中で外でミシャ・レッズで。武藤雄樹が”シンデレラストーリー”をつかむまで
Jリーグ・ファーストステージの活躍で代表の座を勝ち取った浦和レッズの武藤雄樹にフォーカスする。
▼転機はビッグクラブへの加入
過去のキャリアにおいて各年代の代表歴に乏しく、今回のハリル・ジャパンで最も”シンデレラストーリー”を描いた選手は、浦和レッズの武藤雄樹を置いてほかにはいないだろう。
昨季まで在籍したベガルタ仙台での過去4シーズンで、記録したリーグ戦のゴール数は『6』。新天地・浦和では優勝に多大なる貢献を果たしたファーストステージだけで8ゴールを積み重ねるなど、半シーズンで自身の通算ゴール数を一気に抜き去った。「今年、浦和に来てタイトルを獲れて本当に良かった。充実した半年を過ごせている」と、武藤自身はスターダムにのし上がったこの半年をそう振り返っている。
“ミシャ・レッズ”からオファーを受けたとき、2つの思いが交錯していたという。
「正直まったく試合に出られないんじゃないかという不安もあった。その一方で、ビッグクラブでプレーできるチャンスはそうそうないし、そのチームでもし結果を残せたら、素晴らしい世界が待っているんじゃないかという理想を追い求めている自分がいた」
浦和への移籍を選択した男は、自身が新天地で輝くために、まずはチームに順応することから心を砕いた。チーム始動日には流通経済大在籍時代の1学年先輩である宇賀神友弥を頼ってトレーニングに汗を流した。日々の練習を過ごす中では、チーム最年長の平川忠亮と親交が深い柏木陽介や、チームの輪の中心である槙野智章と意識的に行動をともにした。
「2人はいつもチームの中心だし、彼らとくっ付いていることでみんなと仲良くなれるんじゃないかと思っていた。チームのみんなに溶け込むことができたのは、2人が仲良くしてくれたことが大きかったと思う」
柏木は武藤を「絶対的後輩」とみなしてイジり倒し、槙野はシーズン前の鹿児島・指宿キャンプで武藤の髪型を、特徴的な横分けと左右の刈り上げが非対称な”槙野ヘア”に仕立てあげるなど、先輩たちのサポートを借りながら、武藤はチーム内での存在価値を確立した。
「ピッチ外の部分がピッチ内にも出る」という持論を持つ男は、こうして自身が輝くための環境を少しずつ整えていった。
▼ピッチ内での苦闘
「ピッチ内のほうがよほど難しかった」
ピッチ外ではチームに順応していく手ごたえを日に日につかむ一方で、ピッチ内での”ミシャ・レッズ”へのアジャストには、それなりの時間を要した。仙台時代は比較的自由に動き回ってきた武藤にとって、決まりごとの多いミシャ・スタイルでは戸惑うことも少なくなかった。「そこに動くな。それはチームにとってプラスにならない」とプレーを止められて、指揮官に何度も動き方の修正を施されたこともあったという。
それでも必死にペトロヴィッチ監督の意図を理解しようと、指揮官からの「なんでそこに動くんだ、こっちのほうがいいだろ」という指導にも耳を傾け、トレーニングの中で何度もトライ&エラーを繰り返してきた。分からないことがあれば積極的に疑問点をペトロヴィッチ監督にぶつけ、それでも根気よく指導を続ける指揮官の姿勢がありがたかった。
もちろん、ミシャ・スタイルを知る先輩たちのアドバイスにも耳を傾けてきた。左サイドでコンビを組むことが多かった流経大の先輩・宇賀神には「(柏木)陽介の場合はこうやっていたよ」と貴重なサンプルを提示された。そして、キャンプ中は二人部屋で過ごす時間の多かった槙野に言われたアドバイスが、武藤は今でも忘れられない。
「ミシャのサッカーに順応することも大事だけど、おまえの良さを忘れな。それはしかけることだろ? それを忘れたらおまえじゃなくなる」
悩める視界が一気に明るくなった気がした。
▼自信から確信へ
「結構、いけるんじゃないかな」
ミシャ・レッズでやれる手ごたえをつかみ始めたのは、プレシーズンのニューイヤーカップを戦っているころだった。フリックやワンタッチプレーを多用しながら、1トップ2シャドーのコンビネーションを軸に攻撃を構築するミシャ・レッズの中で、自身がボールの経由地点となって、ときにはゴール前にドリブルでしかけていく。決まりごとを消化しながら、ストロングポイントを発揮する落としどころを見付けようとしていた。
公式戦の初戦だったACLグループステージ第1節・水原三星戦こそ遠征メンバー外だったが、リーグ・ファーストステージ開幕戦の湘南ベルマーレ戦で初の先発出場を果たす。そして、第2節・モンテディオ山形戦では後半のスタートの途中出場で45分間プレーすると、「浦和でもやれるな」という手ごたえに変わっていた。
自信が確信に変わったのは、浦和移籍後初ゴールを決めた第6節・横浜F・マリノス戦。「シャドーのポジションで自分のプレーを出せていることが結果を残せている要因だし、ゴールを積み重ねていくことですごく自信になっている」と、ゴールがさらなる自信を生み、武藤はゴール量産態勢に入った。
「僕に特別なスピードや高さはない。相手との駆け引きに勝つしか点を取れないと思っている」
ポジショニングを工夫しながら相手のマークを外し、瞬時にトップスピードへギアチェンジして相手ゴールを脅かす。そうしたストロングポイントを発揮することと合わせて、ファーストステージ第17節・新潟戦の2ゴールに象徴されるように、的確にこぼれ球に詰めることができるのも武藤の特長の一つである。その背景には、「味方がシュートを打つとき、相手のディフェンスはそっちを見ているので、僕はそのスキを狙っている」という相手との駆け引きがある。
ただしそうした姿勢は「レッズに来てから始めたのではなく、今までずっとやってきたこと」。本人が「そういうシーンはこれまでなかったかもしれないけど、こぼれ球に詰めることは何度も走ってきた、その積み重ねだと思っている」と話しているように、一朝一夕でいまの武藤が完成されたわけではない。
▼浦和レッズの武藤雄樹として
代表発表後、初のリーグ戦となったセカンドステージ第4節・名古屋グランパス戦で武藤は無得点に終わり、さらにチームは1-2で敗れた。うだるような暑さのミックスゾーンで、彼は額から落ちてくる汗を何度も拭いながら、真摯に取材対応をこなしていた。
「代表に入ったからといってやることは変わらない。代表に入ったことで少なからず注目されるし、大きな期待がある中で結果を残せなかったことがすごく残念。力不足を感じている」
東アジアカップの暫定登録メンバーに入ったときも、武藤は事あるごとに「レッズでのプレーを評価されて選ばれたと思っているので、チームでの結果を求めていきたい」と話している。「誰も思っていないだろうし、僕自身も思っていなかった」サムライ・ブルーのユニフォームに袖を通しても、そのスタンスは変わらない。今回の代表選出は『浦和レッズの武藤雄樹』の延長上にあることを、本人はよく知っている。
【プロフィール】
武藤 雄樹(むとう・ゆうき)
1988年11月7日生まれ、26歳。神奈川県座間市出身。170cm/68kg。FCシリウス→FC湘南ジュニアユース→武相高→流通経済大→仙台を経て、2015シーズンより浦和に加入。J1通算90試合出場15得点(2015年7月28日現在)。
郡司聡
茶髪の30代後半編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』編集部勤務を経て、現在はフリーの編集者・ライターとして活動中。2015年3月、FC町田ゼルビアを中心としたWebマガジン『町田日和』(http://www.targma.jp/machida/)を立ち上げた。マイフェイバリットチームは、1995年から1996年途中までの”ベンゲル・グランパス”。