J論 by タグマ!

「鹿島担当足掛け10年。鹿島が”常勝軍団”で在り続ける理由とは?」田中滋/後編【オレたちのライター道】

“ライターの数だけ、それぞれの人生がある”。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画がスタートした。第4回は『GELマガ』の田中滋氏に話を聞いた。
(前編「人生史上、最も必死だったあの頃。ライターになるためのアプローチとは?」)

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▼ライターになる前の鹿島との接点

ーー鹿島の番記者になるまで、鹿島とはどんな接点があったのですか?

田中 鹿島はずっと好きなクラブでした。きっかけはJリーグ開幕です。Jリーグの開幕戦は同時キックオフではなく、開幕戦の横浜マリノスvsヴェルディ川崎(当時)の翌日には、順繰りに試合を見られる状況だったと思います。僕はサッカーをやっておらず、兄がサッカーをやっていたのですが、当時サッカーをやっている子どもたちがトヨタカップの日は、学校が終わると国立に行くみたいな感じでした。

フラメンゴがトヨタカップで来た試合を兄が国立で見て、僕に「ジーコがすごかった!」という話をしていたことを覚えていたのでしょう。1986年のメキシコW杯でジーコはけがをしていましたが、キャプテン翼の影響もあってブラジル対フランスの試合なんかは強烈なインパクトとして残っています。両チームともタレント揃いだったので、幼いながらも楽しかったんだと思います。そんなジーコがJリーグにやってきて、しかも開幕戦で名古屋グランパスエイト(当時)を相手にハットトリックを決めてしまったことで一気に虜になりました。「40歳なのにやっぱりすごい!」と。それがすべての始まりです。

ジーコはすぐにけがをしてしまいましたが、アルシンドが最前線にいてスピーディーなカウンターからゴールを重ねる鹿島のスタイルは見ていて痛快でした。まったく縁もゆかりもない人間が、勝手に応援しているだけだったのに、のちに自分がクラブの番記者になるなんて信じられないですね。本当にありがたかったです。

ーー『GELマガ』を始めた時期はいつですか?

田中 2011年です。以前は週に1回配信のサイクルでしたが、2013年の5月にタグマ!に移行してからは、いまの配信体制になりました。

ーーここまで『GELマガ』を展開されていて、印象に残っていることなどはありますか?

田中 GELマガにも書いた内容ですが、昨年末までの約1カ月間はすごく印象に残っています。リーグ戦を4連敗で終えて、チャンピオンシップ(以下、CS)第1戦は負けましたが、チームがCS、クラブW杯(以下、CWC)、天皇杯と勝っていったあの1カ月です。僕個人としても、チームが勝つための流れを作りたいと試行錯誤しながらやってきたことがうまく結果に反映・リンクされて本当に良かったと思っています。これは記者仲間ともよく話すことなのですが、優勝するときはマスコミも一体感を作り出し、大きなうねりが生まれるんです。僕たちはスポーツライティングをやっているので、事実だけを伝えているのですが、優勝できる要因はそれだけではない気がします。

僕自身はリーグ戦が4連敗で終わったあと、このままではマズいなと思っていました。「何かが変わらないといけない」。僕自身も何かを必死に探していたのですが、天皇杯のヴィッセル神戸戦を前にサポーターが練習場に来てフラッグを掲げたり、旗を振ることがありました。サポーターの方が黙ってただただ旗を振っているだけなのですが、それが逆にすごい雰囲気を生み、その日の練習も非常に密度が濃いモノとなりました。明らかに練習場の雰囲気がいつもとは違いました。僕はそうした光景を見て、これはイケる思いました。

こういう言い方はあまり良くないのかもしれませんが、取材者も優勝を経験していないと、優勝するチームの雰囲気や空気感は分からないと個人的には思っています。クラブを取り巻く空気感など、クラブを取り巻くモノすべてをひっくるめて、タイトルが懸かった勝負は決まるモノだと思います。

ーーたしかに自分もエルゴラで2013年に柏レイソルを担当したとき、ありがたいことにナビスコカップの優勝原稿を書かせていただきましたが、決勝までの1週間の準備期間を取材する中で、「これが優勝するクラブの空気感なのか」と肌で感じることができました。クラブを取り巻く空気感が優勝を左右する。その考えに同意します。

田中 僕たちの立場として、書き方次第ではプラスにもマイナスにもなると思います。中には記事にしたことでチームの足を引っ張ってしまうケースもあるでしょう。

なお、これはGELマガで載せた話ですが、昌子源選手が天皇杯の神戸戦前にサポーターに言及するシーンがありました。サポーターの応援が従来のルーティーンとは違っており、サポーターの間でも従来の応援を支持している層と新しいことに取り組もうとしている層があって、一体感を欠き、応援に迫力がなかったため、昌子がサポーターに向けて「一体感を持ってやってほしい」と話しました。「コールリーダーはチームで言うキャプテン。これはチームと同じでキャプテンが言うことならば、違うと思うようなことがあっても、それに付いていってほしい」。昌子選手がそんな話をしていました。

選手がサポーターの応援について言及するのは結構な大ごとです。仮にエルゴラで載せれば鹿島サポーター以外も目にします。中には「え、選手がサポーターの力に頼るの?」と捉えて、「鹿島、ヤバいぞ」という変な影響を周りのチームに与えかねないので、昌子選手はそれまでもサポーターの応援について発言していたのですが、掲載するタイミングと掲載媒体を見計らっていました。そしてずっと出さずにいたのですが、リーグ戦4連敗フィニッシュで後がない状況でもあったことから、天皇杯の神戸戦前にGELマガで載せることに決めました。

最初は有料で掲載していましたが、サポーターのダイレクトな反応で「ぜひ無料公開にしてください。多くのサポーターに見てほしいです」というリクエストがあったことから、有料掲載から無料掲載に切り替えました。まさにサポーターが優勝できる空気を作り出すようなムーブメントを起こすことができました。そういったことを体感できたあの1カ月でしたし、自分で記事を管理して、有料、無料に切り替えられることは、Webメディアならではの強みだと思っています。

▼鹿島が鹿島たる所以

ーーライターの先輩として、後輩たちに届けたいメッセージはありますか?

田中 謙虚な気持ちと向上心を持つことだと思います。プロサッカー選手はそれこそ人生をかけて死に物狂いでやっているので、向上心を抱いてそれなりの覚悟を持って接しないと失礼にあたると思いますし、選手にもそれは伝わってしまいます。例えばエルゴラでは採点・寸評といった要素もあるので、ときには選手と戦うことがあるかもしれません。でも、サッカー選手もプロならば、僕たちもプロです。理由があって書いていることですし、気分を害してしまえば謝りますが、僕なりに責任感と覚悟を持ってやっていることです。

あとは時の感情に流されずにブレないこと。チームが戻るべき、立ち返るべき原点ではないですが、ライターとして明確な基準を持ってサポーターにそれを示さないと、状況が変わるたびに立ち位置が変わってしまい、右往左往して終わってしまうだけです。「ブレない明確な基準を持つべき」だということは伝えたいことです。

もう一つ付け加えると、これは師匠の本郷さんからキツく言い聞かせられたことの受け売りなのですが、僕らが文章を届ける相手は選手ではなく読者だということを忘れてはいけないと思います。読んでいて気持ちの悪い文章は、だいたい取材対象を礼賛し過ぎて客観性を失っているはずです。取材をした選手や監督、スタッフから「うまくまとめてくれてありがとう」と感謝されることがありますが、そこがゴールではなく、読者の皆さんに「楽しかった」「読んで良かった」と言ってもらうことを、常に意識すべきと思います。

ーーしかし昨年末の鹿島はCWCの決勝で敗れたあと、天皇杯まで制しました。疲労も抱えている中で過密日程の中、タイトルを勝ち獲ったその要因は何ですか?

田中 CWCで優勝できなかったですし、CSというレギュレーションがあって、それに勝ったからCWCに出られたという周りの目もあることから、「天皇杯では絶対に優勝する!」という空気がクラブに充満していました。CWCを途中で負けていれば、もしかしたら天皇杯も負けていたかもしれませんが、CSでカップを掲げて、逆にCWCではそれを相手にやられてしまいました。CSを獲った喜びよりも、CWCを獲れなかった悔しさのほうが大きくなってしまったので、目の前のタイトルである天皇杯でその悔しさを晴らしてやるという雰囲気がクラブにはありました。

その一方で、優勝経験のある選手は小笠原満男選手と曽ケ端準選手など数えるほどで、永木亮太選手、西大伍選手、遠藤康選手など優勝したいという思いの強い選手がいたので、そのエネルギーでCSを制しましたし、最後の天皇杯も、もう一度優勝したいという循環になったんじゃないかと思います。そういう意味で昨季は鹿島にとって、大きな意味を持つシーズンになりました。CSの前に、島崎さんと江藤さんの3人で鼎談したときも言いましたが、これで優勝できていなければ、まったく逆のかなり苦しい時代に突入していたと思います。CSがターニングポイントでした。

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【EXTRA TALK】
記者人生とともにあるノート

田中 僕のこだわりの仕事道具は、ずっとこのノートです。無印良品のノートで210円。安い・分厚い・手頃。それがこのノートを使っている理由です。本格的にサッカーライターを始めた2008年から使っています。一時期、鹿島の番記者、みんなコレという時代もありました。コレのノートにジェットストリームのボールペンを使っています。

田中 滋(たなか・しげる)

1975年東京生まれ。上智大文学部哲学科卒。2008年よりJリーグ公認ファンサイト『J’sGOAL』およびサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の鹿島アントラーズ担当記者を務める。著書に『鹿島の流儀』(出版芸術社)など。WEBマガジン「GELマガ」も発行している