『日本初のフリースポーツライターが出現したその経緯とは』杉山茂樹/前編その1【オレたちのライター道】

"ライターの数だけ、それぞれの人生がある"。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編シリーズ企画。第11回は『サッカー番長 杉山茂樹が行く』の杉山茂樹氏に話を聞いた。


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杉山茂樹さんという希代のスポーツライターを知らない人はいないはずだが、杉山さんご自身が夜明け前の日本サッカー界に出現した当時のことを知る人はそんなに多くないはず。シリーズ第11回は、マドリッドでのチャンピオンズリーグ決勝の取材から帰国した杉山さんのインタビューを、特別拡大版(前編その1・2と後編その1・2の計4回)でお届けします。

取材日:6月7日 聞き手:池田宣雄(フットボールフィリピン

ーー本日はよろしくお願いします。まずは、杉山さんがライター業を始めたきっかけからお話しいただけますか?


そもそものきっかけは、静岡の御殿場から上京したての大学1年生の時に始めた広告代理店の事業部でのバイトです。全日本少年サッカー大会というのが今でもあるんですけど、僕はその第2回大会から始めました。第1回大会には長谷川健太とかいましたね。

僕の高校の先輩が第1回大会から行ってて、人手が足りないと言うんでやらせてもらったんです。全国規模の大きな大会なので、コカコーラとかヤマザキパンとか大手企業の協賛もありました。地方の予選大会での広告看板とか役員の挨拶とかの写真を撮りに行ったり。まあイベント屋さんですよ。

それを各媒体の記事に反映されているかどうかとか、地方新聞とかを集めて切り貼りしたスクラップを代理店に持ち帰って、これだけ報道されてますみたいな感じで。当時は全国高校サッカー選手権大会がひとつあって、その後にトヨタカップが始まるまでは、その大会の優先順位は意外と高かったんです。全国ネットで準決勝と決勝の放送もありましたね。

なので、後に日本代表になる選手たちは結構出場してました。僕も見た覚えがあるし、あの先生はその後有名になったねというのもありました。あの頃にようやくアンダーカテゴリーの概念ができて、出場していた小学生たちが高校選手権に出場したりすると、あの小学校にいた選手だなとか、高校選手権を余計に楽しめるというのもありました。

いろんな媒体が代理店の事務局に来たりするんですよ。サッカーマガジンの人とかも来ましたね。専門誌はまだサッカーダイジェストがなかった時代だったと思うんです。それをきっかけにサッカーマガジンの編集部でもバイトするようになって。


ーーバイトとは言え、広告代理店とサッカーマガジンの編集部の掛け持ちは忙しかったのではないですか?


代理店での少年サッカー大会のバイトは、春からイベントが終わる夏まで、雑誌が忙しいのは冬の高校選手権の前後なので、地方予選の秋から本大会の冬までサッカーマガジンの方でやってました。1年の半分以上はサッカー絡みのところでバイトしてたんですけど、そこから徐々にサッカーマガジンの方にいる比率が長くなってきて。

僕は大学生の試合をよく観に行ってました。毎週末に西が丘へ行って関東大学リーグを取材してたんです。高校選手権に出てた大学生もいて、僕よりちょっと年上の原博実さんとか、西野朗さんとか金田喜稔さんとか、あと川勝良一さんもいましたね。

サッカーマガジンでは、ページを埋めるサブ的な記事を担当してました。当時はひどいことにレイアウトも含めて全部自分でやってたんですよ。プロのカメラ機材を借りて、高校選手権の地方予選とか取材に行って、ゴール裏で写真を撮った後にコメント取りしてから、編集部に飛んで帰って現像した写真から何から全部を、翌朝までに仕上げるという日々でした。

まだ大学生でしたけど結構働いてましたね。当時の手帳は予定でびっしりでした。絶対に今のスケジュールよりもタイトだったと思います。でも当時はまだサッカーを仕事にしようとは思ってなかったんです。僕はとにかく82年のW杯スペイン大会を観に行くことしか考えてなかったんですよ。


ーー82年のスペイン大会は私が中学1年生の時で、テレビにかじりついて観ていました。あの大会に取材に行かれていたのですね?


大学の卒業予定が82年の3月で、W杯はその年の6月です。卒業してどこかに就職したら絶対にW杯を観に行けなくなります。バイトしてた代理店にも、ベースボールマガジン社にも入社のチャンスはありましたが、僕は敢えて大学5年生になる決意を固めて、それまでに貯めたお金でスペインに行くことにしたんです。

サッカーマガジンの編集部でバイトしていたその流れで、大学5年生の分際なのにプレスパスを持ってスペインに向かいました。当時はツアーが色々あって、日通旅行とかたぶん全部で1000人ぐらいは日本から行ってるはずです。観戦客も報道陣も大体の人はツアーに参加しました。

当時の報道陣は、たぶんペンの方は大手新聞社とか6人ぐらいでした。いわゆる新聞記者の人たちがいたんですけど、僕は皆さんによろしくお願いしますみたいな感じで行かせてもらって。スペインでは基本的には単独行動なんですけど、観戦客か報道陣の誰かがいつもいたような感じで、そんなにひとりで心細い思いはしなかったですね。それがはじめてのヨーロッパでの取材体験でした。

W杯が終わって日本に帰ってきたんですけど、もうその時は広告代理店にも、サッカーマガジンにも入りたいとは思えなくなってましたね。

もうなにしろ僕はW杯を観に行っちゃったんですよ。絶対に4年後も8年後も、その後の大会も行こうと思いますよね。もう完全に頭がやられてるわけですよ。次も行くにはどうすればいいのかと、何をしていれば次も行けるのかと、それが仕事選びの大前提になってしまったので。

ですから、どこかに所属することには、あまり積極的になれませんでした。


→前編その2「歯に衣着せぬスタイルを確立したその理由とは



[プロフィール]
杉山 茂樹(すぎやま・しげき)
静岡県出身。東京都在住。スポーツライター。スタジアム評論家。得意分野はサッカーでヨーロッパが厚め。W杯は82年のスペイン大会以降10大会連続現地取材。五輪も夏冬併せ9度取材。テーマは「サッカーらしさ」「サッカーっぽさ」の追求。タグマ!『サッカー番長 杉山茂樹が行く』主宰。

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