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サンフレッチェ広島・森保一監督退任。その功績と今季不振の理由とは?

不可避だった"経年劣化"

前半戦・第17節を終えて、今季のリーグ戦わずか2勝だったサンフレッチェ広島。チームを率いていた森保一監督が退任し、後半戦を前に広島はチーム改革を断行した。3度のリーグ制覇を成し遂げた”森保体制”。その6年目に何が起こったのか。森保監督の功績と今季不振の理由を、広島の番記者であり「SIGMACLUBweb」編集長の中野和也氏がレポートする。

▼”チーム森保”の仕事

 森保一監督が退任した。だがこの事実をもって、彼が積み重ねた功績はまったく色褪せるものではない。

 2011年末、名将・ペトロヴィッチ監督(現・浦和レッズ監督)が契約満了で退団。李忠成(現・浦和)などの主力もチームを去り、さらに減資という経営において大きな痛みも。多くのジャーナリストは広島の苦戦を予想し、降格候補に挙げる人も少なくなかった。そのタイミングで森保一監督は就任し、見事にチームを再整備して初優勝を飾ったのである。

 当時の財政規模はリーグでも中位。「予算規模と結果は比例する」と言われる現代プロスポーツの常識を覆して、森保監督が率いたチームは勝利を重ねた。いや、指揮官を中心とした「チーム森保」の勝利だったと言い替えてもいい。それは横内昭展ヘッドコーチをはじめとする指導者、織田秀和強化部長(現・社長)をトップとする強化部も含めてのことだ。

 ペトロヴィッチ前監督はまさに天才。フィジカルトレーニングからコンディション管理、分析も含め、すべてを自分がプランし、管理し、実行するタイプだった。戦術やトレーニングの構築も含め、湯水のようにアイディアがあふれる。彼の発想でいきなり練習内容が変わることもしばしばで、次のメニューが何なのか誰も分からないときすらあった。一方、森保監督はスタッフに仕事を任せ、その仕事を集結させて最後は自分で決断するタイプ。これは「いい・悪い」ではなく、スタイルの差だ。

 例えば、2015年の優勝に大きく貢献したドウグラスは、徳島ヴォルティス、京都サンガF.C.で結果を残していない選手だった。柴﨑晃誠にしても、徳島のJ1昇格に貢献はしていたが、各クラブから争奪戦になったほどではない。その能力を見極め、広島のサッカーに合うと判断して獲得に動いたのは強化部。そして二人の適性を見極め、ドウグラスと柴﨑をシャドーにコンバートしたのは森保監督の見立てだが、そこには横内ヘッドコーチの意見も反映されている。北京国安(ゆ中国)や清水エスパルスで結果を出せなかったピーター・ウタカ(現・FC東京)を呼び寄せ、得点王という活躍を引き出したのもチーム森保の仕事だ。

 攻撃や戦術面は横内昭展ヘッドコーチ。守備は森保監督の得意分野だが、下田崇GKコーチもそこに関わり、特にセットプレーなどでは彼が指示を出すこともしばしば。フィジカル強化やコンディショニングは松本良一コーチに。若手育成やデータ分析などにも専門のコーチを置いて、彼らに責任ある仕事を任せた。

 もちろん、任せっ切りではない。サテライトチームの采配や指導は横内コーチが主役となるが、例えば若手の2部練習や練習試合でも、必ず森保監督は顔を出した。実際にその現場を見て報告を受けるのと見ていないのでは、その中身の受け取り方がまったく違う。分析にしても担当コーチに仕事を預けているが、森保監督もまた徹底して映像を見つめ、独自の情報収集・解析は行っている。任せはするが、放置はしない。意見を集約し、まとめ、最後には責任を負って決断する。だからこそ、森保監督は常に、誰よりも多忙だった。

 仕事を任せてもらえないと、面白くない。しかし、だからといって責任をとらされるのは怖い。一方、任せるほうは「自分がやったほうができる」と思いがちであり、うまくいかないときは「アイツにやらせたせいで」と言いたくなる。チーム森保にはこういう「ありがち」なことは、なかった。

 その仕事ぶりは、幕末で言えば薩摩の英雄・西郷隆盛のごとくだろう。西郷の下には、その人徳によって多くの人材が集まっていた。やがて対立することになる大久保利通をはじめ、ある部分の能力ではむしろ彼を凌駕するのではないかという逸材も「西郷どんのために」と粉骨砕身。それは、西郷が仕事を任せ、一方で発生する責任をすべて自分自身で引き受けていたから。森保一のマネジメント法も、まさにそれ。だから、チーム森保は働いた。

▼不可避だった”経年劣化”

 だが、鉄の結束を誇ったチーム森保でさえ、広島を襲った機能不全を覆すことはできなかった。それは、天才=ミハイロ・ペトロヴィッチですら同様。09年以降の広島はコンビネーションで結果を出せなくなり、11年には天才的な技術を誇るムジリと李忠成という個の能力で打開するしかなかった。

 チーム森保は、すでに経年劣化が進んでいたチームの形を残しつつ、さまざまなエッセンスを加えて変革することで力を向上させた。その一つは、形の固定である。

「広島のサッカーは約束事が細かい」

 かつて石原直樹(現・ベガルタ仙台)がそう語ったように、広島の各ポジションの役割は明確。選手にはそのタスクをしっかりとやり抜くことが求められる。アイディアは、そのベースの上に存在するものだ。広島に加入した選手が最初は戸惑うのも慣れてきたら機能し始めるのは、やるべきタスクが明確だからだ。髙萩洋次郎(現・FC東京)のプレーが森保体制になってさらなる輝きを増したように、枠をある程度ハメたほうがアイディアを発露したときに効果的になる。

 そのコンセプトは、スチュワート・バクスターの手法を思い出させた。1994年、広島をステージ優勝に導いた名将のサッカーは、選手に細かな約束事を与え、「個人よりも組織、アイディアよりも機能」を優先させ、結果を残す。チーム森保は、ペトロヴィッチのアイディアに満ちたサッカーとバクスターの機能美をミックスさせることに成功し、3度のリーグ優勝を勝ち取った。

 だが、”経年劣化”はどういう組織であっても不可避。かつての磐田、そしていまの浦和を見ても分かるように、マンネリは避けられない。一方でチーム森保には「3度の優勝」という成功体験がある。そこに引っ張られたとしても、それを責めることはできまい。ましてチーム森保の根本の部分はペトロヴィッチ・サッカーの継続であり、そこを創意工夫によってカバーしてきた。だが、状況は限界点に達してしまった。

 研究を重ねられたこと。新エース候補だった浅野拓磨の移籍、DFのエース候補だった佐々木翔の負傷、そして優勝を支えた森﨑浩司の引退や佐藤寿人(現・名古屋グランパス)の移籍。森﨑和幸の病気離脱。プレシーズンでの多数の故障者により、ショートカウンターに活路を見い出そうとした指揮官の想いは崩れた。

 広島苦戦の要因は、数え上げればキリがない。だが、その根本は、塩谷司が自分自身に言った「マンネリ」という言葉がすべて。もはや大きな改革なくして、状況は改善しないところまで来ていたのだ。

 広島の基本である「フェアプレー」「アグレッシブ」「ボールを大切にする」「若手の育成」という部分は、これからも継続しなければならない。それを踏まえた上での戦術の展開は、ゼロベースで考えるべきだろう。そして、とにかく結果を出す。「この結果の責任は、死に物狂いで勝ち点を稼ぐこと。そのことで森保監督に恩返しするしかない」と織田秀和社長は苦渋の表情で語る。やるべきことは、それしかない。