語るが、そのためには相互理解が不可欠だ。我々がアギーレのスタイルとその意図を理解するのはもちろん、アギーレにも日本のことを深く理解してもらわなければならない。お互いの理解が深まれば、親分肌のアギーレと日本の選手たちが強固な信頼関係を築くのは意外に難しくはないだろう。それが実現した時に初めて、アギーレが目指す「メキシコと日本が融合したスタイル」が生まれるのではないだろうか。