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「茨城のために生きる。”ローカリスト”として生きることで気付けたこと」佐藤拓也/後編【オレたちのライター道】

茨城に移り住んだことで生まれた変化

“ライターの数だけ、それぞれの人生がある”。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画がスタートした。第3回は『デイリーホーリーホック』の佐藤拓也氏に話を聞いた。
(前編「事故、震災、人との出会い。人生の転換期でその道を選択した理由」佐藤拓也)

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▼茨城に移り住んだことで生まれた変化

ーー佐藤さんは茨城地域の雑誌の編集など、いろいろな媒体のお仕事もされていますが、『デイリーホーリーホック』の話を聞く前に仕事の幅が広がっていくプロセスを簡単に聞かせてください。

佐藤 移り住むまでは何の縁もゆかりもない茨城という地でしたが、周りの人は見ているんですよね。僕が水戸で取材をしていても、軸足が東京にあるように見えていた時期はあまり茨城での仕事の広がりはなかったのですが、いざ茨城で仕事を始めると、県内のいろいろな方と会う機会が増えました。そういった方々と飲みに行くようなことも気軽にできるようになると、自然とそういう機会が増えますよね。

そうこうしている間に人脈も広がり、いろいろな出会いもあるので、そういったお仕事の話もいただけるようになりました。やはり本腰を入れないと、地域の方々はなかなか振り向いてくれないんだなとあらためて感じました。「この人、本気なんだな」ということを、周りの茨城の方々がある程度認めてくれたんだと思います。

そのあとは地域のことを学びつつ、素直に地元の方々にとにかくお会いしました。その現場で感じたことは、地方ではサッカーやJリーグはそれほどメジャースポーツではないということ。地方はやはりプロ野球や高校野球人気が根強いんです。いざ関係者の方をご紹介いただいても、「水戸ホーリーホックを取材しています」ではあまり響かないことのほうが多いです。その一方で人と接する中で関係性をつなげられるか、人をいろいろと動かせるか。そういった取材者を超えた活動を求められることが多くなりました。

ーーその過程で「こういうことをやっていただけますか?」といった相談事を受けることがあるのでしょうか。

佐藤 まだそこまで大きなことを成し遂げているわけではありませんし、いまもまだ試行錯誤している段階です。そういう意味ではまだ自分の中で突破口は見い出せていません。

▼『デイリーホーリーホック』のセールスポイント

ーーそれでは『デイリーホーリーホック』の話題に移りましょうか。そもそも始めたきっかけは何でしたか?

佐藤 最初は茨城のサッカーという括りで始めようと模索したのですが、事情があって話がなくなりかけたときに、タグマの担当の方から「ホーリーホックだけでやってみましょう」という打診を受けました。最初に話を聞いたときは、当時の水戸の平均観客動員が約3,000人だったので、「採算が成り立たないのでは?」と僕のほうが難色を示しました。

ただ担当の方から「ニッチのほうが読者ウケする」と説得されるうちに「そうか、やれるかもしれない」という気になってきました。しかも茨城という土地は、地元紙のシェアが全国で下から数えたほうが早いくらい低く、地上波のテレビ局もNHKぐらいしかなかったので、比較的媒体が乏しい土壌ですからホーリーホックの情報が地元の方にあまり届いていなかったんです。そういう地域性の背景もあって、ホーリーホックに関する情報をきちんと届けたいという思いが芽生えてきました。その結果、『デイリーホーリーホック』を始めたんです。

ーー「デイリー」と謳っているということは、毎日……。

佐藤 ほぼ毎日更新しています。

ーー「デイリー」にはこだわりがあったのですか?

佐藤 例えば浦和レッズさんならばスター選手も多いですから、スター選手を入口に読者になってくれる方はいると思いますが、『デイリーホーリーホック』を始めるにあたって、何か一つ売り文句が必要だと考えたときに、「ホーリーホックを取り上げています」だけではなく、ホーリーホックの中でも何か一つ絶対的なものが必要なんじゃないかと考えました。そして文章の質やスター選手のネームバリューで勝負するよりも、ウチは毎日とにかく何かしらのホーリーホックに関する情報は載っていますよ、とそれを売り文句に媒体をスタートさせました。

ーーそのほかに記事や企画を作る上で大事にしていることはありますか?

佐藤 とにかく伝えることを大切にしています。ビッグクラブのサポーターは情報が多いため、好きなライターやメディアの情報を選ぶことができますが、水戸に関してはメディアが乏しい地域であるため、サポーターは情報の選択ができません。例えば「佐藤拓也の言っていることは嫌だから入らない」という方がいたら、その方にホーリーホックの情報は届きにくくなってしまいます。そうならないように、僕のフィルターをあまりかけずにやりたいなと思っています。個人媒体という認識ではなく、ホーリーホックをメインに取り扱う媒体という意識があるため、自分の色はあまり出さずに情報を届けたいんです。プレビューやレポートは多少自分の色が出ているかもしれませんが、コメントはそのまま載せるなど、「伝える」ことを強く意識しています。

ーー『デイリーホーリーホック』はホームタウン活動報告や新スポンサー企業のインタビュー企画など、周辺情報を網羅していることも一つの特徴なのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

佐藤 個人的にはむしろ周辺情報のほうが大事なのではないかと思っています。ホーリーホックの一番の売りは、年間800回以上を超えるホームタウン活動でそれこそがクラブの価値です。そうした活動を一人でも多くの方に知ってもらいたいと思っています。クラブオフィシャルの発信ではなく、メディアを通して報道することでさらに多くの方に知ってもらえるんじゃないかと。クラブの価値を高めることで、メディアの存在意義も出てくると思っています。

ーー2012年4月1日スタートと聞いていますから、6年目に突入していますが、始められて良かったなと思っていることは何かありますか?

佐藤 しっかりと『デイリーホーリーホック』が届ける情報を読者の方々がしっかりと受け止めてくれていると実感できることが良かったなと思うことです。情報が乏しいと、サポーターの間で判断して行動することが一人歩きするようなこともありますが、定期的な情報を出し続けることでサポーターもすごく良い雰囲気を作ってくれていると実感できているので、少しは『デイリーホーリーホック』が貢献できているのかなと思います。実際に始めた12年から観客動員は上がっていますし、始めた時期と観客動員が増え始めた時期が合致しているので、少しは貢献できているのかなという自負があります。

ーー『デイリーホーリーホック』の今後の展望は?

佐藤 始めた当初からあまり短期的な視野で捉えておらず、10年ぐらい続けて初めて価値が出てくるのではないかと思っていたので、とにかく続けていくことに重きを置いています。ホーリーホックの媒体なので、クラブの成長とともに僕も歩んでいる気がしています。クラブとともに成長する中で、将来的にJ1クラブ、もしくはクラブが発展したときに『デイリーホーリーホック』が多くのサポーターに認められるような媒体でありたいと思っています。ホーリーホックの報道イコールデイリーホーリーホックと認識していただけるとうれしいです。まだまだ影響力はそんなに大きくないので、将来的には選手からも一目置かれるような、影響力を持った媒体になりたいなと思っています。

ーーちなみにJ2クラブのライターで良かったと思うことはありますか?

佐藤 J1クラブを担当するよりも、例えば監督とたくさん話ができることで、いろいろと学ぶことができるのかなと思っています。横浜FC担当の時代に都並(敏史)さんが監督だった折、都並さんの横に座ってサッカーの解説を聞かせていただきました。実は都並さんが僕のサッカーの師匠なんです。いろいろなサッカーの見方を教えていただきました。

▼ナンバーワンよりオンリーワン

ーーライターの世界も下の世代の突き上げがあると思いますが、先輩として何かメッセージはありますか?

佐藤 メッセージなんておこがましくて、むしろ若い方からは逆に学ぶことが多いです。「こんなことを考えているのか」と感心することもあります。一つ言えることは、いろいろな道があるから、自分なりの道を歩むことが大事だと思います。自分なりの物差しを持つとすごく楽になると思います。僕が東京に軸足を置いているころは競争もあるので、焦りや不安に駆られることもありましたが、地方で生活をすると、危機感よりも使命感のほうが強くなりましたし、個人的にはそちらのほうにやりがいを感じます。

サッカーライターの世界もいろいろあります。日本代表という中枢を追いかけることに価値を見い出し、自分の格を上げていくこともその一つです。日本代表のあの選手を……と論評できるに越したことはないのかもしれませんし、「サッカーのフリーライターをやっています」と胸を張れる人はそういう方々かもしれませんが、決してそれがすべてではありません。いろいろな生き方がありますし、地方でしっかり地位を確立されている方もいます。ナンバーワンも大事ですが、オンリーワンを見付ける。そうした自分だけのオンリーワンの価値観を見い出してやっていくことが大事だなという気がしています。

ーー佐藤さんのオンリーワンは、茨城という地域性に見い出したということですね。

佐藤 いまは新たな道を切り開く楽しみがあります。個人的な一番の夢は、茨城のスポーツメディアを変えていきたいという思いがあります。まだまだ全然できていませんので、それが一番の夢であり、目標です。

ーーその目標や夢に近付くためには、何が必要だと思っていますか?

佐藤 一つは自分の価値を高めていくことだと思います。そのためには人と会わないといけないですし、実際会う人もどんどん変わってきています。今までは選手やサッカーの現場の方が大半でしたが、いまは営業で企業の経営者の方にお会いする機会も増えています。そういった方々から信頼を得るため、関係を築くためにはどうすべきか。そのために自分を磨く必要がありますし、それ相応の服装や礼儀作法、言葉遣いなど変えていかないといけない。また、それなりの知識を持たないといけない。最近はそう痛感することが多いです。そういったことを若いうちに配慮できる人は、目標にたどり着くのも早いのかなと思います。若いときにやっておけば良かったと後悔ばかりですが、後悔してばかりでは良くないので、目標に到達するためにもやらなければならない。日々勉強。それが現状です。

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【EXTRA TALK】
良いものを書くために、良いものを使う

佐藤 僕のこだわりの仕事道具はノートです。いつもコレを使っているのですが、900円以上するんです。地元の高級な文房具店に売っているのですが、個人的には良いものを書くために良いものを使いたいと思っているので、その文具店の中で一番高いものを使っています。

良いものを使うとあまり粗末にはしません。ノートを忘れたということもなくなります。コレを忘れたら近所のコンビニで買うことはできないので、そうやって自分にプレッシャーをかけています。

【プロフィール】
佐藤 拓也(さとう・たくや)
2003年に横浜FCのオフィシャルライターとして活動をスタート。水戸は04年の『エル・ゴラッソ』創刊とともに取材を開始。横浜から週に2、3回通い続ける日々を送っていたが、09年末に茨城に移住。水戸中心に取材を行う覚悟を決めた。そして12年3月に有料webサイト「デイリーホーリーホック」を立ち上げ、クラブの情報を毎日発信している。著書は『FC町田ゼルビアの美学』『被災地からのリスタート コバルトーレ女川の夢』(いずれも出版芸術社)。