J論 by タグマ!

オフ明けのJ、まさに完敗。だが、焦るな。まだ何も決まったわけではない

初戦は3敗1分という惨憺たる結果に終わってしまった。だが、百戦錬磨の記者・後藤健生は言う。まだ何も決まったわけではない、と。

2月24、25日、AFCチャンピオンズリーグが開幕した。2008年にガンバ大阪がこのタイトルを奪取して以降、Jリーグ勢は低迷を余儀なくされている今大会。その初戦は3敗1分という惨憺たる結果に終わってしまった。だが、百戦錬磨の記者・後藤健生は言う。まだ何も決まったわけではない、と。

▼リアルなプランの前に苦杯
 AFCチャンピオンズリーグの第1節。日本勢は1分3敗という結果に終わった。まさに「完敗」もしくは「惨敗」だった。

 僕は第1節では鹿島アントラーズのホームゲームを見たが、この試合も鹿島がオーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズに1-3と完敗してしまった。

 鹿島の出来が悪かったわけではない。若手CBの植田直通と昌子源の二人が成長して安定感のあるプレーを見せ、植田はアジアカップにも出場したオーストラリア代表FWトミ・ユリッチとの空中戦でも競り勝っていたし、植田から右サイドハーフの遠藤康へのバックスピンのかかったロングボールは相手にとって相当な脅威となっていた。

 小笠原満男はまったく衰えも見せず、柴崎岳も急成長。CBとボランチの4人がチームを安定させ、左右にボールを散らして鹿島のリズムで試合は進んだ。前半のシュート数は鹿島の8本に対して、ウェスタン・シドニーは0本。あらゆる面で鹿島が上回っていた。

 しかし、結果は1-3の完敗。

 敗因の一つは、ウェスタン・シドニーのリアリスティックなゲームプランだった。前半は「前年王者」のプライドも捨てて守りに徹し、後半の立ち上がりに勝負を懸けてきたのだ。この時間帯、パワーを生かして攻め込むウェスタン・シドニーに対して、鹿島の守備陣が後手に回り、最後は昌子のオウンゴールという形でウェスタン・シドニーが先制した。

 先制されはしたが、その後は再び鹿島がリズムを取り戻し、すぐに右クロスに土居聖真が合わせて同点に追いついた。しかし、その後はどちらも決定的チャンスを作れず、そのまま引き分けかと思われたが、80分のウェスタン・シドニーの選手交代がゲームを動かした。それまでボランチでプレーしていた高萩洋次郎がトップ下に上がると、一気にウェスタン・シドニーの攻撃に火が付き、高萩の1ゴール・1アシストで2点を連取したのだ。

 ウェスタン・シドニーのリズムだったのは、後半の立ち上がり10分と終了直前の10分のみ。だが、そこでウェスタン・シドニーは2点を奪い、12本のシュートを放った鹿島は1点にとどまった。鹿島のワントップが、今季新加入の高崎寛之だったことでコンビネーションが合わなかったことも、点を取れなかった原因だった。

▼顕著だったコンディション差
 鹿島のもう一つの敗因は、コンディション面だった。

 ウェスタン・シドニー戦からJリーグ開幕までは、まだ10日もあり、鹿島はいわゆる「オフ明け」の状態だった。もちろん、ACLに合わせて調整はしており、中盤での動きなどでは遜色なかったし、技術力で上回ることができた。だが、肝心のゴール前での動き、迫力では明らかにウェスタン・シドニーが上回っていた。

 オーストラリアではサッカーは夏のスポーツという位置づけで春秋制が採用されている。そして、オーストラリアは南半球だから、これから秋を迎えようとしているところ。まさにシーズンの真っ盛りなのだ。選手の動きに差があって当然だろう。先日、プレーオフで柏レイソルがタイのチョンブリFCに競り勝った試合でも、やはり「オフ明け」の柏とシーズン中のチョンブリとの間にコンディション的な差を感じた。

 過去の歴史を振り返ってみても、クラブレベルでも代表レベルでも、日本チームは2月の試合では分が悪いのだ。もちろん、中国や韓国もシーズン開幕は日本とほぼ同時期だから彼らも「オフ明け」の状態なのだが、身体的な特性なのか、オフ期間のトレーニングの差なのか、中国や韓国のチームのほうが仕上がりも早い傾向がある。

 つまり、2月から3月初めにかけての試合は日本にとって鬼門なのだ。それは、昨年のACLの結果を見ても明らかだ。

 昨年も日本からは4チームが出場していたから、グループステージで日本のクラブは総計24試合を戦い、10勝6分8敗と辛うじて勝ち越し、3チームが決勝ラウンドに駒を進めた(ただし、3チームともラウンド16で敗退)。

 だが、2月の末に行われた第1節は1勝2分1敗、3月初めの第2節は0勝1分3敗と負け越しているのだ。それ以前の年の成績を振り返っても、「第1節、第2節は負け越しに終わり、その後巻き返してなんとかグループステージ突破を目指す」というのが、ACLにおける日本のクラブの戦いなのだ。

 まだまだ、大会は始まったばかり。今後の日本勢の巻き返しに期待したい。

後藤 健生

1952年東京生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。64年の東京五輪以来、サッカー観戦を続けており、74年西ドイツ大会以来、ワールドカップはすべて現地観戦。2007年より関西大学客員教授。