J論 by タグマ!

サッカー選手は成人したあとも成長するのか?……レノファ山口 髙柳一誠が現役を永くつづけるために意識していることとは

引退も脳裏をよぎった札幌時代

2004年にリーグ戦化される前の高円宮杯とクラ選の二冠を達成しJユースカップでも準優勝、ほぼタイトルを総ナメにした感のあったサンフレッチェ広島F.Cユースの一員である髙柳一誠。トップチーム昇格後はユースで同期の髙萩洋次郎と2シャドーを形成し、前途洋々に思えたが、左膝前十字靭帯を二回傷めてほぼ2シーズンにわたりピッチから遠ざかった。それでも現役を続行、2017シーズンは広島の隣に位置するレノファ山口FCでプレーしている。2種登録の時期を含めれば15シーズンもの年月をJリーグで過ごすことができたのはなぜなのか。中学高校までに身に付けた基礎の賜物か、あるいはプロとしての覚醒か。U-20とU-17ふたつの世界大会が相次ぎ、あらためて育成年代の重要性とプロキャリアとの連関が注目されるいま、飛び級デビューの先駆者とも言える彼に、永くプレーをつづけるための秘訣を訊ねた。
(第一回 「止める、蹴る、運ぶ」はほんとうに大事……レノファ山口 髙柳一誠が永くプレーをつづけるためにやってきた秘訣とは)

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▼自分の武器ってなんだろう?

――サッカー選手は成人したあとも成長するのでしょうか? それともある程度成長したら、その都度いいものを出せる状態を維持していくものなのでしょうか?
髙柳 どちらもあると思いますね。常に力を出せる選手は、高水準で安定して高みにあり、それがトップクラス、飛び抜けるとワールドクラスということだと思います。ぼくは巧くなりたいと思って取り組まないと止まる、後退するのではないかと考えています。力を伸ばし、安定した水準がどんどん上がっていけば、自分が持っているものをきちんと出せているというふうに変わってくる。周りには、安定させて持っているものを出すことに長けた選手が多くいました。

――常に巧くなるという意識を持たないと、能力の維持すらおぼつかなくなる。
髙柳 そうだと思います。ちょっとでもいいので上がっていかないと。年をとればとるほどフィジカル面で不利になるのかもしれませんが、ならばそのぶん判断を早くしてフィジカルを問われるような状況をつくらなければ問題ないと思いますし、仰ったように頭のよさや判断で補える。その辺りは(髙萩)洋次郎が飛び抜けていると思っているんですが、彼のような選手を間近で見てきたということもありますし、自分はいま31歳ですけれども、カバーしながらいろいろ伸ばせる部分はあると思います。

――そうですね、最近サッカー選手の活動期間がどんどん伸びてきて。
髙柳 それ自体、ぼくのモチベーションになっていますね。年上や年齢の近い選手が代表で活躍していたり、J1でずっと出つづけていると、まだ自分にできることはあるんじゃないかと刺激をもらえますし、それが広島ユースの同期であればなおさら。彼らの試合を観てまた「やろう」と思う部分はあります。

――髙萩選手も髙柳選手のことを「向上心がある」と言っていました。それはサッカーを始めたときからですか?
髙柳 そうですね。指導者の方に言われていたからということもあると思います、「どこまでも伸ばせるよ」と。それはそのとおりだなと、いまだに思っています(笑)。

――髙萩選手は「なんでもできる」と評してもいました。たしかに偏りがないと思うのですが、ご自身ではどんなプレーヤーだと思いますか?
髙柳 正直に言えば、そこについて葛藤がありました。自分の武器ってなんなんだろうと考えたときに「う~ん」と呻吟(しんぎん)してしまった時期もありますけど、ある瞬間から「その辺は考えなくてもいっか」と割り切って、全部できればいいじゃんというふうに考えをもっていけた。自分の武器は何かと言われても、なんでしょうね、向上心としか言いようが(笑)。

――全部の技術が武器だ! と言ってしまうのはだめなんですか。
髙柳 いや、そこまでストロングだと思っていないので。現代のサッカーでは攻撃だけ、守備だけの選手は使ってもらえないと思いますし、どの能力も伸ばしたいところではあります。

――個人技で抜くところはどうですか。
髙柳 タイミングよく上がりさえすれば振り切れるかなという考えも持っていますし、もちろん自分で抜いて運べればそれはしたいですけど、できるときとできないときがありますし、周りを使いながら、判断とタイミングを意識して取り組んでいます。

▼引退も脳裏をよぎった札幌時代

――靭帯を傷めてほぼ二年間プレーしていない状態からの復活自体がすごいと思うのですが、ここまで現役をつづけるにあたって支えとなったものは。
髙柳 おおまかに言えば、メンタルでしょうか。一回目は「やってしまった」という感じだったのですが、移籍した次の年でもう一回同じことになっていると判明したときは、もう絶望感が自分のなかで半端ではなかった。自分を必要として獲得してくれたコンサドーレ札幌の人たちに対してどのように接すればいいのかリハビリ中もわからなくて。二回靭帯をやってメンタルが揺らいでいたということもあり、サッカー自体を嫌いになることはなくとも、選手としてはどうかな――という思いもありました。でも先輩の人たちと食事をする機会があったときに、いろいろな話を聞いて「もっとやりたいな」という感覚が浮かび上がってきたんです。それでようやく、現役をつづけようと一歩を踏み出すことができました。

――心の底ではサッカーをやりたい、と。
髙柳 コンサドーレの先輩たちに相談したときには涙腺も緩みつつ(苦笑)でしたけど。じつは悔しいと思っているんだろうなと自分自身でも思うところがあったので、そこで「つづけよう」というほうに傾いて動き出したことが、いまにつながっていると思います。ほんとうの気持ちに気づかせてもらってすごく感謝しています。

――それもサッカー人生を過ごしてきたからこその財産というか。
髙柳 そうですね、それは思います。もしかしたら26で現役を終えていたかもしれないところを周りの人に助けてもらい、つづけさせてもらっているという意味では、より現役にこだわっています。のちにコンサドーレと対戦する機会もあって、挨拶もさせてもらったときに名前を呼ばれて「がんばれよ」と言われると、こみ上げてくるものがありまして。「申し訳ない」という気持ちと「ありがとうございます」という気持ちが交錯しました。サッカー界で生きている人間ですから、自分がお世話になったチームに対して何ができるかなと思ったら、やっぱりプレーすることだと思いますし、プラス、活躍することが大事かなと思います。

――ロアッソ熊本に在籍していたときは熊本地震がありました。被災直後はサッカーどころではない状況だったと思いますが。
髙柳 最初は「命」の問題になると思うんですけど、被災した状況が一人ひとり異なりましたし、ロアッソというチームとしてみんなで話し合いもしました。そこで最終的には「やるべきことはプレーをすることだ」という結論にいたり、自分でも納得していました。

――そこにも関連しますが、示さなければいけないのはプレーだけれども、プレー以外も重要だと思ったことはありますか。
髙柳 はい、もちろん。常に思っています。サッカー選手はサッカーをするだけの職業ではないと思いますし、サッカー選手である前にいち社会人なので、常に見られている立場で、自分はなぜサッカー選手であることができているのかを考えなくてはいけないと思っています。熊本地震のときもサッカーを通じていろいろなチームの人たちが助けてくれて、あらためて偉大なスポーツだなと思いました。そしてそれを仕事にできている自分は、毎日100%を尽くさないと周りに失礼だろうと思います。

(第3回 前田遼一さんの話も聞いています……レノファ山口 髙柳一誠が永くプレーをつづけるために大事にしているテーマとは?