まさに様変わり。1万3千人のレベスタに思う、「私たちがアビスパ福岡だ」
福岡のレベルファイブスタジアム(博多の森球技場)。開幕戦で1万3000人余りを集めたこのスタジアムでいま何が起きようとしているのか。動く福岡魂・中倉一志が語り出す。
▼いつもの仲間、新しい仲間
「いよいよ新しい歴史が始まる」
2015年3月8日、明治安田生命J2リーグ開幕戦・福岡-京都が行われるレベルファイブスタジアムを歩きながら、そんなことを考えていた。
スタジアムに足を運んだのは13,804人。昨年の開幕戦(5,499人)との比較で言えば2倍以上。レベルファイブスタジアムに1万人を超える観客が集まるのは、実に2013年5月12日に行われたG大阪戦以来、約2年振りのことになる。バックスタンドの屋台村が長い列で埋め尽くされているのも、売り切れになる店が出るのも随分と久しぶりのことだ。
いつもの仲間がいる。新しい仲間がいる。そして、初めてスタジアムに足を運ぶ仲間がいる。どの顔にも笑顔が溢れている。
福岡にアビスパがやってきて20年。その歴史は「繰り返し」の歴史だった。福岡の町が持つポテンシャルを活かしきれないクラブは常に経営難に苦しめられ、それが原因となって長期的な視野を持つことができず、場当たり的な経営はさらに経営難を生み、チーム強化も進まない。経営陣を刷新しても、潤沢な経営費を持たないクラブは抜本的な改革に手を付けることができず、目先の困難を乗り越えるだけの経営を繰り返す。そのループは出口が見えず、2013年には、とうとう存続が危ぶまれる状況にまで追い込まれた。
全国から寄せられた温かな支援の手により消滅は免れたものの、結局は縮小経営を繰り返すだけ。どこまで行っても同じことの繰り返しに、かつては平均入場者数で13,000人を超える観客を集めたクラブは、平均入場者が5,000人強のクラブになった。そして、抜本的な解決策は、もはやないのではないかというところにまで追い込まれていた。
▼システムソフト+アパマンショップ
しかし昨年の9月、株式会社システムソフトの資本参加と、株式会社アパマンショップホールディングスの経営参加により、その歴史が大きく動いた。
経営費の増大により積極的な経営ができるようになったことも大きいが、何よりも、ビジネス感覚をフルに発揮した積極的でスピーディなマーケティング手法が、それまでのアビスパのクラブ経営を抜本的に変えたからだ。
両社の参画が決まってから1カ月も経たないうちに、町にはアビスパのノボリが立ち、ポスターが貼られた。年末、年始のスポンサー向けの謝恩パーティーは、ファン、サポーター、スポンサーにとどまらず、これからのビジネスパートナーをも招いて行われる大規模なものになり、以前は数百名規模だったパーティーに2,000人を超える人たちが集まった。
さらに、現役時代は「アジアの壁」と呼ばれた井原正巳監督を招聘したことで、アビスパに関わる人たちや、サッカーファンのみならず、サッカーファン以外の人たちの関心をも集めることに成功。ユニフォームには、胸を始め、背中、袖、パンツすべてにスポンサーがつくようになり、練習着にも複数のスポンサーが名乗りを上げた。そして、トータルのスポンサー数は倍増し、スタジアム周りには、今まで見ることができなかったほどの多くのスポンサーボードが並べられている。
また、スタジアムの空気も一変。これまでは、良くも、悪くもサッカー色が濃いレベルファイブスタジアムだったが、FC東京との間で行われたプレシーズンマッチの際は、スタジアムというよりも、一大イベント会場のような雰囲気を醸し出していた。そしてそれは、J2リーグ開幕戦でも継続されていた。
▼負のループから抜け出すために
強引とも思えるほど、次から、次へと打って出るマーケティング手法は、ここまでは大成功。アビスパのメディアへの露出は一気に増え、福岡県民、市民のアビスパに対する関心の高さは、過去になかったほど高まっている。
ただ、その急激な変化に戸惑いを感じる人たちも少なくはない。これまでスタジアムに足を運んでいたのは、老若男女を問わず、長年に渡ってアビスパを応援してきた人たち。人数は5,000人程度まで減少したが、その分、スタジアムの熱という意味では、むしろ温度は上がった。アビスパが好きで、好きでたまらない人ばかりが集うスタジアム。それは、長年に渡ってアビスパを支えてきた人たちにとっては、人数が少ないという寂しさを感じる半面、とても居心地の良い空間だった。
だが、観客が倍増したことによって、いつもの仲間と作ってきた空気に変化が生じた。合わせて、語弊を恐れずに言えば、いくつになっても独り立ちできない息子が、いきなり優秀なビジネスマンとして自分たちの前に現れたような感覚にも襲われている。また、応援の仕方について、クラブ側がリードすることに対する抵抗感や、これまで自分たちがやってきたものとは違った形で応援をしようとすることに対する違和感もあるようだ。一般的に、人は変化に対し、ある種の拒絶反応のようなものを示す。それが短期間に、しかも急激に起これば、戸惑いや違和感があっても不思議ではない。
ただクラブは、ファンやサポーター、そしてクラブに関わる人たちが作り上げてきた文化を否定しているわけではない。アビスパの歴史を学び、アビスパの歴史を尊重したうえで、新しい文化を作り出そうとしている。それは、平均入場者数で約5,000人までに減ってしまったスタジアムに、本来の姿を取り戻させるためだ。
本来の姿とは、老若男女誰でもが、スポーツが得意な人も、そうでない人も、アビスパへの関わり合いが濃い人も、そうでない人も、誰もが等しくスポーツを楽しめる場所であること。それはまさにJリーグの理念に他ならない。そして私たちも、そうしたスタジアムで仲間と出会い、アビスパ福岡の存在意義を見つけ、そしていまもスタジアムに通い続けている。大切なことは形を守ることではなく、その形の根底に流れる普遍的なものを守り続けることだ。
いま、アビスパは20年間に渡って繰り返されてきた負のループから抜け出し、新しい歴史をスタートさせるために動き出している。そして、それを目に見える様々な形で表現している。その熱はJリーグ開幕当時をほうふつとさせるものだ。そしてクラブとは、フロント、クラブ職員、ファン、サポーター、メディア、そしてクラブに関わる全ての人たちの集合体。そういう意味では、私たちもまた、アビスパ福岡なのだ。クラブの一員として、自分が気持ち良ければいいのではなく、みんなが気持ち良くアビスパと触れ合うためには何がベストなのか。それを考えていかなくてはいけない。
クラブが本気で変わろうとしているいま、我々が何をするかが問われている。先入観を持つことなく、これまでのしきたりに縛られることなく、変化を受け入れ、しかし、その根底にある普遍的なものを見失うことなく、クラブとともに歩いていきたい。
中倉一志
1957年2月生まれ。福岡県出身。小学校の時に偶然付けたTVで伝説の番組「ダイヤモンドサッカー」と出会い、サッカーの虜になる。大学卒業後は、いまやJリーグの冠スポンサーとなった某生命保険会社の総合職として勤務。しかし、Jリーグの開幕と同時にサッカーへの想いが再燃してライターに転身。地元のアビスパ福岡を、これでもかとばかりに追いかける。WEBマガジン「footballfukuoka」で、連日アビスパ情報を発信中。