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青黒の翼・米倉恒貴が描いた「出来過ぎ」のサクセス・ストーリー

昨季の三冠奪取に貢献したG大阪の右SB米倉恒貴にフォーカスする。

海外組が不在となる東アジアカップの代表メンバーの中には、日本代表ではなじみの薄いフレッシュな新顔が多数含まれていた。2年前の同大会で柿谷曜一朗(バーゼル)や山口蛍(C大阪)ら、のちにW杯メンバーとなる新たな戦力が発掘されたように、今大会でもW杯予選に向けて新たな戦力の台頭が望まれる。今回の特集ではハリル・ジャパンの新鋭たちに所属クラブの番記者が迫った。第3回は昨季の三冠奪取に貢献したG大阪の右SB米倉恒貴にフォーカスする。

▼「米倉だけは獲ってほしい」
 27歳にして初のA代表入り。すでにプロ生活10年目に突入している二十代後半の選手に「シンデレラボーイ」という肩書きは本来ふさわしくないだろう。

 だが、ほんの2年前までJ2リーグを主戦場としていた米倉恒貴にとって、2014年シーズンは文字どおりのシンデレラストーリーだった。

「1年目からこんなすべてがうまくいくなんて…。出来過ぎだけど、ちょっと怖い」

 7シーズンを過ごした千葉に別れを告げ、G大阪を新天地に求めた米倉は、シーズン当初こそ約束事の多い守備組織に戸惑い、定位置を得られなかったものの、加地亮(現・岡山)がメジャーリーグサッカー(米国)への挑戦を決め、6月に電撃退団。「加地さんは右SBとして最高のお手本。ただ、加地さんからポジションを奪いたい」という野望を果たすことなく、いわば”棚ぼた”に近い格好でSBのポジションを受け継ぐことになった。

 その後は不動の右SBとして三冠に貢献。千葉時代はタイトルと無縁だった男はレギュラー獲得後、わずか半年にして国内のすべてのタイトルを自らの履歴書に書き込んだのだ。
 
「出来過ぎで怖い」と端正なマスクに喜びと少しばかりの戸惑いを浮かべたのも、もっともだった。とはいえ、選手の適性を見抜くことに長けた長谷川健太監督にとって、三冠はうれしいサプライズだったが、米倉の台頭はシーズン当初から思い描いたとおりの筋書きだったのだ。

 2013年の7月7日。G大阪はJ2リーグで千葉に0-3の完敗。シーズン2敗目を喫していた。この試合で先制点を叩き出したのが自慢の攻撃力を披露した右SBの米倉だった。このシーズンから本格的にSBにチャレンジしたため、守備面では荒さも目立ったが、長谷川監督はその身体能力と攻撃力に魅せられていた。

 補強に関する資金力が決してふんだんとは言えない現在のG大阪だけに、長谷川監督も過度の要求をクラブ側には求めてこなかったが「米倉だけは獲ってほしい」とリクエスト。加地が米国挑戦の意思を持っていることを聞かされていた指揮官にとって、米倉を右SBで育てるのは必要不可欠のミッションでもあった。

▼長谷川監督が惚れ込んだその才能
 千葉でのラストシーズンには40試合でJ2リーグ最多となる13アシスト。本来は攻撃的なポジションの選手で、鋭い右足のクロスを持ち味として来た米倉の当初の課題は守備。代表発表翌日、指揮官も「いまではしっかりとポジションも取れるようになってきた」と評価したように、G大阪移籍後に積み上げてきたのは守備面での成長だ。

 守備時に関してはポジショニングの徹底と、1対1の強さが求められる長谷川ガンバにあって、「SBを極めたい」と意気込んで移籍してきた男は、徐々に課題をクリアし始める。

 垂直跳びで90センチを超えると自己申告するように抜群の身体能力を誇るが、そのポテンシャルを守備でも発揮。攻撃面ではDVDでバルセロナのダニエウ・アウベスを参考にし、わずか半年だが間近でその動きを学んだ加地からも守りのノウハウを学んでいた。

 クラブ史上最多の無失点試合を誇った昨年のG大阪の最終ラインで、攻守に存在感を見せた米倉は昨季のJリーグ優秀選手にも名を連ねた。ただ、米倉はこのとき、さらなる上を目指すことを決意した。「来年はベストイレブンに入れるような選手になる」と。

 代表選出が発表された当日、「驚きと同時に、ガンバ大阪という、素晴らしいプレーヤーがいるチームでプレーしてきたことが初選出に結び付いたと感謝しています」とクラブを通じてコメントを発表した米倉だが、本音は「驚き」ではない。

 今季は右SBとしてさらなる高みを目指すだけでなく、代表入りも自身にとっての秘めたる目標だった。

「守備に関してはこのチームに来てからまるで変わったと思うし、100あれば90ぐらい変わった。このチームで指導してもらったお陰かなと思う」

 長谷川監督が惚れ込み、そして育て上げた高性能の攻撃的SBのシンデレラストーリー。その第2章が東アジアカップで切って落とされる。

【プロフィール】
米倉 恒貴(よねくら・こうき)
1988年5月17日生まれ、27歳。千葉県千葉市出身。176cm/68kg。西小中台FC→FC千葉なのはな→八千代高→千葉→ジェフ・リザーブズ→千葉を経て2014シーズンにG大阪へ加入。J1通算69試合出場2得点。J2通算109試合出場20得点(2015年7月31日現在)。

下薗 昌記(しもぞの・まさき)

1971年生まれ。大阪外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒。朝日新聞記者を経てブラジルに移住し永住権取得。帰国後、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』のG大阪担当記者、日テレG+での南米サッカー解説などを行う。著書に『ジャポネス・ガ ランチード』(サッカー小僧新書EX)。堪能なポルトガル語を活かしてブラジル人選手と広く繋がっている。