
海外挑戦にはお金に代えられない価値がある…元日本代表・丹羽大輝がスペイン4部でプレーする理由【サッカー、ときどきごはん】
新型コロナウイルスは残酷だった
その期間にクラブを離れる選手は
対面で別れの挨拶することが難しかった
海外に行った選手はことさらそうだった元日本代表の丹羽大輝は
いつの間にかスペインへと旅立っていた
彼らしいと思いながらも不思議さは拭えない
そんな彼に海外移籍の真相とオススメのレストランを聞いた
■スペインはサッカーを中心に街が動いている
今のスペインのチームトレーニング場は人工芝のスタジアムで、練習も試合も毎日スタジアムに行く感じです。ジムはついていて、すごく設備に恵まれてるというわけではないかもしれないんですけど、最低限必要とされるものは揃ってる感じです。
だけどやっぱりJリーグのクラブみたいに芝生のグラウンドやお風呂や水風呂があったりという環境ではないのは事実です。だから僕は個人的にスポーツジムと契約して、練習前後にプールに入ったり、筋トレを入れたり鍛えたりしてます。足りないところは自分で補ってやっている感じです。
スペインはサッカークラブを中心に国や街が動いていて、スタジアムへのアクセスだったり利便性は、クラブのカテゴリーに関係なく整ってるんですよ。スタジアムに人が集まりやすいようになってます。スタジアムのアクセスを優先して街を作っているという感じがすごくします。
僕が住んでるのはスペイン北部のバスク、ビルバオという地域で、近くにはアスレチック・ビルバオと久保建英選手がいるレアル・ソシエダという2つのクラブがあるんですけど、その2つのクラブのスタジアムが建っている場所を見ても、本当に街のど真ん中なんです。だからサッカーを中心に都市が成り立っていると住んでいて感じますね。

(C)丹羽大輝
■抑えられなかった海外挑戦への気持ち
2020年、新型コロナウイルスが広がりだして、試合どころか練習もなくなりました。それだけじゃなくて家からも出られない状態になったじゃないですか。家にいるときに今後の自分の人生を考える時間がすごくあったんです。
当時の自分は34歳で、2021年1月にFC東京との契約が終わった後どうするのか、自分の人生やサッカー人生をこれからどう生きていくか考えました。
それまでずっとJリーグでプレーしてきて、このままJリーグ、日本で現役を続けるのか。それとも幼いころから持っていた海外でプレーしたいという思いを大事にするのか。それで「やっぱり海外に行って、いろんなものを経験して挑戦してみたい」という思いが明確になったんです。
若いころから海外でプレーしたいという思いはあったんですけど、契約の問題だったり、オファーが自分の行きたい国やリーグからの話ではありませんでした。Jリーグ優勝や日本代表に入ったタイミングでも海外行きの話はあったんですけど、移籍金や自分の実力不足で行きたいリーグや国に行けなかったということがありました。
ただ、2020年には海外からのオファーはどこからもない状態でした。それでもスペインに挑戦しようと思ったんです。
オファーで言えば、2020年の夏から冬にかけて国内のクラブからはいくつかいただいてました。サッカークラブ以外の企業の方からも「もしサッカー選手を辞めたらうちの会社に来ない?」という話をしていただいたりしました。
他にも引退した後のことまで考えてくださったJクラブもあったし、それはすごくいい話だと思ったんですけど、「でも来年ピッチで活躍したら引退してクラブスタッフにならなくてもいいんじゃないかな」とも思ったんです。
プレイヤーは活躍したらまた次の年の契約ができて、その1年の積み重ねをしていくのがプロサッカー選手の本来の姿だと思ってたんで、引退した後の道が用意されてることはありがたかったのですが、少し考えられなかったというか。
でも、こういったセカンドキャリアを見据えた話をいただいたときに、「いよいよ自分はそういう年齢に差し掛かってるんだ」というのを実感しました。そんなお話が来るようになって「引退」がリアルに迫ってきたというか。
実はそれまで何年も抱えていた身体の痛みがありました。特にFC東京に行ってからはその痛みがどんどん増していき、「このまま痛みが引かず、自分のパフォーマンスが出せなければ引退かな」と考えた時期もありました。
ただコロナで急遽試合や練習ができなくなって自宅からも出れなくなり、身体を無理に動かさなかったことで、その痛みがどんどんなくなったんです。毎年のシーズンオフはほとんど休まず自主トレなどをしてキャンプインに備えて体を動かしていたので、もう何年もなかった、ゆったりとしたオフシーズンを過ごせた感覚でした。
そして練習が再開されたときには体も心もフレッシュになっていて、痛みも出ず、自分の思いどおりのパフォーマンスが出せるようになってました。その年のACLやリーグ戦の終盤に出場して、「これはもう1回やれるんじゃないか」と思ったんです。
自分のプレーのフィーリングもすごく良く、結果も残せて、そこに海外でプレーしたいという自分の思いもリンクして、「海外で挑戦しよう」という気持ちがよりいっそう強まりました。
僕はスペインとイギリスのサッカーが好きだったので、「先ずはスペインに行ってサッカーの本場の国で自分自身がこれまで積み上げてきたものがどれだけ通用するのか試そう」って。
もちろんその時点で正式オファーは来てなかったし、自分にも全然伝手はなく、2020年末で代理人との契約も終わりにしてたんで、「とにかくまずは練習生としてどこかに入って契約をしなければ」という感じで2021年の1月に1人でスペインに飛んだんです。
2021年当時は僕が行ったバスク地方のエイバルに乾貴士選手や武藤嘉紀選手がいて、彼らの知り合いや現地のサッカー関係者にどこかプレーできるところはないか聞いたりしてました。そして最初は、元々別の知り合いだった方から紹介されたある3部のクラブに練習生として参加しました。
練習参加では手応えがあったし、監督も「オッケー」と言ってくれました。ところがその次の試合でチームが大敗しちゃって監督が解任になって。新監督は他のスペイン人選手を獲得するという方針で、結局話は急遽破談になりました。
そこからまた現地の知り合いを通じて、いろんな方に連絡してもらってると、「4部のセスタオ・リーベル・クルブというクラブが選手を探している」という話が出てきたんです。セスタオはリーグ戦で上位争いをしていて、昇格に向けてセンターバック、ボランチが必要だということでした。そのころにはもう2月になっていましたね。
セスタオは練習参加をして、すぐに契約したいと言ってくれました。ところが次に労働ビザの問題が出てきたんです。契約すると言ってもらって、契約書にサインもしたんですけど、コロナの関係もあって労働ビザの事務手続きが全く進まなかったんです。当時は窓口の対面受け付けは一切できなく、インターネット申請のみしかできず、なかなか返事も直ぐに来ない状況でした。
このままスペインでビザ発行の連絡を待ったほうがいいのか、それとも日本に帰ってビザが出た瞬間に在日スペイン大使館に手続きに行ったほうがいいのか。スペインにいてビザが出るという通知が来たタイミングで帰国するのはどうかとか、いろんな情報が二転三転して、どうすればいいか日々悩んでました。労働ビザ発行にはそれぞれの国同士の歴史や、因果関係も関与してる事が今回の手続きで初めて分かりました。
だけど当時の監督が「ビザが出るまでチームと一緒に練習することで、コンビネーションやコミュニケーションが深まるから、私がやりたいサッカーをここにいて学んでくれたほうがいい」と言ってくれたんです。
クラブもいつ出るか分からないビザを待って、他の選手の補強をせずに待ってくれてたので、ビザが出るまでスペインに残って練習をしていました。そしてビザが出た次の日にすぐに日本に一時帰国しました。当時はコロナの影響で、帰国する際にPCR検査の陰性証明書が必要だったり、帰国してからも日本のホテルで3日間の隔離があったりしたのですが、その中でコンディションを整えていました。
結局、最終的にすべての手続きが完了してプレーできるようになったのはサインをしてから3カ月後ぐらいでしたね。2月中旬に契約はできたけど、そこから一時帰国や、国際サッカー移籍証明書やそれぞれの国のサッカー協会の選手登録の照会などもあって試合に登録されて、試合に出られるようになったのは5月でした。1日でも早く選手登録ができるように手続きをしていただいたいろいろな関係者の方々には本当に感謝しています。
■スペイン4部の昇格プレーオフに劇的出場
スペイン4部は、日本で言うと、J1、J2、J3の下のJFLですね。スペインで移籍先を捜し始めたのが1月で、冬の移籍ウィンドウでシーズン真っ只中でした。
ヨーロッパでは通常7月、8月ぐらいにキャンプをやって、そこで新加入の選手をキャンプで試したりして、時間をかけて新チームを作ります。一方でシーズンが進んでいる冬のタイミングはシーズン中なので即戦力がほしいというタイミングなんです。
そこにスペイン語がしゃべれない、どこまでのレベルか分からない日本人選手が入るんですから、リーグのカテゴリーは選べませんでした。もちろんもっと上のカテゴリーでやりたいという気持ちはありましたけど、それよりも必要としてくれるクラブに入ったほうがいいだろうと、ポンっと入った感じですね。
もちろんプレイヤーとしてここから這い上がっていくという気持ちも持ってました。でもそれと同時に新たなサッカーや文化を学ぼう、人生を学ぼうという気持ちでも自分はいましたね。
キャリアとしてはベテランと言われる年齢にはなってましたけど、スペインではまだ0年だし、スペイン生活もまだ数カ月だし、そう考えると、「どのカテゴリーでプレーしてもまた新たな学びや発見もあるな」と思ってました。
「ベテランだったり、元日本代表だったりというプライドや肩書きは全部捨てて、もう1回新たな選手、人として成長していこう」という気持ちだったのを覚えてます。
代理人も伝手もなかったから、正直そこのチームしかなかったという感じでもあります。でもそれに対して後悔は全くないですし、もっと上のカテゴリーでやれたのにみたいな後悔も全くないです。移籍や良い出会いは、縁とタイミングだと思ってるんで、お互いが求め合ったタイミングでした。
結局、5月の最後の昇格プレーオフの時期だけ選手登録ができました。実はそれもすごく劇的で、僕が選手登録できるかどうかというタイミングでは、まだプレーオフに出られるかどうか分からないリーグ戦の順位だったんです。もしそのままチームがプレーオフに出られずにシーズンが終わっていたら、僕は選手登録だけして結局試合に出場しないままシーズンが終わっていました。
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