ベトナム代表監督・三浦俊也、苦闘と奮闘の半年を経た現在の心境は?
異なる国の代表を率いて半年。かつて大宮や札幌などで辣腕を振るった三浦俊也氏は、いま何を思うのか?
▼日本人指導者の歴史的第一歩
半年ぶりの再会だったが、「おお、ツッチー」といういつものフレーズも、いつもの笑顔も変わらない。ただ、彼の左胸には赤地に黄色い星の付いた国旗のエンブレムが刻まれている。三浦俊也、51歳。その人こそ、ベトナム代表を預かる日本人指揮官である。
意外なニュースが我々の元へ飛び込んで来たのは今年5月のことだった。
「三浦俊也氏、ベトナム代表監督就任決定」
大宮をJ1へ昇格させると共に定着させ、札幌では監督として当時史上初となる2クラブ目の昇格を経験し、その後も神戸や甲府などを率いてきた三浦氏が、次なる就職先に選んだのはベトナムの、しかもフル代表だというのだから驚かされた。
今までにも影山雅永・現岡山監督がマカオを、神戸清雄・元千葉監督がフィリピンやグアムを、木村浩吉・元横浜FM監督がラオスをそれぞれ率いてきた前例はあったものの、いずれもそれは、日本サッカー協会からの”派遣”という形。いわゆる”契約”という意味では、日本人指導者にとってエポックメイキングと言うべき就任であったことは間違いない。
今回、11月から開催されるというAFFスズキカップ2014に向けて、J-GREEN堺で3週間のトレーニングキャンプに臨んでいるベトナム代表を直撃し、三浦監督から色々な話を伺うことができたので、皆さんにご紹介したいと思う。
▼英語だけが唯一の伝達手段
「Pressing!Pressing!Good!」
英語の指示が三浦監督から飛ぶ。横にいる通訳がその英語をベトナム語に訳し、ピッチの選手へ伝える。チームスタッフには日本語を解す人間は一人としていない。来たる日のことを想定し、以前から海外への短期留学まで行いながら習得に勤しんできた英語が唯一無二のコミュニケーションツールだ。
取材に訪れた日は全日本大学選抜とのゲームが組まれていたが、球際で負けるシーンが目に付いた。「攻撃になったらやるんですよ。でも、守備がおろそかなヤツが多いし、国民性ですよね。日本人は嫌なことでもやるけど、彼らは嫌なことはやりたくない、と。それはサッカーに完全に出ていると思いますね」と三浦監督は言う。
この日も「Too weak,for the player!」というフレーズが再三口を付く。それでも、数回はオフサイドを意識的に取るような場面もあり、守備面でも一定の規律はあるように見えた。その部分に関しては「守備のコンパクトさは俺が植え付けたかな。あまりにもヒドかったから。5人が守って5人が攻めるみたいなサッカーだったから、それは『No !』と言って」とのこと。国民性もあって、とりわけ守備の意識を徹底する部分に腐心している様子だった。
就任から早くも5カ月が経過した。三浦監督はベトナムの国民性を表わすような、こんなエピソードを明かしてくれた。「良く言えばみんなおっとりしているというか、あまり攻撃的な国民性じゃないので、ぶつかり合いが嫌いなところは日本人に似ていますね。そういう意味では楽です。ランチなんかも日本人が15分とか20分くらいでコンビニ弁当を食べているのと比べると、『ゆったり』という感じですね。あと、昼寝の時間があるんですよ。サッカー協会は8時半が始業ですけど、8時半から9時の間にみんなが来て、12時から14時まで休みですからね。1時間は昼寝で、ビールを飲んでいる人もたくさんいるし、それで16時半で終業ですから。それなのに『もっと良い椅子が欲しい』とか何とか言っていて……。『オマエ、良い椅子が欲しかったらもっと働けよ』と思うけど(笑)」。
言うなれば、アジアの”ラテン”。ドイツへの留学経験も手伝ってか、比較的ベトナムの生活にも順応しているようだが、「スケジュールが平気ですぐに変わってしまうのは辟易している」とのこと。国内リーグに当たるVリーグのスケジュールも変更が多いようで、目下それが一番の悩みだということだ。
ただ、ことサッカーとなれば国民の関心はとにかく大きい。その熱狂度は「日本と比較にならない」と三浦監督は話す。「代表監督は待遇がまるで違います。私は『運転するな』って言われているので、運転手がいて、車があってという。もうその運転手は私に付いてから交通違反で5回くらい捕まっているけど、その運転手が『この人は代表監督です』って言うと、警官も『ああ、どうぞどうぞ』だからね(笑) あと面白かったのは、代表の試合に行くのにポリスエスコートが付くんですよ。ベトナムはバイクがゴチャゴチャ凄いので、それも蹴散らしながらね(笑) 『ああ、代表って特別なんだな』と思いました」。2008年にAFFスズキカップで優勝した際には、普段20分ほどで到着するスタジアムからホテルへの道のりが4時間掛かったというから、当時の状況は想像できるだろう。
▼指導者も海外を目指す時代へ
ベトナム代表にとって、現在の目標は11月22日に開幕するAFFスズキカップ(東南アジア選手権)で準決勝以上まで勝ち上がること。”ASEANのワールドカップ”とも称されるこの大会の注目度は相当高い。金銭面の負担も小さくない今回の3週間にも及ぶ日本キャンプへGOサインを出すあたりにも、サッカー協会としての本気度がうかがえる。
また、今回はベトナムの首都ハノイとシンガポールの共催となっており、そのあたりも負けられない理由の一つだと言えそうだ。日本も参加した先月のアジア大会でもグループリーグでイランを破り、UAE相手にも敗れはしたものの、「勝てる内容だった」とのこと。「ニュートラルな場所だったら中東のチームとはやれるんだなと、ちょっと彼らを見直した所はありました。全然手も足も出ないと思っていましたから」と語るアジア大会のメンバーを新たに加え、日本キャンプで全日本大学選抜や京都サンガ、ヴィッセル神戸など、普段は戦えないような実力を有するチームとの実戦経験を積んで、1カ月後の真剣勝負へ挑むことになる。
私事で恐縮だが、三浦監督とは解説者時代に出会ってから10年来の親交がある。一見クールで、ややもすればドライな印象をお持ちの方もいるかもしれないが、実際の”俊也さん”はフランクで非常に繋がりを大事にする方だ。私は自身の結婚式当日のことを思い出す。シーズン前のキャンプ期間中ということもあり、結婚する旨だけは報告したものの、式などの詳細は伝えていなかった。
だが当日、”俊也さん”から祝電が届く。温かいメッセージと共に添えられていたのは、率いるチームの新シーズンユニフォーム。聞けば出席者の知人に式の日付と会場を伝え聞き、自ら贈って下さったとのこと。その心遣いに深く感謝したことを記憶している。後日、”俊也さん”が指揮を執っていたクラブの広報とその話になった。すると、「ああ、アレってツッチーのだったんだ!」と驚いた様子。続けて「いや、実は俊也さんが『新シーズンのユニフォームってもう買える?』って言うから、『買わなくても貰えますよ』って返したんだけど、『いや、買うよ』って。でも、ユニフォームが必要な理由を聞いても一切言わないから、女性にでもあげるのかと思ったよ」と明かしてくれた。”俊也さん”とは、そういう人である。
長くお話を聞かせて頂いた最後に、三浦監督へこう聞いてみた。「ベトナム代表監督をやることで、個人としてはどういう部分を自分に期待していますか?」と。少し考えてから、彼はこう言葉を紡いだ。
「ステップアップの一つとして、代表だからオリンピックだったりワールドカップに出られるような、そこに接近できるようなところまで(やりたい)というのはありますね。別にACLに出るんだったら日本じゃなくてもいいですし、ワールドカップに出るのもオリンピックに出るのも、別に日本じゃなくてもいいわけですから、やっぱり監督も”外”に出ないとなというのは常々思っていたので。マーケットは世界中にあって、選手だって”外”に出ているわけですからね」
プロキャリアはおろか、トップリーグでの選手経験もないままにドイツへ単身留学を果たし、帰国後は4つのJクラブを率いた異色の指揮官が挑む新たな”外”での冒険。”俊也さん”の今後から目が離せない。
土屋 雅史(つちや・まさし)
1979年生まれ、群馬県出身。群馬県立高崎高校3年で全国高校総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出される。早稲田大学法学部卒業後、2003年に株式会社ジェイ・スポーツへ入社。同社の看板番組「WORLD SOCCER NEWS 『Foot!』」のスタッフを経て、現在はJリーグ中継プロデューサーを務める。近著に『メッシはマラドーナを超えられるか』(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。