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岐阜スタイルの表出論 expressionism【好調・岐阜の理由を紐解く】

第13節は試合終了間際の失点で追い付かれる悔しい引き分け。順位をさらに一つ落としたが、第15節まで連戦となるこの時期に下を向いている暇はないし、日々修練に勤しむFC岐阜の選手たちが心を折ることはないはずだ。この連作コラムの第二回では、大木武監督が掲げるメソッドとマインドが浸透し、試合で発揮できるようになってきた現在のチームがどういう状態にあるのかを考えていく。
(第1回「大木サッカーの方法論 methodology」)

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▼序盤に直面した難題

 素早い攻守の切り換えを見せ、高いボール支配率を実現し、相手の裏を突く華々しい攻撃で観衆を魅了、レノファ山口FCと引き分けたFC岐阜は、続くJ2第2節でも”ビッグクラブ”の名古屋グランパスを相手に引き分けて世に鮮烈な印象を与えた。

 しかし第3節の松本山雅FC、第4節の横浜FCと、食い付いて来ない相手には分が悪く、連敗。「4試合のうちで出来としては一番良くなかった」と大木武監督が語った3月19日の第4節、長良川競技場での横浜FC戦では、岐阜は相手を越して裏を取ることができなかった。それでも相手を押し込んだままゴールまで押し切った状態でPKを獲得して先制したが、裏を取れない問題は根本的に解決できず逆転負けを喫した。

 大木監督は言った。

「山雅のときもそうだったんですけど、やり合うという感じじゃなくてですね、ワンテンポ置かれるような感じがあるのかな。見られてしまった感じで自分たちが能動的に仕掛けられない。良さが出なかった」

 仕掛けて裏を取りゴールを奪う手管は持っている。しかしそれを発揮できない状況に置かれると沈黙するしかない。

 サイドをえぐっていたが、加えてもっと創意工夫が必要かと訊ねると、大木監督は次のように答えた。

「それでOKというわけにはいかない。先週から仕掛けの練習をしたんですけれども、一つも出なかった。ただそれはいつも選手に言っているんですけれども、やったからと言ってすぐに何かが出るというかんたんなものではない」

 この試合後、大本祐槻は引いた相手に対する攻略法を教えてくれた。

「引いてくる相手に対してはどうしても”背後”がなくなってくる(※ここで攻略法。具体的な内容は伏せる)。どうしても今までのことは研究されたりもするので、そういういろいろな形を自分たちが作っていくことが必要かなと思います。同じことばかりで崩せるような相手ではない。いろいろ練習しているんですけれども、こういう場でしっかり出せるようにしていくしかないと思います」

 第1節は岐阜スタイルの見本市のような試合だったが、あれは今後発展していくための種に過ぎない。このあと、どう多くの表現を実戦でできるようにしていくかが重要だった。

▼湘南との打ち合いの末に 

 風間宏矢が腰を傷めたこともあるが、3月25日の第5節の東京ヴェルディ戦では難波宏明がセンターFWに入った。これによって少し趣きが変わった。風間の場合は中盤的なFWというか、かつての甲府で言えば茂原岳人であり、近年のゼロトップシステムで言えばフランチェスコ・トッティであり、トータルフットボール時代のオランダ代表に於けるヨハン・クライフ、そういう中盤に下がってゲームを作る仕事もする役回りが基本になっている。

 一方、難波はかつての甲府で言えば須藤大輔。相手ゴールの近くで踏ん張る力がある。この試合後、起用の意図を訊ねると、大木監督は「相手が5バックだったので、それほど落ちなくても前に張ってプレーできれば、前に張って体重がかかる部分で状況としては良いかなという気がしていました」と言っていた。難波は試合後「背後を取るのか、背後を見せておいて崩して取るのか、その辺を整理して時と状況に応じてやっていきたい」と言っていたが、あっさりと点を取るイメージはこのときすでにできていたのではないかと思う。

 また、青木翼や庄司悦大から長いボールが飛んでいたことも見逃せない点だった。ショートパスをつなぐ手法に拘泥し、目的と方法を取り違えているわけではない証左だからだ。

 月が切り換わった翌週、岐阜は再び東京を訪れ、FC町田ゼルビアに勝ち、今シーズンの初勝利を挙げた。決勝点は左からのクロスに難波がペナルティーボックス内で合わせたヘディングによるものだった。この形は想定している取り方のうちの一つだったようだが、ボールを支配して崩しながら得点を狙っていくにしろ、最終的な点の取り方は何でも良いということを示す意味もあったようにも思える。

 次節、水戸ホーリーホックにホームで勝ち連勝した岐阜は、意気揚々とShonan BMW スタジアム平塚に乗り込んだ。この第8節を迎える時点で湘南ベルマーレは2位。岐阜は14位。”格”には大きな差があったが、岐阜は堂々と渡り合い、五分以上の打ち合いで引き分けた。

 岐阜はボールを持って仕掛ける限り、いくらでも点が取れそうな状態で、勝機は十分にあった。それでも引き分けに終わった一因に、足が止まったことがあるように思える。終盤の後半49分、庄司が送ったパスに田中パウロ淳一が追い付けず決定機に持ち込めなかった場面からは、最後は体力が枯渇しているように見えた。大木監督には否定されたが……。

▼庄司悦大というタレント

 ただ、いくらでも仕掛けて崩せそうな状態だという認識は大木監督も持っていたようだ。練習してきたものを、岐阜用語で言えば”出せる”ようになってきたということだろう。大木監督はこう言った。

「どこから仕掛けるのか、どこまで運ぶのかという共通認識、日本サッカー協会で言うと『イメージの共有』と言うんですね、私は初めて聞きましたけど(一同笑)、そういうことができるようになってきている。良い言葉ですね、すごく。初めて使ったけど(一同爆笑)。イメージの共有ができてくる。『だいたいこんな感じ』というところが見えてきている、そこの浸透具合はあると思います」

 途中出場でリズムを作った風間は「前半も相手の間あいだでしっかり顔を出しているところはプレッシャーをかいくぐれていた」と、プレスをモノともせずに運び、仕掛けることを意識して連動した攻撃を演出していた。

 そして疲労を超える最後の力にも言及した。

「(3-3のあと)あそこで僕らがもっと攻められるようなチームになっていれば、ピンチもなかったと思う。徹底的にやらないと。もちろん疲れはみんなあると思いますけれども、悪い流れのときにもう一度自分たちにいい流れを持っていく力を付けなければいけないと思います」

 プレッシャーのかかる場面でPKを決めた庄司に、そのときの駆け引きについて訊ねると「自分で言うのも何ですけど、かなり落ち着いていたので(一同笑い)、絶対入るだろうなと思っていましたし、蹴る瞬間に少しキーパーが見えたので、ま、かなり落ち着いて決めることができました(笑)」

 豪胆さをうかがわせる答えが返ってきた。一定の組織と型を学ばせはするが、選手ができるならば変奏してほしいというのが大木監督のサッカー。最後は個の力が重要になる。この攻めて良し守って良し、フィジカルもメンタルも強じんで、技術に秀で戦術眼もある庄司の個性は、岐阜が教科書をトレースするだけのチームではない方向に伸びていくための芽となりそうな気がした。

 庄司は4月29日の第10節、<白山ダービー>・ツエーゲン金沢戦でも殊勲者となった。最後に押し込んだヘニキにゴールを譲る格好になったものの、勝利につながる直接FKを蹴ったのだ。このときも「練習では何本も決めていて、結構自信があった」と言っている。底なしの自信は揺るがない。そしてその自信が練習に裏打ちされていることが分かる。

▼4月までの収穫

 練習は効率的なエネルギーの使い方も上達させているのかもしれない。この第10節の岐阜は第8節とは異なり、選手の脚が止まりそうな気配がなかった。いいリズムが途切れなく続いていたため、下手に選手を交代させると、流れを悪くしてしまうかもしれないと思いながら観ていたほどだった。

 試合後「きょうはスタメン最後まで行けるかなと思ったんですが、3人をこまめに代えたのは?」と訊ねると、大木監督は同意しつつ次のような答えを返してきた。

「いまおっしゃったとおりで、代えるところはないなと思っていましたね。ただシシーニョはちょっと足を引きずっている感じがした。だったら、思い切って代えてもいいかなと。大本(祐槻)もやっぱり少し(脚が)つっているのかなという気がした。それと、後半の途中ぐらいからちょっと危ないかなという感じは、守備のところでなきにしもあらずだったけれども、攻撃は素晴らしかった。『あっ、やっぱり代えられないな』と、すごく(交代を)迷いましたね。ただまあ、次の選手がいる、これから連戦もありますのでね、使っていければいいかなと。

 パウロ(田中パウロ淳一)のところは素直に山田(晃平)に代えようかなと。パウロが悪かったわけではないですけれども、形としては代えてみても良いかなと思いました。11人そのままでいっても問題はなかったと思います。そこをあえて、無理にとは言いませんけれども、(代えてみた風景がどうなるかを)観てみたいというところもありましたし、少し休ませてみてもいいかなというところもありましたし、そんなところで代えたというのが本心です」

 選手にとっては2分、7分、10分という時間は短いものかもしれないが、大木監督はその短い時間にも意味を込めて、じっくりとゲームを観ている。練習、公式戦、練習試合、すべてのセッションを通じてトレーニングしたことを実際に出せるようにしていく修練の中で、公式戦はいっときの発表会のようなものだ。大木監督の名言ふうに言うなら、ドレスを着てコンサートホールのピアノを弾く前に、普段着で自室や教室のピアノに向かう膨大な時間がある。その前提で、すべてを眺めている。

 大木監督は第9節と第10節との変化を問われてこう言った。

「どういう形でも勝つ術を持つということを、前節まで(と比べて)というよりも、1月からやってきての話だと思います。10試合終わって少し勝てるようになったというところは、進歩だと思いますけれども、まだまだこれから」

 勝敗で一喜一憂する外野をよそに、着実に積み上げていく力強さと、そこから生まれる自信が、岐阜にはある。順位がどうこうというより前に進んでいくための基礎がきちんと生成されていると分かったことが、この4月までの、岐阜にとっての収穫なのではないだろうか。