後藤勝インタビュー(前編):『トーキョーワッショイ!』の狙いとは?

2011年に有料メルマガとしてスタートした『トーキョーワッショイ!』は、現在のWebマガジン「プレミアム」に至るまで、さまざまな試行錯誤が行われてきた。FC東京に軸足を置きながらも「それだけではない」ことが魅力となっている。そこには、どのような狙いがあるのか? AFCチャンピオンズリーグ(ACL)グループステージMD4・江蘇蘇寧足球倶楽部戦[4月6日(水)/2○1]を前に、FC東京サポーターが集う「Cafe Bar LIVRE」で話を聞いた。



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トーキョーワッショイ!プレミアム
後藤勝インタビュー(前編):年齢不詳なライターの経歴

▼軽く見られた方がいいんですよ
渡辺:まずは、生年月日などを教えてください。

後藤:不詳ということで、お願いします(笑)。

渡辺:それは、「あえて不詳にしている」ということですよね?

後藤:年齢じゃなくて、素の状態で判断していただければな、と。固定観念を持たれたくないからですね。

渡辺:サッカーは体育会の世界。選手たちに軽く見られるとか、そういう弊害はないですか?

後藤:むしろ、軽く見られた方がいいんですよ。その方が、いろいろなことが分かる場合があります。

渡辺:ただ、何回も会ったり、長く話したりすると、相手が年齢を察する瞬間はありますよね?

後藤:そうですね。某選手なんですが、最初はため口で話し掛けてたんですよ。ただ、ある時に実年齢を知ると「あっ......すみませんでした」と言って恐縮しちゃった(笑)。ただ、いったん恐縮した感じにはなったんですが、その後はまた、ため口で付き合ってくれたんで、そこは良かったかと思います。

渡辺:監督に関してはどうですか。若いとなめられるのでは?

後藤:今のところ、不利な形に働いたことはありませんね。なめられるのは、それはそれでいいし。サッカー的なことを話せば「あ、こいつ分かってるな」という感じで、監督によっては仲良くしてくれる。

渡辺:それでは、今のところは年齢不詳、と。

後藤:永遠に偉くならないライターを目指しているんですよ。

▼ローカルを徹底すると普遍的になる
渡辺:年齢不詳の人に経歴を聞くのは緊張するのですが、ライターになったキッカケを教えてください。

後藤:正確に言えば、ライターは目指してなかった。さかのぼると......。まず、私は宝島社で編集のアルバイトをしていたのですが、その後、編集プロダクションに入ったんですが、疲れてやめてしまいました。目標とかはなかったんですが、その後、知り合いから仕事を紹介されて、自動的にフリーライターとしての生活が始まったという流れです。

渡辺:出版社→編プロ→ライターは、よくある流れですよね。宝島社でサッカー関連の書籍や雑誌というと......。

後藤:いや、宝島社ではゲーム系の仕事をしていました。編プロでも、主にゲームの仕事をしていました。

渡辺:ゲームの仕事というと、攻略記事が思い浮かびます。

後藤:そういった仕事だけでなく、開発者へのインタビューを行うなど、さまざまな仕事をしました。取材記者が近いです。

渡辺:そうした仕事から、なぜサッカーライターへ?

後藤:仕事の方法や基本は同じなので、題材を変えてやってみたい、と。あとは、長文を書きたいと思って。もっと物語性のあるノンフィクションとか、伝記のようなものが。のちに、『サッカー批評』に売り込みをするのですが、その時にコピーして持っていったのは、「ロード・ブリティッシュ」ことリチャード・ギャリオット氏へのインタビュー記事でした。

渡辺:RPG『ウルティマ』の作者ですね。すごい! 『サッカー批評』に売り込みということですが、それはいつ頃ですか?

後藤:2001年ぐらいですね。

渡辺:ワールドカップ日韓大会の前ですから、サッカーの景気が良かったころですね。

後藤:当時のサッカーライター業界の状況なども勘案し、サッカーの仕事をしようと思った側面もありましたが、当然、それ以前からサッカーに興味はありました。仕事として「サカつく(プロサッカークラブをつくろう)」に関わったこともありますが、Jリーグ開幕以降、サッカーに興味を持つことは自然でした。その中で東京都民として東京ガス(FC東京の前身)に注目していました。
「サカつく」に現実のサッカーの知識を生かした記事を書きたいとか、JFLに興味があったとか、そんな感じです。

渡辺:現在の後藤さんの仕事を見ていても分かりますが、ゲームライターからサッカーライターに「転身」したわけではないですよね。

後藤:もちろん、サッカーライターとして活動しながらも、ゲーム関連の仕事も続けていましたし、それ以外の仕事もしていました。正直、サッカーに特化するつもりはなかったです。海外ツアーに出る前の武道館公演よりさらに半年前、BABYMETALの記事をスタジオ・ボイスのWeb版に書きました。文章内容そのものの反応ははっきり言って悪かったんですけれども、現在のように大ブレークする前にやっておいたというところで、サッカー以外にもアンテナを張っているのだという証明はできたと思います。

渡辺:そういえば以前、やはり大ブレーク前のももクロも取材していましたものね。サッカーライターになった経緯は分かりましたが、FC東京を中心に追いかけるようになったキッカケを教えてください。

後藤:2003年に、三浦文丈選手の記事を書くため、練習場に通ったことです。三浦文丈選手は、もともと攻撃的なポジションの選手なのですが、キャリアを重ねるごとにポジションを下げ、ボランチに転向。そういった選手が語るサッカー観にひかれた部分もありますが、何度か練習場に通ううちに「ここが自分のポジションだな」と感じるようになった。そういう自分の居場所みたいなものを強く意識する瞬間ってありますよね。

渡辺:サッカーライターとして、「色を付ける」ってギャンブルじゃないですか? いったんFC東京と決めたら、ほかのクラブを追うわけにはいかなくなる。それに、ある程度はクラブのご機嫌もうかがう必要が出てくる。

後藤:そこは、「サッカー専門」というわけではなかったので。ある意味、気楽に。村林(裕)さん(東京フットボールクラブの元代表取締役社長)に怒られたことは3回くらいあります。けど、それで仕事がなくなったとかはないですよ(笑)。

渡辺:とはいえ、FC東京を追いかけるという選択は、重大な決断だったのでは?

後藤:ローカルを徹底すると普遍的になると信じていたので、それもあって不安ではありませんでした。マイクラブに起こっている悲喜こもごもは、多かれ少なかれどのクラブにも起こることですよね? だから、ほかのクラブのファン、サポーターにも「フットボールにはよくあること」として、自分の書いたものが認められるようになると信じて疑いませんでした。むしろ、日本代表だけを追った場合、クラブという根っこがなくなり、中身が薄くなることが心配でした。

渡辺:ところで、FC東京は2010年に降格しましたが、原因は何だと思いますか?

後藤:キッカケは、FWカボレがいなくなったこと。2009年のナビスコカップ制覇も、攻撃力があったわけではなく、運よく米本拓司のミドルシュート、鈴木達也のクロスから平山相太のヘディングという得意技が決まったからで......。油断ですね。落ちないだろうという思いがあった。

(後編に続く)



渡辺文重(わたなべ・ふみしげ)

1973 年生まれ。福岡県北九州市出身。フリーランス編集者/ライター。有限会社ブンヤ取締役。パソコン雑誌のライターを経て、2003年に有限会社ブンヤ設立。 携帯サイトの企画、運営、編集、執筆などを行う。主な分野は、サッカー、ゲーム、アニメなど。メールボックスに届く有料メルマガは、1週間で約100通。 ちなみに、アニメの視聴時間は1週間平均1500分となっている。『渡辺文重の有料コンテンツ批評

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