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ギリシャ戦速報レポート。吉田のパワープレーは問題の本質に非ず

ザックジャパンの引き出しに、エレガントな解決策はもう残っていないのかもしれない。しかし壁を跳び越えられないならば、壊れるまでハンマーで叩き続ければいい。

>ギリシャと対峙したW杯第2戦はスコアレスドローに終わった。週替わりのテーマで日本サッカーを論じる『J論』では、「勝ち点『1』。断崖に立つ日本代表に窮余の一策はあるのか?」と題してギリシャ戦を総括しつつ、コロンビアとの第3戦を占っていく。初回となる今回は博識の党首・大島和人が、ギリシャ戦における日本の失敗に切り込む。吉田麻也のパワープレーを「枝葉末節」と断じる一方で、「その前の80分、85分」にあった問題を考える。

▼吉田を上げた時点で負けだった
 1億2千万人から、世界中のサッカーファンから「なぜ?」という声が聞こえてくる試合展開だった。

 なぜ10人のギリシャを崩せなかったのか?

 なぜ交代枠を残したのか?

 なぜ吉田麻也のパワープレーだったのか?

 なぜ豊田陽平やハーフナー・マイクを代表に入れなかったのか?

 しかしあえて言うなら、吉田麻也を前線に上げた時点で日本の負けだった。

 アルベルト・ザッケローニ監督は、ウディネーゼ時代に巨漢FWビアホフを擁し、その力攻めを前面に出したスタイルでセリエAに旋風を起こした指揮官である。その彼が「日本には空中戦の文化がない」と大型FWを選出しなかった理由を既に語っている。空中戦のスペシャリストたる男が、可能性が乏しいと見切っていた戦術を土壇場で採用した。それは指揮官として”白旗”を揚げたことを意味する。

 前半を振り返れば、ザックはしっかり手を打っていたと思う。大久保嘉人、岡崎慎司という、DFの背後を突けるアタッカーを両翼に置いたことで、日本は攻守両面の流れを掴んでいた。まず高い位置にギリシャを押し込み、DFが外をケアしたことで中央のスペースも空く。それにより大迫勇也は、前半19分、21分と二度の決定機を迎えた。

 遠藤保仁、香川真司の”スーパーサブ起用”も悪くなかった。前半に相手DFを走らせてジャブを打ち、後半はボールを動かせる、中に切れ込める選手を起用する。90分から逆算したゲームプランとして、まったく間違っていない。

 しかしザッケローニ監督が「正しかった」のはそこまでだった。

▼低クオリティのポゼッション
 日本は数的優位の状況を持て余した。ギリシャ代表のカツラニス主将が退場したのは前半38分のこと。そこから日本は数回の決定機を作っているが、ギリシャを崩せた、ボコボコに打ち込めたかといえば違う。1トップを残してエリア内を[4-4]のブロックで固める相手を、日本はなかなか崩せていなかった。むしろ相手が割り切って引いたことで、戦いづらくなったようにすら見えた。

 ボールを持つだけでは意味がない。それは確かに正しい。しかし闇雲に蹴りこめば、切れ込めば良かったのか?それは断じて違う。

 引いた相手をどう崩すか――。

 それは世界中のフットボールパーソンが長年にわたって取り組んできた究極のテーマだ。バルセロナやスペイン代表を見ても、永続的な解決策はない。しかし一つ確実に言えることがある。日本代表はポゼションサッカーと言われつつ、実のところ、パスで相手を崩し切るだけの用意もクオリティもなかった。

 どう相手を拡げて、どう相手をおびき出すか――。そういう”絵”の共有があれば、パスワークは機能する。しかしギリシャ戦の日本は、ゴールに近づけば近づくほど、もどかしかった。止まる選手、外や内に小さく動いて角度をつける選手、動き出す選手という彩りがなかったからだ。動きがかぶって連動していなかったからだ。自分が悪い体勢になったら味方に任せるという”逃げ”のパスで、このレベルの相手は崩せない。

 本田圭佑、香川真司という個は相応のレベルだし、過去の代表戦では即興的に合わせるビューティフルゴールも決めてくれている。しかしW杯という舞台では、相手が日本の特徴、個々の癖を研究し尽くしてくる。となれば、同じことを同じようにはできない。

 狭いところを2,3人で崩していくパスワークは日本の強みだが、あれだけエリア内を閉じられたら、それはなかなか出せない。一方で105m×68mの幅と深みを使って、11人で崩すという意味の”ポゼション”は、日本には欠けていた。相手が迷うところに入れて足を止めさせる、釣り出すという布石がなければ、ペナルティエリア内を崩すことは難しい。

 最初から力攻めで行く覚悟を決めて、その用意をしておくという発想もある。しかしそれはコートジボワール、ギリシャに対して日本が強みを出せるポイントではない。相手が手厚く固めたところに斎藤学を入れたとしても、それが効いた可能性は低い。つまりギリシャ戦における最大の難点は交代策などのオプションプレーという”枝”ではなく、パスワークという”幹”にあった。80分、85分までの流れで取れなかった時点で日本の負けだった。「この日本なら後ろに引けば守り切れる」とギリシャに思わせた時点で、手詰まりだった。

▼飛ぶ力がないなら、当たって砕くのみ
 結局のところ、ギリシャ戦の90分間ではなく、4年間の準備でしっかり上積みできていなかったことが問題だったという言い方もできるだろう。

 とはいえ、そんなギリシャ戦にも勝ち点1という収穫はある。川島永嗣の好守がなければ、日本のW杯が終わっていた可能性すらあった。

 コロンビアに勝ち、ギリシャがコートジボワールに引き分け以上という厳しい条件であるが、日本にもまだ2位以上の可能性は残っている。コロンビアが既にベスト16進出を決めているのも、我々にとっては有利な条件だ。

 ザックジャパンの引き出しに、エレガントな解決策はもう残っていないのかもしれない。しかし壁を跳び越えられないならば、壊れるまでハンマーで叩き続ければいい。日本国民の多くがチームに希望を託している以上、日本代表は戦い続けるしかない。そして僕らはただ願うしかない。出来ることをやり尽くして、少しでも可能性を高めた上で、天の審判を受け入れる。どんな勝負事も、最後はそこに行き着くものだ。

 5時に起きて共に戦うサッカーファン、そして未来の日本代表選手たちに力を与える――。コロンビア戦こそは、そんな試合を期待したい。

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