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吉田麻也、26歳。札幌の夜に見せた真のリーダーシップ

根性の現場取材派・小谷紘友が、26歳になったディフェンスリーダーに焦点を当てる。

9月5日、アギーレ監督率いる新生日本代表がその初陣を迎えた。「4年後」を意識させるメンバー構成の中、日本はウルグアイに0-2で敗れた。この「最初の90分」で見えてきたもの、あるいは見えてこなかったものとは何なのか。第2回目は根性の現場取材派・小谷紘友が、26歳になったディフェンスリーダーに焦点を当てる。

▼ゲームメーカー不在の後方で
 ちょうど1年前、吉田麻也は渦中の人だった。

奇しくも今回と同じウルグアイ代表と対戦した昨年8月に宮城で行われた一戦などで失点に直接絡むプレーが続き、日本代表のレギュラーとして疑問符がつけられていた。

 そこからの1年で凄まじい批判の嵐や負傷、新指揮官の就任がありながらも、吉田は今も日本代表を最終ラインから文字通り支えている。初陣で敗れた試合後、ハビエル・アギーレ監督は、新チームの主将についてのやりとりを明かした。

「選手たちに伝えたことは、本田(圭佑)、(川島)永嗣、麻也の3人がキャプテンであるということ」

 試合では、経験や年齢などを考慮されて本田圭佑がキャプテンマークを着けることになったが、吉田もフル出場した。そして今後はチームリーダーの一人としてだけでなく、キーマンとしての役回りも担っていくのではないか。アギーレ体制で採用されたアンカーを置く[4-3-3]でのボールポゼッションについて、細貝萌はこう説明する。

「麻也と(坂井)達弥の間にモリゲ(森重真人)が入って、ポゼッションしようという監督の意図がある」

 事実、ウルグアイ代表戦では中盤にゲームメーカータイプの選手を置かなかったため、吉田と坂井の両センターバックが外に開いて攻撃の起点となることが多く、吉田から右サイドの本田への縦パスや逆サイドに開いていた長友佑都、前線の皆川佑介へのロングキックを狙う場面はたびたび見られていた。

 当の吉田は自身の縦パスについて、「相手のサイドハーフがサボっていただけ」と言うが、アンカーの位置で起用された森重は、「攻撃のときは後ろに入って3枚で回して、麻也か達弥が持ち上がることができればいいですし、今日もそこから縦パスや相手の背後を狙うシーンが何度かあった」と手応えを明かす。攻撃の組み立てにおける重心が後方にかかっていることから、技術に優れたセンターバックである吉田の果たす役割は、アルベルト・ザッケローニ前体制時よりもさらに大きくなることは容易に想像できる。

▼キャプテンの一人として
 チームリーダーとキーマン。26歳にして2つの重責を担うことになるが、決して重荷にはならないはずだ。

 オーバーエイジで参加してベスト4入りしたロンドン五輪でキャプテンを務めていたことに代表されるように、元々チームを引っ張る意識の高い選手でもある。アギーレ監督に対しても既に英語で意見を言うなど、そうした役割について本人も意識的だ。

 キャプテンの3人に指名されたことについて、「まだ『信頼』というのはさすがに言い過ぎだと思う」と言いつつ、「直接コミュニケーションを取れるという意味では、選手の間に入るというのは重要かなと思いますし、ポジション的にも守備の確認なども監督と直接しないといけないので、別にキャプテンだからとか関係なくやっていこうとは思っている」と口にした。実際にウルグアイ代表戦でコンビを組んだ坂井も、「経験ある選手で、リーダーシップをとってラインもコントロールしてくれるので、すごく勉強になる」と信頼を寄せる。

 そしてこの1年、困難から決して逃げなかったことで、吉田に対する周囲の信頼感は増している。吉田はこれまでにも、激烈な批判や所属クラブでの熾烈なポジション争いを受け入れてきた。批判の渦中にあった際も、ミックスゾーンでは常に記者の質問に真摯に答え、選手の入れ替わりの激しいプレミアリーグで3シーズン目を迎えて奮闘を続けている。

大きな批判を浴びた時期から1年。代表デビュー戦でかつての吉田のように失点に絡んでしまった坂井に対しては、すぐさま「切り替えて、次しっかりやらせないように」と声を掛けている。坂井が「クヨクヨして1試合をないがしろにすることはもったいないと思った」と切り替えるのに一役買っている。

 守備の大黒柱となった姿を目の当たりにすると、今となってはメディアのほうが批判していたことをすっかり忘れているような空気すらある。悔しさや屈辱を乗り越えてきたところを思えば、「若手なのかベテランなのか、初招集なのかすでに代表でプレーしたことがあるのか、Jリーグ所属なのか海外組なのか、そういう区別はしない」と明言していたアギーレ監督が、キャプテンの一人に指名したことも自然な流れだろう。そして、吉田自身に慢心は見られない。

「毎回、毎回呼ばれた選手が日本代表だと思っているので、毎回呼ばれることにベストを尽くすし、呼ばれたらベストのパフォーマンスを出せるようにというのは意識している。監督の言うことももちろん理解できるし、でも、新しい選手に負けたくないという気持ちはもちろんある」

▼屈辱の記憶を背負って
 最後にひとつ、記しておきたい記憶がある。

 ブラジルW杯のグループリーグ最終節の4失点目。カウンターからハメス・ロドリゲスに鮮やかなループシュートを決められた際、最後まで食らい付ながらも振り切られて眼前で得点を許すと、倒れ込みながら右手で何度もピッチを叩く姿があった。

 多くの悔しさや屈辱を乗り越えてきた吉田である。この男の本当の飛躍は、これからだ。


小谷 紘友(おたに・こうすけ)

1987年、千葉県生まれ。何とかサッカーで飯を食ってやろうと学生時代からメディアに潜り込み、現在まで生き延びている。この1年間は赤字覚悟で日本代表の密着取材を続けてきた。尊敬する人物は、アルゼンチンのユースホステルで偶然出会ったカメラマンの六川則夫氏。