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コーチ1年目で優勝も今季限りで次のステップへ。田代有三のセカンドキャリアのその先は?

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コーチ1年目で優勝も今季限りで次のステップへ。田代有三のセカンドキャリアのその先は?J論プレミアム

2017年2月、34歳で海を渡った元日本代表FW田代有三(37)。1年目のシーズンを終えて、勝負の2年目は、元同僚のMF野沢拓也との共闘のシーズンとなったが、実は、そのシーズン前後に彼の身辺には彼の残りの人生を大きく決定づけるような変化が起きていた。今だから、明かせる引退前後の心境と歩み始めた「第二の人生」の方向性などを現地で本人に聞いたルポの後編をお届けする。
(取材・文・写真 タカ植松)

→前編『田代有三はなぜオーストラリアでセカンドキャリアをスタートさせたのか?元日本代表が踏み固める第2の人生とは


▼転機となったチャンスを掴むため

新天地での我武者羅な1年目のシーズン、幸い、シーズンの途中で契約更新の意思を伝えられた。シーズン終了後、来たるべき翌年の契約の詳細を詰めようと話を進めている段階で、クラブの当時のGMから、田代と家族の今後の人生に大きく影響する、ある「提案」を持ちかけられた。

「もし、興味があれば、特殊な才能を持つ人々が対象のビザでの永住権取得をサポートする」というその提案。日本での退路を絶って渡豪してきた田代と家族にとっては、またとない話で、まさに「渡りに船」。迷わず、クラブのスポンサーでもある弁護士を通じて、永住権の申請を行った。

「どうせ1年で帰っても絶対に英語は身につかないから、できるだけ長くいるつもりでした。12年位で買い揃えてきた家族としての所有物をすべて処分して海を渡ってきたし、すぐには引き下がれない。そんな気持ちで1年目にすべてを賭けて臨んだら、チームとしての結果は出せてなかったけど、個人的にはそこそこやれて、シーズン途中に契約延長も決まりました。どんな契約内容、どんなビザで2年目を過ごすにしても、さらにその先を考える時に『永住権』取得のチャンスなんて、そうそうないことですから、すぐにお願いしますということになりました」。

その2年目のシーズンだが、結果的には、フットボーラー田代にとっては不本意なものに終わってしまった。日本に比べて長いオフで一度落としてしまったコンディションの戻りが予想以上に悪かったこともあり、古巣の膝の状態が芳しくないままにシーズンに突入。何とか様子を見ながら騙し騙しでプレーを続けるも、思うようなプレーが出来ない。次第に、自分のキャリアの終わりの日が近いことを意識し始め、やがて、シーズン終了時にスパイクを脱ぐという決意を固めるに至った。

「自分の中で1年目と2年目のモチベーションが全然違って、2年目には、『ここでもう1年やる』という気持ちにはなれず、『永住権のこともあるし、とりあえず今年やりきらないと』という感じになっていました。膝の具合が良くないと、日々の練習がただの”試合前の調整”になってしまうし、そうなったときに、自分の中で『これじゃプロじゃないな』って思いが芽生えて、正直、サッカーに対しての情熱も薄れていったんです」。

オーストラリア2季目のシーズン、これが現役最後のシーズンと感じながらの日々。当然、自身のセカンドキャリアが、よりリアリティのある差し迫った課題として浮かび上がってきた。それでも、引退後に何をやるかの明確な答えが出ないままに、田代は現役最後の試合のホイッスルを聞いて、スパイクを脱いだ。その後、公式インスタグラムで現役引退を公表したのは、18年10月20日のことだった。


▼初年度から優勝するもウルヴズでのコーチは今季限り

そこから、田代有三のセカンドキャリアは思ってもない形で進行していく。
「もしかすると、2年、いや、降りる保証すら無い」と長丁場を予想していた永住権が、引退後わずか1ヶ月もしない18年11月に突然、降りた。ここから何かが転がり始めた。

「2年目のシーズンを終えて、引退を決め、今後何をやろうかなって時に、まずは色んな人に会ったほうが良いと思って、昨年10月に、日本に一時帰国しました。これまでの所属クラブの関係者や恩師など色んな人に会って、今後の模索と云うかそんな時間を過ごしてから、ウーロンゴンに戻ったんですね。『さぁ、これからどうしよう』って時に、ポンと永住権が取れたんですね。もう、これはここにいろよってことかなと思って(笑)」。

年々厳しさを増すオーストラリア永住権を1年少しという時間で比較的スムーズに取得できたのは、田代のフットボーラーとしての経歴が大きく物を言ったことは想像に難くない。申請時には地元クラブの顔であり、日本のJリーグで長く活躍、日本代表としての実績もあることで、余人を持って代えがたい特殊技能を持つ人材として認められたということになる。とはいえ、日本代表でプレーした証明、ユニバーシアードでの優勝した証拠などの提出を求められるなど、その過程は煩雑で、時には数ヶ月も全く音沙汰がなくて不安になることもあった。

この、ようやく手に入れた「永住権」こそが、田代のセカンドキャリアを語るゆえに欠かせないキーワードだ。この権利を得たことで、オーストラリア国内では、ほぼ国民に等しい権利と責任が発生する。ビザの更新に期限はあるものの、大きな制約なしに働きながら生活できる権利を得たのは、今後の身の振り方を考える時に非常にメリットが大きい。これは裏を返せば、仮に古巣ウルヴズの庇護の下を去ったとしても、オーストラリアで自分のやりたいことにやりたいだけチャレンジできるようになったということ。一気にセカンドキャリアの可能性が広がったのだ。

既に、この永住権獲得こそが、彼のセカンドキャリアの現在の方向性を決める大きなきっかけとなっている。前述のコーチ就任のオファーにしてみても、「永住者」となった自分がクラブと今後どう関わっていくかというコミュニケーションの中で個人的にも親しい監督から強く求められたことで実現した。このオファー自体、田代が「永住者」でなければ実現不可能なものだった。

その指導者としてのキャリアでも、初年度から優勝するなど最高の結果を得ることができた。普通なら「もう少しやってみようかな」と思いそうなところだが、彼は違う。
「案外、俺ってコーチ向いているかも、って思ったことは認めますよ(笑)。でも、ルーク(・ウィルクシャー監督)やクラブからいくら慰留されても、ウルヴズでのコーチングは今季限りと決めています」とキッパリ。となると、気になるのが、今後の展望だ。


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