日韓戦へ。”控え組”内山裕貴が得た手応えと一体感、そして魂のゲームの予感
"控え組"内山裕貴が感じていたチームの壁と新たに得た一体感。運命の日韓戦を前にした、チームの現状に迫る。
▼バラバラだったU-19代表
「日本、めちゃくちゃ弱いな」
テレビで試合を見た方はそう思ったのではないだろうか。U-19日本代表のここまでの戦いぶりは、はっきり言って低調だ。初戦で中国に敗れ、第2戦はベトナムに終了間際の同点弾を許し、ロスタイムにどうにか振りきる薄氷の勝利。第3戦で韓国に勝つ以外に、先へ進む道はなくなった。
鈴木政一監督が就任した昨年3月からの活動を定期的に見て来た身からすると、彼らが持っている力を出し切れているとは到底思えない。主力組が「託された自分たちが絶対にベスト4に入って世界大会の出場権を取らなければならない」という大きなプレッシャーをまともに受けているフシがあるのは不調の要因だと思うが、実はもう一つ心当たりがある。
9月24日、大会に臨む23名が発表されたとき、不動のレギュラーだった選手が外れて、初招集の選手が入り、下の年代の選手が多く入るなど、固定される傾向のあったチームに大きな変化が見られた。「ユースや高校の中心」だった中軸選手が「プロや大学の1年生選手」に変わった今年に入り、チームのパフォーマンスが低下していたことを思うと、メンバー変更自体は当然の流れだった。しかし、固定メンバーで戦って来たため、既存の選手と新たに加わった選手が短期間で一体になれるかどうか、一抹の不安があった。
問題の解消には、グループリーグで交代選手を使いながら勝利を積み重ねて一体感を得るというのが理想の流れだと思われた。ところが、日本は初戦でいきなり足をすくわれた。内容面ではMF川辺駿、関根貴大、金子翔太といった、これまでチームを引っ張って来た選手の動きが一様に硬く、最後に滑り込むようにメンバー入りして途中出場した高校生のMF井手口陽介、奥川雅也が軽快な動きと積極性を見せてチームに活力を与えていた。第2戦も奥川、井手口がゴール。長くやってきた自負と責任感から重圧を感じて停滞感のある既存メンバーと、怖いものなしで勢いのある新規メンバー。2つの流れはあまりに対照的で、融合している感じはなかった。
▼内山裕貴の証言
その二つに見えない壁を感じていたのが、DF内山裕貴である。鈴木ジャパンの立ち上げ時からレギュラー格のCBとして重用されてきたが、宮崎での最終調整試合で脳震とう。直前でポジションを失った。その悔しさを押し殺し、12日の練習では誰よりも闘志を燃やしていた内山は、チームの状態を素直に明かしてくれた。
「最初は、チーム内にいろんな気持ちがあった。年齢なんて関係ないと思ってはいるけど、僕らより1学年上でもうプロで戦ってきている選手と、1学年下でまだユース世代の選手とのコミュニケーションは、難しい部分があった。でも、下の学年の奥川や井手口が活躍してくれたのはありがたいし、U-19の力になってくれている。先発組と控え組の関係も初戦の中国戦を終わった後は、距離というか壁があるのを感じた。中国戦は、攻めあぐねて決められるチャンスを何本も外した。守備もバラバラ。ベトナム戦も得失点差が必要な状況になって、自分たちで苦しんだ。(試合の内容、結果に対して)『なんで?』という感じがあった。でも、ベトナム戦を終わって、『もうやるしかない』とみんなの気持ちが切り替わった。『もう誰でも良い』という感じになって打ち解けて、控え組が意見を言い出せるようにもなって、試合に出ていた選手も素直に聞くようになって、いまは同じ方向を見られるようになった」
勝ちながらチームをまとめる当初の理想と大幅に違うことは否めない。しかし、瀕死の状態に追い込まれながらでも生き残ったことで、成立しなければいけなかったチーム状態にはたどり着いたのかもしれない。奇しくも、第2戦のベトナム戦ではMF松本昌也、DF広瀬陸斗、そして奥川が負傷し、厳しい状況での第3戦を余儀なくされた。さらなるメンバー変更を迫られていると言っても過言ではない。
▼そして魂の日韓戦へ
二つの流れを一つにまとめて、難関を乗り越えられるか。韓国との決戦を前にした重要事項は、ただ一点だ。既存の選手が新しい選手を受け容れて生かし、新戦力が既存の選手が持つ責任感を共有して戦う。そして不調の選手が蘇る。そうした団結のサイクルなくして、強敵の韓国を破ることはできないだろう。勝ち点3の3位で、2位の中国に直接対決で敗れている日本は、宿敵・韓国に勝つ以外に決勝トーナメント進出の可能性はない。U-16がアジア選手権で、そしてU-21アジア大会で敗れた相手に勝つ必要がある。
追い込まれて一つにまとまった彼らがこれまでと同じような試合をするとは思えない。ずっと見て来たチームへの「こんなものじゃないだろ!」という気持ちが解消される、魂のこもった戦いを見せてくれるに違いない。
平野貴也
1979年3月1日生まれ。東京都出身(割りと京都育ち)。専修大卒業後、スポーツナビで編集記者を経験。1カ月のアルバイト契約だったが、最終的に6年半居座る。2008年に独立。フリーライターとして大宮のオフィシャルライターを務めつつ、サッカーに限らず幅広く取材。どんなスポーツであれ、「熱い試合」以外は興味なし。愛称の「軍曹」は、自衛隊サッカー大会を熱く取材し続ける中で付けられたもの。