「サッカー移籍マッチングサイト」を運営する社長が語る「選手として見たサッカーとビジネスで見たサッカーの違い」とは?(PLAY MAKER・三橋亮太)

PLAY MAKER代表、三橋亮太さんは北信越リーグでプレーをしていた過去を持つ。そして、ユニフォームからスーツに着替えた時、感じたこととは? この現役生活が、PLAY MAKERのコンセプトにつながっていた。
(前編「サッカークラブと選手をつなぐ「移籍マッチングサイト」の挑戦。想定外の3年間、そこに何があったのか?」)

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▼リバプールの選手になりたかった

――三橋さんの現役時代についてですが、2010年、当時北信越リーグの長野パルセイロ入団の経緯をお願いいたします。

三橋 パルセイロのセレクションを受けて、そこで当時の薩川(了洋)監督が声をかけてくださったのが入団したという経緯です。

――なぜ、パルセイロだったのでしょうか?

三橋 正直最初からパルセイロに入りたい、と思っていたわけではありませんでした。大学4年時にサガン鳥栖の練習に行っていて、そこで手応えも自分なりに感じていたんですけど、やはり実力が足りず入団まではいけませんでした。それで進路をどうしようか考えたときにパルセイロや当時のアルテ高崎がセレクションをしていて、パルセイロはプロ契約の条件もあったので1回受けてみようかなと。そのまま入団しますという形です。

――入団した当時のパルセイロはどういった印象でしたか?

三橋 僕はJのチームにいたことはないのでわからないんですけど、すごく技術に関してもチームのメンタリティーにおいても、Jのクラブに匹敵するぐらいのレベルにあったチームだったと感じていました。今いろんなチームに行って話を聞いていても思いますね。地域リーグでしたが、想いを持っていてレベルも高いし、団結力もあったチームだったという印象です。

――北信越リーグからJFLに上がるタイミングですよね。

三橋 そうですね。僕はJFLに上がる時に、1年で契約満了になっています。

――そこでアルティスタ東御に移籍される。こちらはどういった経緯でしょうか?

三橋 その時、もうサッカーを辞めようと思っていました。元々、大学の時にサッカー選手になれるイメージを全然持ってはいなかったんです。選抜にも入ったこともないですし、ひょんなことから1年生の夏からトップチームで試合に出せてもらえるようになっていたくらいでした。でも、僕はリバプールの選手になりたかったんです、サッカー選手になりたいというよりも。大学3年生の時に足の小指を疲労骨折して、その時にイギリスにサッカー観に行ったらリバプールのサッカーがすごく面白くて。でも、1年でパルセイロを退団になった時点で、リバプールに行けないだろうと思って、だったら別にJリーガーになりたいわけじゃないからサッカーやらなくていいなと思っていたんです。でも、長野の人たちからもうちょっとがんばってみたら、と話をしてくれている中で、後に入団するアルティスタを含めて4チーム声をかけてくれたんですね。その時から、このサイトをやりたいとぼんやりと思っていて、それも応援してくれるという話だったのでお世話になりますという形で移籍しました。

▼サッカーも人生の中の一部

――そして現役を引退し、PLAYMAKERをスタートします。選手としてやっていた時に見ていたサッカーの世界と、ビジネスをやってみて見たサッカーの世界、何か違いはありましたか?

三橋 ありました。一番思うのは『サッカーも社会の中のひとつ』ということです。自分が選手の時もそうでしたが、多くの選手が『サッカーこそがすべて』、自分の人生=サッカーという人がたくさんいて、社会的地位が高いと思いがちです。それ自体は全然否定はしませんが現役を離れて思ったのは、他にも人生の中に選択肢がたくさんあって、意外とサッカー選手のことを知らない人もたくさんいる、という感覚が大事だなと思います。僕は伸び悩んでいたり成果が上がらない選手でしたが、サッカーも人生の中の一部だよねというような感覚を持てた時にすごく楽になれました。そういったサッカー以外も視野を持ってほしいと思います。広い世界の中でサッカーに関わる仕事がしたいというのと、サッカーしかないというのでは違うのかなという感覚を持っています。

――会社を運営してうれしかったことはどういったことでしょうか?

三橋 仲間の存在を尊く思えたことです。過去に一度、会社を続けていくのにかなり厳しい状況になって、1回ダメだということを認めないといけない時がありました。その時、でも自分が否定されるような感覚になっていたんですよね。自分ができなかったが故にいろんな人が期待してくれていたものができなくなりかけたわけですから。僕はどう言われるかどう思われるのかというのが不安だったんですけど、一緒にやっている土橋(宏由樹)にその話をした時に、あっさりと「しょうがないんじゃない」と言ってくれたんですね。「サッカーに関わる仕事がすべてじゃないし、失敗したからと言ってそこで死ぬわけじゃないし、どこで誰と楽しくやっていくかが大事だよ」という話をしてもらった時に新しい考え方を教えてもらいました。今まではできるだろうと突っ走ってダメだったんだという感覚だったんですけど、そういう仲間がいることが人生ではすごく大事なことだなと思ったんですね。それはサッカーに関わる仕事をやっているやっていない以前に、人としてそういうことが経験できたことが、起業していろんなものを感じながら仕事をしてきた意味かなと。それが一番うれしかったことですね。

――追い込まれたときに支えてくれる仲間がいたと。

三橋 支えてくれたというか、そういう自分でも受け入れてくれる人がいるという感じですね。僕のことを疑うこともしなかったんですよ。お前ダメだなみたいなことは全然なかったし、それはそれでそういう時もあるよねぐらいの感覚でさらっと言ってくれました。自分も人に対してそう接したいなと思ったんですよね。スポーツ選手は自分の未来に対してすごく不安で進路にすごくナーバスになっています。自分のこういう経験を生かして、そういうことを伝えていけるようなことができるともっともっとよくできるんじゃないかなという源をもらったような感じですので、個人的にも会社としてもよかったところですね。

――では、逆に悔しかったことは?

三橋 悔しいのが日常ですよ。自分の未熟さを痛感する時が一番悔しいですね。このサービスをご理解いただけない時は、選手たちの価値を否定されたような感覚になってしまうことがあります。でもそれは自分がやっているサービスが社会的に認知されていないことが原因です。売り上げを通してロジカルな説明や客観的な証明が、まだなかなかそれができていません。自分たちのサービスが普及して発展していかなければ、自分の能力だと常に悔しさを感じていますね。選手たちの価値を上げるためにも、もっともっと頑張らないといけないなといつも思っています。

――選手たちの価値を上げるため、今後どうしていこうとお考えでしょうか?

三橋 サービスに対して適正な対価を払って適正な価値を受けることを見出したい気持ちがあります。お金払ってでも使ってよかったなと思ってもらえるようなものがどこまで広げられるかというところが会社としての評価というか、社会的な価値を上げられる手段の一つだと思います。そのマネタイズの仕組みを新しく増やす改善以外にも、挑戦をしてもっと広く深くしていきたいですね。お金を生み出す仕組みとしても、スポーツ界で存在感を出していけるようになっていきたいと思っています。

――また、登録されているクラブにはフットサルのチームも入っています。サッカー以外の分野、ラグビーや野球などもお考えでしょうか?

三橋 横展開もありだと思っています。まずはサッカーでしっかり土台を作った後にいろんなスポーツに応用して、スポーツ選手を目指すアスリートたちのサポートができるようなサイトになっていけばうれしいですね。

――今は選手とチーム、移籍をサポートする形に、さらに就職の斡旋に関わっています。今後の展開をお教えください。

三橋 一番はスポーツ選手が競技を続ける支援を特に力を入れてやっていきたいですね。サッカー界の人材の移籍や流通に関してはなくてはならないようなサービスにできるように挑戦は続けていきたいです。そこにニーズがあれば選手の就職もお手伝いもできるようになりたいですね。どんな形でも選手たちにとって頼れる存在で、どのカテゴリーの選手にも競技の生活をより豊かにしていく存在として、このPLAY MAKERがなくてはならないような存在になっていけるように頑張っていきたいです。

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