“山岸の奇跡”が浦和を奮い立たす。もはや肚はくくった。人事を尽くして奇跡を待つ
絶望を前に何を思うのか。浦和レッズを追い続ける神谷正明が現在の心境に迫る。
▼まさかの首位失陥……
やるべきことははっきりしている。
思い描いていた未来とはほど遠い現実に打ちのめされたが、もう肚(はら)はくくった。目の前の試合に勝つ。今、選手たちの頭にあるのはそれだけだ。浦和レッズは6日、逆転優勝に望みをつなぐためにホームで名古屋を倒しにいく。
わずか2週間で浦和の立場は激変した。W杯によるリーグ中断期間を首位で迎え、その後も粘り強い戦いでトップを走ってきた。しかし、11月22日のG大阪とのホームゲームで終了間際に2失点を喫して敗れると、1週間後に行われた鳥栖とのアウェイ最終戦でも終了間際の失点でまさかの引き分けに持ちこまれ、最終節を前にして第19節からずっと守り抜いてきた首位の座から陥落してしまった。
内容的にはどちらの試合も決して悪くなかった。むしろ、今季の強みを前面に出して戦えていた。セカンドボールに必死に喰らいつき、球際では泥臭くやり合う。だが、G大阪戦では攻めて勝ち切ろうとしたら手痛いしっぺ返しをくらい、鳥栖戦では守って逃げ切ろうとしたら最後にガードをこじ開けられた。ベンチの采配を含めてすべてが裏目に出てしまった。
何をしても望むような成果が出ないという現実はあまりに残酷だ。自分たちで招いた結果だからこそ、負った傷も深い。選手たちは口々に気持ちの切り替えを強調したが、それが簡単な作業でないことは誰の目にも明らかだった。
▼希望をもたらす浦和の男
だが、そういった暗澹たる状況下において”浦和の男”が一筋の希望をもたらした。鳥栖戦の翌日に行われたJ1昇格プレーオフの磐田対山形戦、後半アディショナルタイムに突入した際のスコアは1-1。山形の敗退がまさに決まろうとしていた時、ラストチャンスのCKにGK山岸範宏が攻め上がると、FW顔負けのスーパーヘッドを決めて山形に歓喜をもたらしたのだ。
山岸は6月に山形へ期限付き移籍するまで、浦和で14シーズン過ごした。決して器用にボールを扱うタイプではないことは浦和にいる者ならば誰もが知っていることだ。その山岸が絶体絶命の状況でファインゴールを決め、一生に一度あるかないかの大仕事をしてみせたのだ。
宇賀神友弥は縮こまっていた背中をバシッと叩かれた思いがした。
「どう気持ちを切り替えていいか分からなかったけど、ギシさんのゴールがすべてを吹き飛ばしてくれた。気づいたら吹っ切れていた。ネガティブな思いに包まれていたけど、信じてやれば可能性があるんだと思わせてくれた」
最後まであきらめなければ何かが起こる。フィクションの世界なら陳腐だと一笑に付されかねない奇跡を、身内が実際に引き起こしたのだ。この事実に奮い立たないわけがない。梅崎司も「鳥栖ではやられてしまったけど、その逆もあり得るというのをギシさんが見せてくれた。自分たちを出し切らないと何も始まらない」と語気を強める。
浦和には奇跡の体現者もいる。2003年11月29日の2ndステージ最終節、那須大亮は横浜F・マリノスの一員として磐田と対峙していた経験を持つ。
「あの時は他力も他力。勝たないといけない試合で前半に10人になるし、0?1で負けているから逆転しないといけないし、他会場は前半で鹿島が2?0だと聞いていたし、千葉(当時・市原)も勝っていると言うし」
那須は当時をそう振り返って笑う。
横浜FMは磐田に勝利した上で他会場の結果次第というのが優勝の条件だったが、いざ奇跡を起こさんと意気込んで挑んだ試合は前半15分にGKが退場、さらに1点のビハインドという最悪の展開になった。だが、最終節の試合がすべて終わった時、頂点に立っていたのは横浜FMだった。その経験があるからこそ那須も「最後まであきらめない」と力を込める。
▼奇跡は起こそうとして起こすもの
奇跡はそう簡単に起きないから奇跡と言う。現実は決して優しくはない。だが、最善の努力を尽くさなければ、起きるものも起きない。選手たちがやれることは今シーズン、いや、ペトロヴィッチ監督が就任してからの3年間で積み重ねてきたものをすべて名古屋にぶつけ、持てる力を出し切って最終戦を白星で飾ることだ。
納得のいくサッカーで結果を残せたら、あとは吉報が届くのを待つだけだ。
神谷正明(かみや・まさあき)
1976年東京都出身。スポーツ専門のIT企業でサッカーの種々業務に従事し、ドイツW杯直前の2006年5月にフリーランスとして独立。現在は浦和レッズ、日本代表を継続的に取材しつつ、スポーツ翻訳にも携わる。