「オレンジ」がJ2に落ちる日。断崖絶壁の清水で大榎監督は活路を見出したのか?
シーズン途中からクラブを背負うことになったレジェンド監督の目線で現状を紐解く。
▼新監督就任から5カ月
「オレンジはJ2に落ちない」
まことしやかにささやかれてきた言葉も、今季で終わることとなった。来季J1に残るのは清水のオレンジか大宮のオレンジか。どちらも残ることはあり得ない。「オリジナル10」と言われるJリーグ創設時のクラブの一つとして、清水エスパルスは「勝ち点1で残留」となる今季最後の試合にプライドを持って臨む。
そんな状況で清水の指揮を執るのは、大榎克己監督。清水のプロ第一号選手でもあった彼は、監督就任直後から選手たちから信頼を得ることに成功している。だが、すぐに結果を残すことはできなかった。試行錯誤を繰り返した約5カ月。今節、その集大成を我々は目の当たりにすることになる。
▼ゴトビ体制からのバトンタッチ
今季、清水のスタートは悪くなかった。開幕戦で7年ぶりとなる勝利を挙げ、4月にはナビスコカップを含め公式戦5連勝を記録。しかし、その4月の快進撃を最後に低迷が続いた。ナビスコカップ予選を開幕から3連勝で迎え、あと1勝すれば決勝トーナメント進出が決まる状況から3連敗。次のステージに進めなかった。
その悪い流れは、ブラジルW杯によるリーグ中断期間以降も変わらなかった。結局、第17節・柏戦でリーグ8試合ぶりの勝利のあと、アフシン・ゴトビ監督を解任。7月30日、当時ユースの監督を務めていた大榎監督に清水の命運を託すこととなった。
大榎監督にしてみれば、「いつかは清水で監督をしたいと思っていたが、『このタイミングでか……』というのが正直な気持ち」と就任会見で語ったように、いきなりチーム再建という重荷を背負うこととなった。2002年に引退し、03年から1年間清水トップチームのコーチ経験。その後、早大ア式蹴球部の監督を4年、清水ユースの監督を6年半。トップチームの監督としては初めての指揮だった。加えて、チームには善くも悪くも3年半にもわたったゴトビ前監督の色が強く残っており、新指揮官のサッカーを根付かせるには時間が足りない。「途中で監督が代わって良い結果が出たチームは少ないのではないかと思う」と不安を口にしつつ、それでも「このチームを絶対に下のカテゴリーに落としてはいけない」という使命感が彼の中にあった。
初陣は第18節・FC東京戦。0-4の大敗だった。ゴトビ監督が率いていた時と同じスタメン、同じシステムを採用していたにもかかわらず、「選手は最後まで戦ってくれた。そこに明るい光が見えた」と試合後に語るのがやっとで、内容的には多くの時間帯でボールを支配され、ほぼ何もできない試合だった。
翌節の徳島戦はメンバーを代えて勝利したものの、そこから後が続かない。第20節・仙台戦は2点をリードされ、一時追い付きながら、最後に力負け。以降の試合は毎回のように複数失点を重ね、さらに追い打ちをかけるようにCBの負傷も相次いだ。3バックに挑戦しても失点は止まらず、第26節・大宮戦までリーグ7戦勝ちなし。その間に20失点を喫し、順位も一気に17位まで滑り落ちてしまった。
▼もはや攻めるのみ
「失点を減らすためにやってきたが、それが逆にネガティブになってしまった」(大榎監督)
ゴトビ監督時代に植え付けられたように、選手たちは指示されたことを遂行する能力には長けている。しかし、いざ自主性を求められると、混乱してしまう傾向が顕著だった。守備的な形を取りながらも、臨機応変に対応してもらいたいという指揮官の意図はなかなか選手たちに伝わらなかった。
それを受けた、大榎監督は決断を下す。狙ったのは「相手の良さを消す」のではなく、「自分たちの良さを出す」こと。馴染みのある4バックに戻し、本田拓也をアンカーに据えたシステムで前面に押し出し、試合を支配することを狙い、またそれができるようにもなっていった。残留争いの直接対決となる第27節・C大阪戦でようやく勝利を得ると、続く天皇杯準々決勝・名古屋戦もPK戦の末に勝利を収め、公式戦2連勝。清水は徐々に「勝てるチーム」に変貌しつつあった。
ただ、この流れは「自分たちの良さ」を見せられない試合は、あっさりと負けてしまうことと表裏一体だった。これは前節・柏戦は天皇杯準決勝が間に挟まっており、「練習を抑え過ぎた」(大榎監督)と、動きにキレが見られなかったのも一因だった。現在のスタイルは絶対的な運動量が求められるため、コンディション面の良し悪しが勝敗へ直結する傾向も明確なのだ。大榎監督としては、また新たな課題を突き付けられることになった。
大敗からスタートした5カ月間。失敗から多くを学んだチームは着実に成長を遂げている。前節の失敗も含めて力に変えるしかない。さらに大宮が名古屋に後半アディショナルタイムに失点して敗北を喫するなど「サッカーの神様にチャンスをもらった」という運も味方につけている。
「選手たちには、ここにすべてを懸けるように言った」。
泣いても笑っても、これが最終節。ただ、感動で泣くのも、安堵で笑顔を見せるのも、試合が終わってから。清水はホームで、自らの手で残留をつかみ取る。
田中 芳樹(たなか・よしき)
1980年、兵庫県神戸市生まれ。2012年から静岡市清水区三保の練習場近くに引っ越し、取材活動を始める。『エル・ゴラッソ』の清水担当を務めて、3年目。ほとんどの日々を練習場と自宅の半径1km圏内で過ごし、三保半島から選手たちの声を届けている。趣味は落語。と言っても、「寿限無」を2度しかやったことはない。ちなみに、「田中芳樹」は本名である。