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“サッカー専門学校”が高校選手権? 特別な環境に特別な心意気。初出場・開志学園JSCが秘めるもの

平野貴也が注目したのは雪国の"サッカー専門学校"開志学園JSC。選手権初出場となる彼らが抱く特別な思いとは......。

93回目を迎える伝統行事、高校サッカー選手権大会が12月30日より首都圏で開催される。今週の『J論』では、高校サッカーを取材してきた6人の筆者が、それぞれ少し視線と論点を変えながら「高校サッカーの風景」を描いていく。四番手に登場する平野貴也が注目したのは雪国の”サッカー専門学校”開志学園JSC。選手権初出場となる彼らが抱く特別な思いとは……。

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校舎の目の前にはピッチが広がる (C)takaya hirano

▼中国、九州へ時代逆行(?)のバス移動

「ケツが壊れるかと思いましたよ」

 開志学園JSCの主将を務めるMF伊藤大貴は座り直すような動きをして、そう言った。

 新潟に雪が降っていた今年2月、決して大きいとは言えないチーム所有のバスに揺られて新潟から九州まで出向き、強豪校めぐりをしていたのだ。荷物も含めてバス1台。交通網の発達した現代で、何が嬉しくてこんなことをするのかと言いたくもなる苦行である。

 かつての強豪校にはありがちなエピソードだが、科学的な根拠に由来する効率的なトレーニングが求められる時代の流れに逆行するような遠征だった。中国、九州地方へ出向き、作陽(岡山)、神村学園(鹿児島)、大津(熊本)などの強豪校と練習試合を行い、試合がない日は走りを中心としたトレーニングに明け暮れた。

 無理をすれば強くなるわけではない。それはもちろん知っている。宮本文博監督の狙いも、サッカー面でのチーム強化というよりは、強豪校の姿を”見せる”ことに重点が置かれていた。

 どうにかケツを壊さずに帰って来た伊藤は「死ぬかと思ったけど、だいぶ良い経験になった。すごく強いチームとやらせてもらって、最初の作陽戦は0-5ぐらいでチンチンにやられた。最後の広島国泰寺戦以外は、全部負けた。強豪校はサッカー以外の面でも規律や礼儀がしっかりして、サッカーに対する考え方というか接し方が違った。あの後から、締まらない雰囲気になることが減って来た」と文句を言うどころか、むしろ手ごたえを口にしていた。

 無茶な遠征を試みたのは、理由があった。

 開志学園JSCは、今季が創部10年目。後述するように、いわゆる”サッカーの専門学校”として立ち上がった経緯があるだけに、多くの人から努力の証を認められる高校選手権の全国大会出場はチーム結成当初からの悲願だった。

 ところが、県予選で常にベスト4には入るものの、その先の扉はなかなか開かれず、県内で”シルバーコレクター”として知られるに留まっていた。「何かを変えなければ、全国大会に出なければ」という思いから、変化のきっかけを求めたというのが、遠征の背景にはあったのだ。憧れ続けた全国大会を前にして、宮本監督は「(今年のチームに関して)一番大きく変えたのは、あれぐらいしかない。効いたのかもしれない」と笑った。

▼特殊な”専門学校”として
 開志学園JSCは、特殊な環境にある。

 JSCは「ジャパンサッカーカレッジ」の略で、専門学校にあたる。JSC単体では高体連への加盟もできず、一般の高卒資格も取得はできないのだが、同じNSGグループ(スポーツ界ではJ1新潟を含むアルビレックス全体を支援していることで知られている)が経営する開志学園のスクーリングを受けることでこの問題をクリアしている。所属する生徒は、男女のサッカー部と新潟ユースの選手たち。今夏には、「生徒全員が全国大会出場」という普通の高校ではあり得ない珍現象も起きた。卒業する際には開志学園とJSCの二つの卒業証書を手にするというから、かなり特殊な学校であることは間違いない。

 その中で、男子サッカー部には各地から高校3年間でサッカーに打ち込みたい選手が集まって来ている。ただし、歴史が浅く、知名度は高くない。集まって来る選手のレベルが全国クラスとは言い難い。岐阜県出身のGK子安崇弘は「県内ではどこからも声がかからなかった」と言う。県選抜に選ばれた2年生MF石塚功志は、東京都の街クラブ出身だが、先発に定着していない選手だった。主将の伊藤にいたっては、入学当初は誰もが「一番下手」と見なすレベルの選手だったという。

 しかし、サッカーの専門学校と言うだけあって、やる気さえあれば天国のような施設が揃っている。寮の目の前にピッチと校舎があり、校舎の中にはトレーニングルームも完備されている。雪の日は体育館でも練習ができる。7月に練習を取材した際、5人の選手に話を聞いたが、環境面で気に入っていることは何かと聞くと、全員が「目の前にピッチがあること」と即答した。

 その気になれば、いくらでも練習ができるからだ。伊藤は「今はキャプテンやらせてもらっていますけど、入学当初は間違いなく、僕が一番下手でした。ほかの人に聞いてみれば分かります。スタッフにもボロクソに言われました。でも、それが悔しくて、相当に練習をやり込みました。5時半に起きてグラウンドに出て自主練習。7時に朝食を食べて、午前練習。寮に帰って授業を受けて午後練習。その後に自主練習をやって、晩ご飯を食べて、また夜にも練習していました。とにかく負けたくなかったんですよ」と勢い任せに猛練習を積んでいた1年次の自分を振り返った。

 ほかの選手も自主練習をしている姿をよく見かけるという。県内の有望株ではなかった選手たちが、環境に意欲を存分にぶつけることで、全国大会に出場する選手へとのし上がって来たのだ。自前の環境で磨くだけでは足りず、地方の強豪校にも学ぼうとした今季、ついに10年に及んだ重い殻を破った。

「県予選を勝たなければいけない」という義務感と重圧から解放された選手たちは今、本来の前向きな姿を取り戻しつつある。宮本監督は、自分の立場で言うのはおかしいと前置きをした後で、「開志が全国大会でどんなサッカーをするのか、楽しみですよ」と言い切った。

 自分たちが何をするために開志学園JSCへ入り、どのように変わったのか。それを証明する戦いが、いよいよ幕を開ける。

平野貴也

1979年3月1日生まれ。東京都出身(割りと京都育ち)。専修大卒業後、スポーツナビで編集記者を経験。1カ月のアルバイト契約だったが、最終的に6年半居座る。2008年に独立。フリーライターとして大宮のオフィシャルライターを務めつつ、サッカーに限らず幅広く取材。どんなスポーツであれ、「熱い試合」以外は興味なし。愛称の「軍曹」は、自衛隊サッカー大会を熱く取材し続ける中で付けられたもの。