石崎信弘監督が語る『宮崎サッカー界の現状、選手育成の秘けつ』とは?【テゲバジャーロ宮崎の野望】
(前編「Jトップクラスの監督歴を誇る石崎信弘監督が『九州リーグ』のオファーを受けた理由とは?」)
▼チーム作りの現在地
–4月から天皇杯(県予選)を皮切りに、公式戦がスタートしましたが、現状の手ごたえはいかがですか?
石崎 九州リーグを初めて経験して、思ったよりもレベルが高いなという認識はあります。山形のときに福島県リーグのいわきFCとよくトレーニングマッチをしていましたが、いわきFCもメインスポンサーが付いて、立派な練習場や筋トレ道具、栄養ドリンクもそろっているなど、かなり鍛えられています。そういうチームを見ていると、相当厳しいんじゃないかなと。九州リーグで勝つだけではなく、10月にある大会(全国社会人サッカー選手権)に向けて、まだまだレベルアップしていかなければ。
–連戦があったりと、昇格は運に左右される面もあると思いますが……。
石崎 この前の天皇杯(県予選)では、2連チャンで格上のホンダロックSCには勝ったのですが、若い産経大(宮﨑産業経営大学)には負けてしまいました。僕が選手の頃もあったのですが、いまの時代、なかなか連チャンで試合をやることはないんですけどね。中国もセントラル方式ですが、必ず1日は休みますから。
天皇杯のときはJFLのチーム(ホンダロックSC)に勝ったからと、決勝も同じメンバーで戦ったのですが、やはり疲労度が高かった。ちょっと失敗したなと思います。
–選手の側だけではなく、監督やスタッフにも連日の試合を戦う意識が必要なんですね。
石崎 でも、天皇杯で経験したからこそ、沖縄(の九州リーグ)で連チャンはありましたが、相手のF.C.那覇は結構疲れた状態で戦っていましたが、ウチはうまくメンバーを入れ替えて半分はフレッシュな選手を使って5-0という結果が出ました。やっぱりそういう経験が、何試合も連チャンで戦わなけらばやいけない大会に生きてくるんじゃないかと思います。
また、ウチには年配の選手がある程度いますので、彼らをうまく休ませながらやらないといけません。そのためにも、11人だけではなく、チーム全体をレベルアップさせていくことで2連チャン、3連チャン、4連チャンの試合になったときに選手層の厚さが効いてくると思います。
–リーグ戦のほうはいかがですか?
石崎 最初に対戦した佐賀LIXIL FCというチームは、選手の出身校を見ると九州では有名なところが多い。試合の後、海邦銀行の試合を見たときも結構良いチームだったんですよ。やはりそういうチームにしっかり勝っていかないといけません。(これから先)真夏なのに昼間に試合をやるんですよね(笑)。J1では考えられないことです。
まだまだ厳しいと思います。やはりまずは九州リーグで勝たなければいけませんが、社会人選手権や全国地域サッカーチャンピオンズリーグに出たときに、どれだけの成績を残せるか。J2からJ1に上がるよりも厳しい大会です。岡さん(現・FC今治代表取締役会長兼オーナー岡田武史氏)でも1年では上がれなかったですから、それほど厳しい大会だと思っています。
–一番の課題は何でしょうか?
石崎 そのためのトレーニングをしていますが、まずは選手のレベルなどをまだまだ上げていかないと。
–何試合か見せていただきましたが、システムは3バックを中心に考えているのでしょうか?
石崎 いまのメンバーを考慮すると、3バックのほうが良いのではないでしょうか。就任したときに、Jリーグのチームと4バックで対戦すると、8点も9点も取られていたんですよね(笑)。どうしても中心になるCBがいないので……。
–またサイドの上下動が激しいという印象です。
石崎 サイドは上下運動のできる選手がそろっています。サイドが上下運動できなかったら、3バックはなかなかできないですからね。
–チーム作りは守備から固めていくイメージでしょうか?
石崎 まずは守備をしっかりと整えて失点をしたくありません。どこのリーグでも、最少失点のチームがだいたい優勝するんですよ。後ろが安定しないのに、前線でも良いサッカーはできません。守備も下がってゴール前を守るようなリアクションではなく、自分たちからアクションを起こして、できるだけ高い位置でボールが奪える形をやっていくと選手たちにも伝えています。
▼身を置いて感じた宮崎の現状
–J空白県・宮崎のサッカー界の現状をご覧になっていかがでしょうか?
石崎 まずお客さんが少ないですね(笑)。野球でもサッカーでもそうですが、結構有名なチームがキャンプで来て、無料で練習を見られますから、お金を払ってスポーツを見る文化が育っていないのかもしれません。
–先日の天皇杯県予選では入場料が1,000円だったのですが、それでも「高い」という声を耳にしました。
石崎 20年前に山形にいた頃、山形もいわゆる”スポーツ不毛の地”で、強いスポーツチームがありませんでした。当時はJFLで16チーム中、10位、8位、5位、3位と順位が年々上がっていったんですよ。でもNEC自体がJFLから撤退したいという意向を示しました。そこでチームを何とか残したいと、いまは株式会社になっていますが、県が中心になってチームを社団法人にして存続させました。
JFLの頃は無料のチケットで入ったり、NECの工場の人が観に来るなど、試合を観戦する方々はそういう文化だったと思いますが、それが地域のプロチームになることで、お金を出してもこのチームを何とかしたいという思いになっていったんですよね。
宮崎もいまはそういう文化がないかもしれませんが、次第に成績が出るようになってきて、チームを応援したいという形になってくれば、お金を払ってでも観たいと変わっていくと思います。そのためにはチームが強くならなければ。いまいる選手たちが頑張らないといけませんし、補強も絶対必要だと思います。
–いわゆるJの世界から地域リーグのチームに来られて、監督ご自身が日本のサッカーのために、ここからこういうことをしたいと思っていることはありますか?
石崎 そんなに偉そうなこと言えないですけど……(笑)。Jで拾われていないけど、才能のある選手はいると思いますから、そういう選手を鍛えて、少しでも日本の選手層を厚くしていきたいと思っています。結構過去に率いた僕のチームでも成長していく選手はいますから、そういう日の目を見ていない選手が僕と出会って意識が変わり、J1やJ2の舞台に少しでも行ける選手を輩出したいと思います。
–選手育成の秘けつはあるのですか?
石崎 ないですよ(笑)。
–選手個々によって対応を変えているのでしょうか?
石崎 いや、僕は僕のままですし、それを選手が受け入れるかどうかです。恐らく僕は、ほかの人よりも許せる範囲のキャパが広いんだと思う(笑)。やっぱ厳しい方は、やってはダメだという「こんなこと」「あんなこと」いうことが、ものすごく目に付く方もいると思います。僕の場合は「これぐらい問題ないじゃろう」となりますね。それがトレーニングに支障をきたすようでは良くないですが、恐らく許せる範囲が広いんじゃないのかなと、自分自身では思っているんです。
–広く構えることで、うまく軌道修正につなげているんですね。
石崎 意識的にやっているわけじゃないんですけどね(笑)。
【プロフィール】
石崎 信弘(いしざき・のぶひろ)
1958年3月14日生まれ、59歳。広島県広島市出身。1995年、NEC山形(現・モンテディオ山形)監督に就任したのを皮切りに、大分、川崎、柏、札幌、山形、中国・広州緑城U-18などで指揮を執る。Jリーグで指導歴は歴代最多。好きな食べ物と得意料理は、広島焼き。