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【東京V】平本一樹、高木純平が現役引退を表明

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【無料記事】【SBGニュース】平本一樹、高木純平が現役引退を表明(17.12.9)スタンド・バイ・グリーン

状況に応じ、気の利いたプレーができる高木純平にはずいぶんと助けられた。
状況に応じ、気の利いたプレーができる高木純平にはずいぶんと助けられた。

■頭に浮かぶのは後悔ばかり

12月8日、平本一樹と高木純平がクラブを通じて現役引退を表明。9日、クラブの公式イベント『MJS presents クリスマスサッカー教室2017』に参加したふたりを多くのサポーターが待ち受け、別れを惜しんだ。

「最後はサポーターのみんなに胴上げまでしてもらって、ほんとうれしかった。ここでは自分の人間的な部分もきちんと見てもらえたのかなと思います」

高木純は晴れやかな笑顔を浮かべる。

「気持ちはスッキリしています。ただ、現役を振り返ると、後悔ばかりですね。なぜ、あのとき――。たくさんの悔いが残っている。頂点を極めた人間以外、そうなってしまうのは仕方のないことかもしれませんが」

誰もが憧れる日本代表に入りたかった。もっと多くのタイトルを獲得したかった。個人の賞も選ばれてみたかった。高木純の口から率直な思いがあふれる。

「一番印象深いゲームはなんだろう。やはり清水エスパルスでのプロデビュー戦でしょうか。昔、東海チャンピオンシップという大会があって、相手はジュビロ磐田。僕の対面は、川口信男さんでした。この人がめちゃくちゃ速い。試合前、トイレに駆け込んで緊張を鎮めていたのを憶えています」

そのデビュー戦の結果は。

「エスパルスの快勝です。自分も2アシストと活躍できた。ヴェルディでも最も記憶に濃いのは移籍後初のゲームかな。2016年の開幕戦、先発で出て札幌に勝った」

さて、高木純のサッカー人生の第一部は幕を下ろした。この先にはどんなビジョンがあるのか。

「引退後のことは僕なりにじっくり考えてきました。確実に言えるのは、これからの人生のほうが長いということ。サッカーを教える指導者にはそれほど興味がないですね。進路はおおよそ見えていて、そのうちご報告できると思います」

◎高木純平(たかき・じゅんぺい) 1982年、熊本県生まれ。清水エスパルスジュニアユース‐清水エスパルスユース‐清水エスパルス‐コンサドーレ札幌‐清水‐モンテディオ山形‐東京ヴェルディ。正確な技術とユーティリティ性の高さでサイドバック、サイドハーフ、ボランチなど複数のポジションをこなす。冷静に現実を捉える語り口も魅力だった。
◎高木純平(たかき・じゅんぺい) 1982年、熊本県生まれ。清水エスパルスジュニアユース‐清水エスパルスユース‐清水エスパルス‐コンサドーレ札幌‐清水‐モンテディオ山形‐東京ヴェルディ。Jリーグ通算227試合7得点。正確な技術とユーティリティ性の高さでサイドバック、サイドハーフ、ボランチなど複数のポジションをこなす。現実を冷静に捉える語り口も魅力だった。

クラブを象徴するプレーヤーだった平本一樹。
東京ヴェルディを象徴するプレーヤーだった平本一樹。

■人間の本性をぶつけてくれた

「引退間際は、もっと葛藤があるかと思ったんですけどね。周りの先輩たちを見てきて、そうでしたから。今回、契約満了を告げられ、スパッと切り替えられました。ほかのチームでプレーすることは考えられなかった」

平本はさばさばした口調で言う。

「ああやってたくさんの人たちに送り出してもらい、ありがたい気持ちです。だけど、もうちょっと期待に応えたかったなあ。本心からそう思う。若い頃からサポーターに期待されていたのはわかっていましたから。自分はムラがありすぎた。ムラモトと呼ばれたくらいです。チャラついていたときはチャラモトと呼ばれたことも」

プロ生活18年で、通算413試合74得点の実績を残した。が、数字にどれほどの意味があるだろう。平本の回顧もまた、目に見えるものではなく感覚的な事柄だった。

「よく憶えているのはね、試合中のブーイングや試合前に自分の応援歌を飛ばされたこと。プレーしているとき、ベンチにいる森本(貴幸)の歌が聞こえてきたこともあった。そのときはムカつきましたよ。でも、自分と同じ目線で、同じ気持ちになって、応援し、愛してくれていたんだなと思います。あそこにあったのは、人間らしい、むき出しの本性みたいなもの。それを容赦なくぶつけてくれた。自分でもいまいち気持ちがノッてないなというときに、バチンッと。その頃に比べると、いまはだいぶやさしいですね」

緑のシャツをなびかせ、強引に突破を仕掛ける平本のドリブルはもう見られない。主をなくした25番が宙に浮いている。この喪失感が、やがて深いものになるのを僕は覚悟する。

「たった一度の人生ですから、獲れるものは全部獲りにいきたい。学べるものは片っ端から勉強していくつもりです。ご存知のとおり、僕にサッカー以外の仕事ができるとはとても思えないので。指導者、強化の仕事、これからどんどんチャレンジしていきます」

差しあたって、平本は12日から日本サッカー協会 B級コーチ養成講習会に向かう予定だ。

◎平本一樹(ひらもと・かずき) 1981年、東京都生まれ。読売日本SCジュニアユース‐読売日本SCユース‐ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969‐横浜FC‐東京V‐FC町田ゼルビア‐ヴァンフォーレ甲府‐東京V。育成組織からの生え抜きで、パワフルなドリブル突破は多くのファンを魅了。何かと率直すぎる人柄でも人気を集めた。

◎平本一樹(ひらもと・かずき) 1981年、東京都生まれ。読売日本SCジュニアユース‐読売日本SCユース‐ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ1969‐横浜FC‐東京V‐FC町田ゼルビア‐ヴァンフォーレ甲府‐東京V。Jリーグ通算413試合74得点。育成組織からの生え抜きで、パワフルなドリブル突破は多くのファンを魅了。あけっぴろげすぎる人柄でも人気を集めた。


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