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[無料]山本雄大レフェリーインタビュー前編:ルヴァン杯決勝を経て転機となった国際主審返上・Jリーグの選手と審判の映像には映らない関係性・自衛官時代からの“想い”

石井紘人のFootball Referee Journalより、記事を転載させていただきます。

全文はこちらからご確認ください。

 

2025年12月22日、審判に興味のある方々の多くが驚かれたのではないだろうか。

 

日本サッカー協会(JFA)と契約するプロのレフェリーである山本雄大が、インドネシアリーグに移籍する事をインドネシアサッカー協会(PSSI)が発表したのだ。

 

キャリア晩年の移籍ながら分からなくもないが、山本は現在、レフェリーとしてのピークを迎えている。なぜレベルの下がるリーグへの移籍を決断したのか?どのような展望を描いているのか?またJリーグでのレフェリング、サッカーファンへの想いについて訊いた。(取材日:2026年1月16日)

 

 

■近年のインドネシアリーグについてはこちらを

 

https://www4.targma.jp/fbrj/2025/11/01/post15455/

 

 

――2025年の夏にインドネシアリーグで笛を吹いたという記事を拝見したのですが、その夏ぐらいにはPSSIへの移籍が決まっていたのでしょうか?

 

 

「いえ、確実には決まっていませんでしたが、常に海外への想いは持っていました。私は高校を卒業後、自衛隊に入隊しました。自衛隊員としての目標は、起こらないに越したことはないですが、不測の事態の時の災害派遣やPKO(国連平和維持活動)で活動する事でした。その中でレフェリーとしての活動もスタートしました。そして、様々な出会いからトップレフェリーを目指す事に決めました。」

 

 

――当時のレフェリーカレッジについて取材(参照リンク)させて頂いた事がありますが、自衛隊と両立するのはスケジュール的にも不可能ですよね。

 

 

「はい。PKOでの活動という夢を実現することも出来ずに、別の職業に就いて、トップレフェリーを目指す事になりました。

ですが、トップレフェリーになり、国際審判員としても海外での試合を担当する事が出来たのは本当に幸せでした。」

 

 

――国際審判員は各国が『ワールドカップに適した本大会を二大会またげる年齢のレフェリーを選出する』側面もあり、山本さんは40歳でバトンを渡す事になりました。

 

 

「はい。今回実現した事は、国際審判員として活動している頃から、ぼんやりと思い描いていました。そして、扇谷(健司)さんが審判委員長になられた時に、私も30代後半に突入するタイミングでしたから、シーズン終了後の振り返りの場で扇谷さんとセカンドキャリアなどのお話をさせていただいていました。

 

というのも、レフェリーのピークの時期に、海外に移籍し、その国の方々と一緒に色々なことを成し遂げていきたかった。もちろん、家族の理解や協力がないと実現しないのですが、家族の同意も得られました。妻には、そういった想いを話してはいたのですが、「思ったより早いね」とは言われました(笑) 妻も子供たちも皆が応援して送り出してくれた事に感謝しかありません。

 

扇谷さん、小川さん(参照リンク)、そしてPSSIのエリック会長の御理解があって、実現しました。その背景には、先輩方が築き上げられた日本のブランド、信用力もあって、同じ日本人レフェリーである私をフォーカスしてくれたのかもしれません。」

 

 

――その想いなのですが、海外への想いなのか、東南アジアへの想いなのか、どちらでしょうか?

 

 

「私が自衛官の時に所属していた部隊は、PKOで初めてカンボジアに行った部隊でした。国際審判員として試合でカンボジアに行かせていただいたとき、先輩方がかけた橋に日本の国旗が掲げられている光景を見たのですが、今でも目に焼き付いています。自分が自衛官時代にPKOでの活動を希望したのは間違いではなかった。今の自分にできることは何なのか?を改めて考えることができた瞬間でもありました。カンボジアでも、インドネシアでも、訪れた国は、凄く私たちに友好的だったのも印象に残っています。ただ、今の私の年齢で、自衛隊に戻るのは現実的ではないので、審判員として何ができるのか?を考えたときに、東南アジアなどで活動を出来ればと考えました。」

 

――先ほどセカンドキャリアという言葉も出てきました。山本さんを取材させて頂いて、私は審判マネジャーに向いていると感じていますし、インドネシアでの活動を終えて日本に戻っても、十分にキャリアアップ出来ると推察しているのですが、どのようにセカンドキャリアを考えたのでしょうか?

 

 

「私はJリーグ史上に残る大失敗をし、監督や選手、チーム関係者、サポーターの方々に本当にご迷惑をおかけしてしまいました。その経験を若いレフェリーたちに伝えていくのが責務だと思っています。皆様へのせめてもの恩返しをしなければいけません。それは今でも持っているのですが、審判という枠組みを超えた活動をしたいとも思っていました。サッカー後進国と言われるリーグに行って、その国の人達と共にリーグを発展させるチャレンジが出来るとなると、私の性格上、どうしてもチャレンジしたくなります。ですから、数年で日本に戻ってではなく、現役後もこちらのサッカーに関わっていければと考えています。とは言え、今回は来シーズン終了までの一年五ケ月の契約ですから、特別なセカンドキャリアが用意されている訳ではなく、更新されないかもしれません。それでも迷いはありませんでした。」

 

 

 

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