ハレ舞台としての選手権。リーグ戦文化が育った現代だからこそ持つ意味とは?
博識の党首・大島和人は、ちょっと大きな視点から「現代の選手権」を語る。リーグ戦文化が広がりつつある今だからこそ見えてきた選手権の価値とはなんだろうか?
リーグ戦もまた「負けられない戦い」になってきた現代だからこそ、選手権は「チャレンジ」が肝になる (C)Kawabata Akihiko
▼全国津々浦々にサッカーがある時代
サッカーが”国民的スポーツ”になった結果として、日本各地から人材が出てくるようになった。アギーレ・ジャパンのメンバーを見れば大分、愛媛、徳島、新潟、宮城、青森、石川と選手の出身地が全国に散らばっている。地域間格差が消えたことで、近年の選手権は盛岡商(岩手)、鵬翔(宮崎)といったダークホースが制したケースもある。県名だけで強弱を判断できなくなった。
Jリーグ開幕以前は優勝校、地域がかなり偏っていた。帝京は20年間で6度も優勝しているし、そうでない年も静岡、埼玉、長崎といった”定番”が覇権の多くを占めている。力量差のある対戦が多いから、有力校はリスクを避けた”横綱相撲”で大舞台に臨んでいた。しかし高校サッカーの勢力図が変われば、戦い方も変わる。どこか突き抜けた、乗ったチームが覇権を取る――。それが2010年代の高校サッカーではないだろうか。
▼”リーグ”と”選手権”の二重構造で
“ハレとケ”という言葉がある。前者は文字通り晴れの場であり、後者は日常を意味する。どちらが楽しいかと言ったら、それは当然”ハレ”だろう。しかしいい日常がなければ”ハレ”も貧しいモノになる。
選手権は今も昔も変わらぬ「晴れ(ハレ)舞台」だが、この十数年で大きく変わったのが日本サッカーの日常である。本田裕一郎・習志野高監督、布啓一郎・市立船橋高監督(ともに当時)らが主導して1990年代後半に立ち上がった「私設リーグ」である関東スーパーリーグは、それに先鞭を付ける試みだった。
1試合で終わりかねないトーナメント戦と違い、リーグ戦はどのチームも実戦経験を平等に積める。ほどよい頻度で試合ができるから、選手に過剰な負荷がかからず、修正の時間も取れる。一度の失敗ですべてが無になるトーナメント戦より、ある程度は思い切ったことができる。リーグ戦にはそういったメリットがあるとされていた。
関東スーパーリーグは2002年に関東U-18サッカーリーグとしてクラブチームも混ぜる形で公式戦化され、翌03年から、より発展的な解消を遂げる。JFAがこの試みを公認し、全国に拡げたからだ。さらに2011年からはプリンスの上に”プレミア”というカテゴリーが設置され、日本を東西に分けたU-18年代のトップリーグが誕生した。以前は夏休み前に終えられていたリーグ戦も通年化され、ホーム&アウェイで年間18試合行われることが一つの標準になっている。
しかしこの試みが浸透し”序列”が整理されと、リーグ戦も実力接近による”戦国時代”に突入した。その帰結としてどうなったか――。
2014年度のプリンスリーグ関東は、プレミア参入戦に進出できる3位・前橋育英高と、県リーグ降格の瀬戸際である8位・浦和レッズユースまで、6チームが勝ち点『4』の差に密集していた。18試合を戦って、これだけしか差が付かないのだ。となれば、リーグ戦はリーグ戦で1試合も疎かにできない。必然的に、リーグ戦こそが冒険できない、負けられない戦いになってきているのではないか。
もちろんぎりぎりの戦いは、選手をたくましくする。1点の重みを知り、用心深くなった選手たちが、この国にリーグ戦文化を根付かせてくれるだろう。その価値を軽んじるつもりは一切ない。
しかし選手も客もパーッと弾ける”ハレ”の場は、エンターテインメントとして面白い。報道が増えるから盛り上がるのか、盛り上がるから報道が多いのか、”鶏と卵”の議論はこの際置いておこう。とはいえテレビや新聞が盛んに扱い、スタジアムも少なからぬお客が埋めてくれることで生まれる”熱気”が、良くも悪くも選手を煽る。
日常が重苦しいからこそ、お祭りで弾ける。この国には古よりそういう二面性が根付いていた。選手権に臨む選手たちは、よくも悪くもどこか浮かれている。だから試合を見ると、あり得ないミスが起こるし、逆にいつもなら有り得ないスーパープレーも飛び出る。そういう不確定要素こそが、選手権の面白さと言っていい。選手権のプレッシャーが小さいとは言わないが、負けてもゼロになるだけだ。マイナスにはならない。負けても”降格”はない。言葉は悪いかもしれないが、選手権にはハイリスク&ハイリターンのギャンブル性がある。日常のリーグ戦が重苦しくなったからこそ、選手たちは最後の大舞台で弾けるし、その結果として番狂わせも起こる。
▼挑戦者メンタルが波乱を呼ぶ
私が目の当たりにした中で、特に驚かされた快進撃は12年度の鵬翔高だ。1回戦、2回戦ともスコアレスからのPK戦で”その先の快進撃”を予感させる要素はほぼ皆無だった。しかしそんなチームが3回戦で佐野日大、準々決勝で立正大淞南を退け、優勝まで突っ走っていってしまったのである。もちろん相応にグッドチームだったし、特に守備は出色だったが、3回戦以降は言ったらどの試合も”番狂わせ”だった。最初がギリギリだったからこそ、選手たちは突き抜けて怖いもの知らずになり、気付くと”ゾーン”に入っていた。
選手権には”負けたら終わり”の悲劇性と同時に、”負けてもゼロになるだけ”という気持ちの入れ方もある。そんな大会だから恐れ知らずの、挑戦者メンタルを持ったチームが有利になる。それがトーナメント戦の醍醐味であり、特徴ではないだろうか。
大島和人
出生は1976年。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。ヴァンフォーレ甲府、FC町田ゼルビアを取材しつつ、最大の好物は育成年代。未知の才能を求めてサッカーはもちろん野球、ラグビー、バスケにも毒牙を伸ばしている。著書は未だにないが、そのうち出すはず。