今季、J3降格の危機にも瀕した山形。プレーオフ制度の価値は、J2のボトムアップにある
プレーオフ制度の必要性を検証する
▼アドバンテージとなった”日程の妙”
モンテディオ山形が2度目のJ1昇格を果たしたのは2014年。12年・大分トリニータ、13年徳島ヴォルティスに続き、J1昇格プレーオフからの昇格は3チーム目だった。
山形のこの昇格では、特殊なケースがいくつか重なった。まずは天皇杯の日程変更。元日恒例の決勝は、2015年1月にアジアカップが開催されたため、12月13日に前倒しされ、準決勝もリーグ戦最終節から中2日の11月26日(水)に設定された。そして山形はJ1勢との対戦がほとんどないまま決勝まで勝ち上がる。かくして、リーグ戦最終節、天皇杯準決勝、プレーオフ準決勝の3連戦を終えた1週間後にプレーオフ決勝、さらにその1週間後に天皇杯決勝という怒濤のスケジュールとなった。
世界的にインパクトを与えたGK山岸範宏のアディショナルタイムのヘディングゴールが生まれたのは、プレーオフ準決勝のヤマハスタジアム。対戦相手のジュビロ磐田はリーグ最終戦から1週間かけて準備を進め、山形は”ドローでも敗退、3連戦、アウェイ”という3重のハンディを背負ってこの一戦に臨むことになった。しかし、シーズン終盤にギアがトップに入った山形にとっては勢いを利した面もあった。”中立地”味の素スタジアムでジェフユナイテッド千葉と対戦した決勝も1-0で制したが、こちらは逆に、中5日の山形に対し、千葉は山形と戦った天皇杯準決勝から中10日。プレーオフ圏内の5位にJ1ライセンスを持たないギラヴァンツ北九州が入ったことによりできた日程の歪みだった。
終わってみれば、山岸のゴールに象徴されるミラクルな昇格劇と天皇杯準優勝。強烈なインパクトとともにJ1に乗り込むことになり、自動昇格を果たした湘南ベルマーレ、松本山雅FC以上の注目を集めたことも確かだったが、冷静になってみればJ2では6位。プレーオフの進出もギリギリ勝ち点1差で果たしたものだった。その客観的事実と、J1が厳しい戦いになるとの認識は、ある種の危機感としてチーム内で共有されていた。
▼最も勝ち点を獲得した山形
ただ、来季に向けたチーム編成への本格着手は大幅に遅れることになった。新たに加入したのは渡辺広大、宇佐美宏和、アルセウ、そして大卒ルーキーの高木利弥など。それぞれ2016シーズンも主力としてプレーしたことを考えれば手堅い補強との印象もある。ただ、当時の補強の目玉が何かと問われれば、期限付きで加入していた山岸と川西翔太の完全移籍での獲得だった。その二人も含めて、集まったのはJ1では過去に主力だったが、現在は試合出場が限られていた選手、あるいはJ1での主力経験そのものがない選手。それは既存の選手も同じだった。
結果として、15シーズンのJ1で山形は最下位となり、1年でJ2に逆戻りした。4勝12分18敗、勝ち点24。過去のプレーオフ昇格チームである13年の大分(勝ち点14、2勝8分24敗)、14年の徳島(勝ち点14、3勝5分26敗) 、また、J2 3位からプレーオフを経て昇格した今季の福岡(勝ち点19、4勝7分23敗)と比較すれば、かなりの善戦と見ることはできる。ただし、残留という結果を残せなければ、プレーオフ制度への風当たりは必然的に強くなる。
山形はJ2後半戦に変更し、終盤戦で確立した[3-4-2-1]のスタイルをほぼそのままJ1の舞台にも持ち込んだ。3バックの場合、守備では5枚と4枚のブロックを敷くチームも多いが、山形は1トップ2シャドーが高い位置から追ってコースを限定し、ボールが出た先で連動してボールを奪い、相手の守備が整う前に攻め切るショートカウンターを目指した。相手のパスワークの力量や前線の強力なターゲットなどに押し込まれた状態で守備に回ることも増えたが、ホーム開幕戦では川崎フロンターレに1-0で勝利するなど、戦術が奏功する試合もいくつか作ることができた。
総得点・24点はリーグ最下位。やはりゴール前のプレー精度、個の技術では差を実感したものの、シュート数は356本で全体の10位と決して少なくない。「攻めているのに点が入らず、逆にカウンターやセットプレーで先制された」パターンが多かったことは事実だが、僅差の試合も多く、シーズンを通してブレずに戦えた。12の引き分けもそれを表している。「この引き分けをなんとか勝ちに持っていけなかったか」という反省はもちろんあるにしても、だ。
▼短絡的捉え方は禁物
山形はもう一つは、大きな問題を抱えていた。それは選手の平均年齢の高さ。最年長の山岸(当時36歳)や1歳下の石川竜也が年齢を引き上げているが、そのほか、主力に20歳代前半の選手が少なく、先発11人の平均は常に30歳前後。いずれ代替わりは避けられない体質だった。J2への降格が決まった際、石﨑信弘監督は「たとえこのメンバーのまま1年でJ1に戻ってきたとしても、年齢は2歳上がってる。それじゃあ未来がないよ」と話している。J2への降格を機に大量15人がチームを去ることになった背景がそこにある。その中には、FC町田ゼルビアで今季14ゴールを挙げた中島裕希や、一旦鹿島アントラーズに戻り、今季途中に移籍した松本で16ゴールを挙げた高崎寛之などもいた。
その今季のJ2では開幕から8試合勝利なしとスタートからつまずき、一時は最下位に転落した。その後は4バックに変更して10位まで立て直したものの、シーズン後半戦に入ると再び10試合勝利なし。シーズン終盤には最下位と勝ち点3差まで迫られ、J3降格を差し迫った現実の問題として捉えることとなった。J1経験クラブでは、大分がJ2降格から2シーズン目でJ3に降格した例はあったが、その記録を塗り替えていた可能性もあった。
山形とともに降格した清水エスパルスと松本は今季、それぞれ2位と3位につけたことを思えば、山形が一人で「コケた」とも言える。振り返れば多くのことを要因として挙げることができる。例えば、大幅な選手の入れ替えでバックアップを含む戦力の薄さ。戦術が浸透しかけたときに相次いだ負傷者、それも長期離脱の多さ等々。また、昨季のオフに、当時の社長を不可解な解任に追い込んだ株主側の行為とその後の態度がサポーターらとの決定的な亀裂を生み、苦しいシーズンでこそ必要な”一体感”や”共闘”醸成の妨げになったことも軽視できない。
降格組と言えども、そうした落ち度をいつまでも補うことができなければ、”負のスパイラル”に運ばれてJ3へ連れていかれることになる。J3降格が制度化されたのは2014年以降だが、それ以前も含めて、J2降格1年目でボトムに近い順位に突き落とされる現実は数年前には考えられなかったことでもある。捉え方を変えれば、J2のレベルがそれだけ全体的に上がっている証左ではないか。多くのクラブがJ1昇格のチャンスを見据えたままシーズン終盤まで戦えるプレーオフ制度も、緊張感ある試合を増やし、それを加速させているように思う。
プレーオフから勝ち上がったクラブの最下位降格が4シーズン続いているが、一方でプレーオフは、J2のボトムアップに大きく寄与している面もある。制度の要・不要にさまざまな意見があることは承知している。ただし、正しい方向性を導き出すためにも、一面的、短絡的な捉え方は避ける必要がある。
佐藤 円(さとう・まどか)
1968年生まれ、山形県鶴岡市出身。山形のタウン情報誌編集部時代の1995年に、当時旧JFLのNEC山形(モンテディオ山形前身)を初取材。2005年より「J’s GOAL」、06年から「EL GOLAZO」でモンテディオ山形を担当している。