自立した〝息子たち〟。ミシャ・サッカーの先に見えたもの
ときには監督の指示を超越し、ピッチ上の選手たちの判断で最適解を見出す"ミシャ・チルドレン"の頼もしき姿があった。
▼三冠王者、撃破の陰に
53,148人の観衆が詰めかけた第9節・G大阪戦は、0-0でなかなかスコアが動かない神経戦となった。拮抗した試合展開は、約半年前のJ1第32節の同一カードとどこか似ているシチュエーション。当時は「勝てば優勝」という甘美な条件がチームの判断を狂わせたのか、終盤も前傾姿勢でゴールを狙った浦和が、そのスキを突かれる格好でカウンターから2失点を食らい、G大阪に逆転優勝を許すきっかけを作ってしまった。
しかし、同様の試合展開にも、浦和の選手たちは努めて冷静にゲームをコントロールした。決定機をそれほど創出できないもどかしい試合展開ながらも、終盤の勝負どころを見逃さず、84分にはズラタンが決勝ゴールを奪取。半年前の教訓を生かし、勝ち切った浦和は、その後無敗のまま第16節・神戸戦でステージ優勝を勝ち取った。
「相手も狙いどおりの展開だったかもしれないけど、ウチのほうがそれ以上に狙いどおりの展開だった。相手を上回れたと思う。相手にボールを持たせても慌てずに守備をできていたし、相手が前に二人しかいない状況を作れた」
G大阪戦後のミックスゾーンに充実した表情で現れた柏木陽介が、ひとしきり勝因を語ったあと、茶目っ気たっぷりな表情でこう漏らした。
「精神的にも落ち着いていたし、みんな落ち着いてゲームを運べた。一番うるさかったのは監督かな(笑)。『もっとボールを受けに行け』と言われていたんだけど、『全部受けに行ったら疲れるから』と言ったのに『それでも全部行け』と監督は言う(笑)。こっちは落ち着いてやりたいし、後ろで回しても悪くないのに。まあそこは調整しながらやっていたけど……(苦笑)。監督には『前に行け』と言われても、選手たちが慌てずにやれている。それは大きい」
こうしたエピソードはほんの一端に過ぎないが、今季の浦和は良い意味でペトロヴィッチ監督から自立している。
▼キーワードは”我慢”
「今年はより攻撃でも守備でも我慢するところは我慢するというのが、試合の中でもできていると思うし、それが結果にも表れている」
主将の阿部勇樹がそう語るように、”我慢”はステージ制覇を成し遂げたチームの重要なキーワードの一つである。しかし、攻めの美学を貫くペトロヴィッチ監督からすれば、それは本望ではない部分は少なからずある。前述のG大阪戦における指示はその一端だろう。
それでも、チームは冷静に戦況を見つめながら、その状況に即した戦い方を選択してきた。「ここは球際で厳しく行こう。いまは引こうといった声がけがチームとしてできている。それを1人、2人ではなく、5、6人の選手でできている」とは柏木の弁。そして、背番号8は「選手たちが試合の中で何をしなければいけないのか、冷静に判断できていることが大きい」と言葉を続ける。
昨季、リーグ優勝まであと一歩に迫りながらも、タイトルを逃した経験が選手たちを一回り成長させたのだろう。昨季最終節・名古屋戦後に槙野が「ときには嫌われ者になっても発言しないといけないところはしていかないと。真のリーダーシップじゃないけど、一人ひとりがキャプテンの自覚を持つことが必要」とのコメントを残していたが、それを今季の浦和は一人ひとりが実践している。
もちろん、監督の存在を否定しようといった類の話ではない。ステージ優勝を決めた神戸戦後、選手たちは口々にペトロヴィッチ監督へタイトルを捧げたかった旨の発言をしていたように、「今年こそは何かを残さないとミシャに対しても失礼」(柏木)という思いを共有している。
「ミシャのサッカーありきで試合をしている中で、選手たちが判断しないといけないことを選手たちでしっかりとできている」(柏木)
監督の指示がすべて善、というわけではない。実際にピッチ上でプレーする選手たちで最適解を見極められていることが、今季の浦和の強みである。
郡司聡
茶髪の30代後半編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』編集部勤務を経て、現在はフリーの編集者・ライターとして活動中。2015年3月、FC町田ゼルビアを中心としたWebマガジン『町田日和』(http://www.targma.jp/machida/)を立ち上げた。マイフェイバリットチームは、1995年から1996年途中までの”ベンゲル・グランパス”。