【日本vsオーストラリア超速レビュー】課題との直面。オーストラリア戦の前半で見えた日本の黄信号と、後半に示したポテンシャル
▼ロングボールの副作用
アギーレ監督率いる新生日本代表は、11月の2試合を6-0、2-1の連勝で終え、来年1月のアジアカップを前にした最終チェックを終えた。結果を見れば、これ以上ない成果だ。一方でチームのベース作り、上積みができているのか――。今回のオーストラリア戦は、そういう疑問の残るゲームでもあった。
ケーヒルに一矢こそ許したが、後半は日本の優勢だった。選手の技量、最終局面の迫力に明らかな差があった。しかし前半の試合運びはどうだったか。
キックオフからの35分間、日本はまったく試合の主導権を取れなかった。前から潰しに来るオーストラリアのプレスに後手に回り、有効なビルドアップはおろか、ポゼッションすら思うに任せない。
もちろん相手が前に出れば裏のスペースは空く。それなら中盤を飛ばして早めに前線を使えばいい。アギーレ・ジャパンにはそういう駆け引きのできる選手がいて、岡崎慎司のような”裏取り職人”もいる。しかし今日の日本は、蹴り過ぎることによる”副作用”が出てしまっていた。
ロングボールは上手くショートパスと織り交ぜて、意外なタイミングで使えば有効だが、相手が慣れてしまえば効果が落ちる。加えて全員で押し上げなければセカンドボールを取れず、忠実に押し上げると選手が体力的にも消耗していく。結果的に選手の”間延び”が起こって、パスをつなげなくなる。それがロングボールの副作用だ。選手は当然、それを分かっていただろう。しかし今日の前半はビルドアップが手詰まりだったことで、仕方なく蹴らざるを得ない側面が見て取れた。
▼調和なきカルテット
苦戦の理由はシンプルで、[4-1-4-1]の選手配置が機能していなかったからだ。より具体的に言えば、2列目の4枚が、まったくかみ合っていなかった。
岡崎が裏を突く狙いはいいのだけど、2列目の選手が彼を助けられていなかった。例えば押し上げの不足がその一側面で、パスを受ける動きの物足りなさも指摘せざるを得ない。単なる運動量の問題でなく、”いい時間にいい場所へ入る”という判断力の問題だ。能力ではなく、チーム内でイメージの共有ができていないから、そういうロスが生まれている。
もっとも、前半の日本は、そもそも”攻める以前”だった。オーストラリアがボールを楽に運び、日本は自陣深くに押し込まれていた。
“奪われた直後が奪い返しやすい”というのは、現代サッカーにおける守備の鉄則である。ボールホルダーとの距離感が近く、加えて相手のポゼションが落ち着いていないからだ。しかしオーストラリア戦の日本代表は、2列目の4枚がプレスの先陣を切れていなかった。「切り替えが遅かった」と選手を責めるのは簡単だが、おそらく切り替えても無駄走りになるから、足を止めていたという話なのだろう。ボールを圧倒的に支配できていたホンジュラス戦では覆い隠されていた課題を露呈することとなった。
2列目がボールを奪い切れなくとも、相手の攻撃を素早く制限できれば、アンカーや最終ラインが前を向いてボールを奪える。しかし前半の日本代表はそれができず、ディフェンシブサードへの進入を許していた。
そもそも、2列目の人選に疑問符が付く。香川真司も遠藤保仁もボールを持てば極上の仕事をするが、踏み込んで刈りに行く、ガツガツ行くというタイプではない。もちろん彼らの様な”王様”がピッチ上には必要なのだけど、バランスを考えれば一方は”労働者”を置いた方がいい。
加えて今日は4人の距離感がバラバラで、プレスの意図も一致しなかった。いい位置でいい奪い方をすることが、いい攻撃を繰り出す最良の方法だ。しかし後ろに下がりながら、相手に押し込まれながらボールを奪ったときは、フィニッシュに至る道のりが一気に険しくなる。現に前半の日本は25分に本田圭佑が強引なミドルを放つまで、1本のシュートすら放てなかった。
▼[4-2-3-1]への変更が奏功
アギーレ監督は前半36分に遠藤をボランチに下げ、布陣を[4-2-3-1]に組み替えた。ザッケローニ監督時代にやり慣れた布陣で、日本は攻守のバランスを取り戻す。さらに後半はボランチにボールハンティング能力が高い今野泰幸が入り、日本は一気に攻勢に出た。
61分には本田圭佑のCKから今野がヘッドを合わせて先制し、68分には森重真人の突破から岡崎慎司が2点目となる”オシャレヒール”を決めた。後半について言えば、2-1というスコア以上に日本が押していた。
とはいえ、結果と別に、前半の余りに拙い試合運びを、教訓としてしっかり受け止めるべきだろう。アギーレ・ジャパンが今日のスタートの人選、配置を続けるとしたら、今後のチーム作りは厳しいと言わざるを得ない。
逆に言うと”こうやれば機能しない”というメカニズムを発見できたことは、今後に向けての収穫だ。布陣と人を入れ替えただけで、あれだけ展開が変わったという成果も、このチームのポテンシャルを示すものには違いない。課題との直面を通して、アギーレ・ジャパンが今後の方向性を見出したオーストラリア戦だった。
大島和人
出生は1976年。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。ヴァンフォーレ甲府、FC町田ゼルビアを取材しつつ、最大の好物は育成年代。未知の才能を求めてサッカーはもちろん野球、ラグビー、バスケにも毒牙を伸ばしている。著書は未だにないが、そのうち出すはず。