FC東京の番記者が『河野広貴』をアギーレ・ジャパンに推す本当の理由
彼には点を獲る仕事を期待したい。誰が監督でもできるはずだ。いまの河野広貴なら。
▼多士済々の青赤軍団
ハビエル・アギーレ監督は激情的な性格とされる。
映画『アギーレ、神の怒り』でアマゾン分遣隊の副隊長の任にありながら勝手にジャングルを突き進んだ主人公ドン・ロペ・デ・アギーレのように、日本サッカー協会の思惑を離れて我が道を往く可能性がないでもない。フォーメーションだって何を採用するかわからない。
まして一介のフリーランスジャーナリストが何を言ったところで彼が聞く耳を持つだろうか。自分にできる作業と言えば、日頃観察しているFC東京から、日本代表にふさわしい能力の持ち主を推薦することくらいだ。
とはいえ、これが難しい。
既に代表に選出されて久しい権田修一、森重真人、高橋秀人、昨年の東アジアカップで活躍した徳永悠平だけでなく、いまの東京には代表に推薦したい選手がたくさんいる。マッシモ・フィッカデンティ監督が常々言うように「若い選手や昨年まで出場機会の少なかった選手」を多く起用しているおかげで、選手層が厚くなっているからだ。
左足のクロスと直接FKに絶大な自信を持つ太田宏介。マスチェラーノなにするものぞ、のボール奪取が光る米本拓司。最後の精度がおぼつかないがとにかくフィニッシュまでドリブルで突っ切る武藤嘉紀。復活の大砲、動きが機敏すぎて違和感があるほどの平山相太。強烈な左足でゴールを奪う三田啓貴。すっかり故障が癒え、強さと高さで確実に防波堤となる吉本一謙。……挙げていくとキリがない。
そんな多士済々の青赤軍団から、あえて河野広貴を選んでみたい。「トップ下がある3バックなら使ってもらえるかも」という弱腰の計算で申し上げているのではない。前述のとおり、アギーレがどんなフォーメーションを採用するかはわからない。ただ、能力の点で、彼をチームに加えたら面白いのではないか、と思うだけだ。
▼2年の雌伏で得た進歩
J1第17節対ベガルタ仙台戦の試合後、[4-3-1-2]の[1]で1ゴール1アシストと結果を残した河野に、代表となる未来を見ているかどうかを訊ねた。答えはこうだった。
「見ていないというか、とにかくチーム、いまはチームのことでいっぱいなので。自分というよりも、とにかくチームが上に行くことを考えているから。それをやってからだと思う。まずはチームのことです」
代表よりもFC東京のことが心配なわたしにとって、彼の答えは満足すべきものだ。そしてFC東京が上位に進出すれば、周囲は彼を放っておかなくなるだろう。
マッシモ・フィッカデンティ監督は河野広貴を「純粋なトップ下」だと評している。チーム内の激しい競争を勝ち抜き、先発の座を獲得している背景に、この個性が寄与していることはまちがいない。
全体の水準が上がると、そこから抜きん出た個でありつづけるのは難しい。目立って見えるには、高い水準のなかでもほかとちがうとわかる、何かがないといけない。
たとえば1996年のアトランタ五輪、サッカー男子日本代表。あの中で前園真聖だけは「世界に伍してやってくれるかもしれない」という期待を抱かせたはずだ。選手の能力が低いはずの後進国でも、世界と対等以上にやれるタレントがいるのだという事実は、チームメイトや応援にまわるファンをも奮い立たせる。1994年のW杯でブルガリア代表がベスト4にまで躍進できたのは、フリスト・ストイチコフがいたからだ。
河野には、それがある。
2012年のACL、一発勝負のラウンド16。アウェイで広州恒大と対戦した東京は、0-1から同点に追い付こうとするものの打開策がなく、84分に河野を投入した。残念ながら得点こそならなかったが、個人技とアイデアでチャンスをつくり出し、「河野ならなんとかしてくれる」といった匂いを醸し出すことはできていた。
地面をゴリゴリバキバキと叩き割るかのような重心の低いドリブルは日本のレベルを超えている。河野が入団した時点で、そうした武器は石川直宏と彼のふたりだけだった。
過去の実績からドリブルだけでなく創造性にも信頼がおける存在であることはわかっていたが、パスワークと自己犠牲を主題に掲げるランコ ポポヴィッチ前監督政権下では、ほとんど出場機会がなかった。ときに、紅白戦で用意された河野のポジションはボランチであることもしばしばだった。しかも、同じ左利きの大竹洋平との横ならびで。
しかしその二年の下積みは、彼の選手としての幅を拡げたようだ。ハードワークすること、ディフェンスのタスクを嫌がらない。精神的にもタフになり、安定した。
マッシモ・フィッカデンティ監督が浸透させようとしているディフェンスは肉体を酷使するだけでなく頭も使う。河野は4月19日のJ1第8節で、ライバル柿谷曜一朗を擁するセレッソ大阪を迎え撃ったとき、試合当日の朝まで頭が冴えて眠ることができなかった。点を獲ることではなく、守備に頭を使ったのだ。
「朝5時だもん、寝たの。考えすぎて。そんなことは一度もないですけどね、いままで」(河野)
この試合、河野はチーム一と言っていいくらい激しく走り、中盤の広大なスペースをカバーし、仲間を助けた。河野もまた、トップ下ヨコのスペースを埋めに来る平山のサポートに助けられた。
▼”メキシコ”の時代を超えていけ
アギーレ監督の日本代表に名を連ねるにはハードワークできることが資格の第一に云々……という意見が頻出することが予想される。語弊を承知で書くなら、そんなものはくそくらえである。現代サッカーでよく走り、よく守るのは、試合に勝つために必須とされる条件にすぎない。それが当たり前にできてなお、浮かび上がる何かが必要なのだ。
その点、河野はFC東京に移籍してからの2年半で、既によく走りよく守る姿勢を身につけている。90分間保たない? キックオフから前線でハイプレッシャーをかけていれば疲れるのは当たり前だ。脚がつってきたのなら交代すればいい。
いま河野が頼もしさを増しているのは点を獲ることができるからでもある。彼は前述した対仙台戦の試合後、自身の得点場面についてこうも言っている。
「シュートはファーに向けて打ったものが相手に当たって入ったんですけれども、以前までだったら切り返したりしていたかもしれない。最近ではシュート練習でも(相手が)来ていても打っちゃうし、ゲームも打つようにしている」
ゴールネットを揺らしたのは、平山から予期せぬ速さで返ってきた高難度のパスを受けてゴール左から左足で振りぬいたもの。当然、角度はない。しかしもし持ち替えていたら利き足とは反対の右足となり、シュートコースは拡がってもシュートの威力は弱まっていたかもしれない。こういうケースでは角度がなくても思いきり振れというのが東京首脳陣の指導だ。河野は伸びた。そして相手に対する脅威となっている。頭を使い、適切な判断を下しながら、ガンガン走って守れるトップ下。チャンスをつくる創造力と技術があるだけでなく、自らゴールを決めることもできる。
欧州を見れば、前線は高さ、速さ、強さ、巧さといったストロングポイントを活かして個の力で打開しろ、という傾向にあるのは一目瞭然だろう。「守備だけでなく攻撃もコレクティブに」という日本流も悪くはないが、いい加減、勝負に勝てる個を生み出さないといけない時期に来ているのではないか。1968年のメキシコ五輪日本代表は、杉山隆一と釜本邦茂という個の力で得点を挙げていた。50年後のW杯でそれができないのでは、むしろ退化だろう。
彼には点を獲る仕事を期待したい。誰が監督でもできるはずだ。いまの河野広貴なら。