サポーターではない僕が水戸ホーリーホックを追い続ける理由【 #水戸ホーリーホック のハッピーソング】「哲学的志向のフットボーラー、 #西村卓朗 を巡る物語 その後」
【無料記事】サポーターではない僕が水戸ホーリーホックを追い続ける理由【 #水戸ホーリーホック のハッピーソング】「哲学的志向のフットボーラー、 #西村卓朗 を巡る物語 その後」(川本梅花 フットボールタクティクス)
■信条告白
私は2016シーズンから、水戸ホーリーホックのリーグ戦全てを観戦している。スタジアムに行けない時は、TV(2016シーズン)やDAZN(2017シーズン~)で試合を観戦していた。つまり、ここ3シーズンの水戸の戦いを追いかけていることになる。 まず、私の立場を明確にしておく必要がある。それを明らかにすることで、なぜ私が水戸を取材しているのか、理解してもらえるからだ。
私は、水戸のサポーターではない。オウンドメディアである『川本梅花 フットボールタクティクス』に選手のインタビューや試合分析を掲載しているものの、サッカーの雑誌や新聞では、水戸ホーリーホックの記事を書いていない。いわゆる”番記者”とは異なる立ち位置だと思ってもらいたい。
それでは、なぜ水戸を取材しているのか。その理由は、たった1つ。西村卓朗が強化部長として水戸ホーリーホックに勤めているからだ。
西村との出会いは、2002年にさかのぼる。彼が浦和レッズに所属していた頃だ。当時の私は、スイスのジュネーヴ大学文学部言語学科の大学院に留学していたが、もう1つの顔を持っていた。駆け出しのサッカーライターである。サッカーライターとしての私は、海外からの発信を売りに、Webメディア『スポーツナビ』で原稿を書かせてもらっていた。私がサッカーを題材とした理由は、次のような情熱にかき立てられていたからだ。
「リアリティーのあるサッカーノンフィクションを書きたい」
「ピッチで何が起こっているのかを言語化したい」
『スポーツナビ』で執筆活動を続けていく中、ドイツへ取材に出掛けるチャンスに恵まれる。ドイツには、3部リーグで活躍する日本人選手がいて、彼らの宿舎に泊まって取材をした。10人以上いた日本人選手の中に、大学時代の西村の同級生もいた。 西村”選手”とのやり取りをもとに『スポーツナビ』でノンフィクションを書いた。その物語を題材にして構成されたのが『サッカー批評』(双葉社)で連載された、「西村卓朗を巡る物語 哲学的思考のフットボーラー」であった。この連載は、西村が北海道コンサドーレ札幌で現役選手を引退するまで続けさせてもらった。
この作品は現在、Web『サッカーキング』で全話読むことができる。
https://www.targma.jp/baika/2018/05/20/post1458/
極端な話、私と西村は兄弟のような関係だと思っていただいて構わない。兄が弟の働きを心配し、少しでも弟の仕事の役に立ちたいと考えて取材活動をしている、という具合だ。私が水戸の記事を書くことで、クラブの素晴らしさや選手の質の高さが伝われば、それはうれしいことだし、西村の考え方が世のサッカーファンに知られれば、ありがたいことでもある。 これから記す内容は、今季水戸のチーム作りを取り上げたものである。選手獲得や選考などから、西村の思考をひも解くことが目的だ。西村の思考は、今後のチーム作りにも反映されるだろうからである。
■クラブ主導のチーム作りを進める理由
――今季、長谷部茂利さんを監督に選んだ経緯は?
西村 2017年11月末から監督の候補者選びが進められました。その中で、長谷部さんに監督をやってもらうことに決まりました。こればかりは縁とタイミングだと思います。 (前任の)西ヶ谷隆之さんには、監督として3年間やってもらいましたが長く指揮をとりながら、自分の色を出しつつ、新たな刺激を与え続けるということは、想像するよりずっと難しい。数シーズンに渡り、監督業をしたことがある者なら、誰でも悩む問題です。それに、現在所属している選手たちに、どうやって刺激を与えるのか。それを考えた時に「監督を変える」という判断になりました。
――監督を選ぶ時に、強化部長ならば自分が持っている人脈をフル稼働して候補者を選ぶというやり方があるよね。
西村 情報網を張る中で、知り合いから決めていくというのはよく聞く話ですが、僕は、全くこだわらなかったんです。とにかく、話し合いを重ねて、クラブのビジョンや想いに共感してもらえるかどうかを見ていました。候補者は最終的には4人に絞られ、その中で監督経験は少なかったのですが、長谷部さんを選びました。
――強化部長は、フロント主導、クラブ主導という姿勢を強く打ち出しています。いままでは、良い意味でも悪い意味でも、監督の知り合いの選手を引っ張ってきていた。そうしたやり方を変え、フロント主導にしたいと考えた理由は?
西村 Jリーグも25年が経ち、各クラブで、少しずつクラブのこだわりや、特色が出てきていると思います。クラブビジョンや、フットボールフィロソフィーと言う言葉も出てくるようになり、クラブの意思というものが、これからは大事になってくるのではないでしょうか。そういう方向に向かっていくタイミングだったかもしれません。
早く監督を決めれば、選手のリストアップも一緒にできます。しかし、今季は監督が決まったのが12月半ばだったため、残ってほしい選手も自分で決めて交渉していくことになりました。どういった選手を獲得して、どういうチーム作りをするか。フロントが主体となって進める必要があったのです。 こうした事態は今季に限らず、今後も起こりうることです。監督が変わったらチームの方針も変わるようでは、成長するチームにはなれないと思っています。しっかりと地に足をつけてチーム作りをしていくためには、フロント主導で物事を進めていく事も必要だと考えています。
――長谷部監督に、チームを作る上で要求したことは?
西村 長谷部監督には今までの「ハードワーク」や「アグレッシブ」などのイメージは継続させ、戦術面では「守備は、いままでのベースを残してほしい」と伝えました。長谷部監督は、選手に対する意識づけ、また攻撃の構築が非常にうまい。選手の主体性を引き出すやり方をします。練習の中で、自分の考えを選手に落とし込みつつ、結果を出すことは簡単ではありませんが、それでも今季は、いろいろなことにチャレンジしてくれています。
■自分の考えをチームに浸透させる
――山梨学院大学サッカー部コーチだった仲田建二さんをヘッドコーチに招へいしました。これも強化部長による人事でしょうか。
西村 ヘッドコーチに関しては、「自分の人選で」ということを、長谷部監督には承諾してもらいました。
――もう1人のコーチの田中遼太郎さんは、ジェフユナイテッド千葉のテクニカルコーチをされていた方ですね。
西村 田中さんは長谷部さんのネットワークから相談をされ、長谷部さんも自分の色を出すときに、旧知の田中さんをコーチとして招くことで、やりやすさもあるだろうと考えました。当然人事をするときは、色々なところから情報収集をしますが、偶然にも違う2人の方から、彼の良い、印象を聞いていたことも決め手となりました。
――今季水戸のスタッフの中で大きく変わったのは、メディカル部門ですね。昨季は選手に「1週間に一度、メディカルスタッフのところに行って体を見てもらうように」と言っていたものの、「なかなか実行されなかった」と話していましたね。小島幹敏選手が大きなケガをした時、本人にも自己管理について厳しく指摘したと言っていましたよね。普段から注意してケアしていたら防げたケガではないかと。
西村 昨季は、なかなか実行されなかったのですが、今季は、選手がちゃんとメディカルスタッフのところに行っています。「プロフェッショナルとはいかにあるべきなのか」という自分の考えを少しずつではありますが、チームに浸透してきたのではないかと思います。
――今季はベテラン選手が何人か加入しました。冨田大介選手は、なかなか出場機会に恵まれていないですが、水戸への復帰に関して強化部長が声を掛けたのでしょうか?
西村 はい、そうです。2016年に水戸が徳島ヴォルティスと戦った時、試合に出ていて、よく動けていた。昨季は水戸のことをよく知っている選手達が他チームに移籍していったので、水戸の歴史や、今までの事を知る選手を入れたいという考え方がありました。組織をマネジメントするという考えに立てば、選手と選手、選手とスタッフの間に入れる選手なので、試合には出られていませんが、チームにとって重要な役割を担える選手だと思います。何よりも彼のサッカーを突き詰める姿勢と取り組みは周りに良い影響を与えますし、機会がくれば、必ず、チームの力になってくれると思っています。
――GKの松井謙弥選手は、安定感があります。彼の獲得も強化部長の判断だった?
西村 最後の決断は自分の責任でやっていますが、GKコーチの河野高宏さんと相談して決めました。笠原昂史(現大宮アルディージャ)が抜けることは分かっていたので、GK獲得は必要でした。松井はトライアウトでプレーしていたのですが、トレーニングマッチでも彼のプレーを見ていました。彼のキャリアを見ても、十分にやれるという認識はありました。
――木村祐志選手は、昨季試合に使われなかったのが信じられないくらいのプレーを見せています。サッカーライターの西部謙司さんは、彼のプレーを見て「ゲームを読む力がある」と言っていた。
西村 トライアウトで彼のプレーを見て、すぐに獲得を決めました。最初に選んだ選手なんです。
――背番号10は、誰が与えたの?
西村 僕が与えました。判断に優れている。ボール扱いがうまい。周りを生かせる。実際、彼のプレーを見てもらえば、言っていることは分かってもらえると思います。
■東京五輪世代の若手と”成長株”に期待すること
――今季の成長株の伊藤慎人選手は、藤枝MYFCからの復帰ですね。
西村 槙人は、期限付き移籍で他チームに行って、そこで結果を残す。そして、水戸に戻ってくるというサイクルを作りたかったですし より高いレベルのチームで活躍するためには、下のカテゴリーでも公式戦に出て、自分を突き詰めて、高めていかなといけない。その部分では、昨季、彼は相当に努力をしたと思います。
――センターハーフの前寛之選手は、強化部長が北海道コンサドーレ札幌に所属していた時に会っていたのかな?
西村 ちょうど僕が引退した年ですね。当時、彼は高校1年生で、ユースでプレーしていました。水戸のボランチの質を攻守両面において高めたかった。彼に関しては、試合に出られれば活躍すると確信していました。
――平野佑一選手は、国士舘大学蹴球部の後輩ですね。
西村 彼は今後、チームにとって必要な選手になると思っています。展開力が抜群にあって、判断スピードが早い。良い意味でサッカー選手として伸びしろがある。彼のプレーは、大学2年の時から見ています。最初に見た時から「この選手は違うな」と思って、ずっと追いかけてきました。彼が真ん中のポジションで試合に出るようになったら、色々な事ができるチームになっていくと思います。
――成長株の小島幹敏選手と黒川淳史選手は、ともに大宮アルディージャからの期限付き移籍だね。
西村 小島に関しては「絶対に残ってくれ」と言いました。彼がいるかいないかで、編成も変わってきます。昨季は怪我でフルシーズンプレーできませんでしたが、今季のスタイルは彼に合うと思っていました。黒川に関しては、右サイドハーフの人材を探していました。正直、黒川が加入してくれるとは思っていませんでした。大宮は出さないだろうと。しかし、東京五輪世代の選手は、大宮にいたらチャンスが少ない。うちに来て試合に出続けられる選手になれば、評価も変わってきますからね。昨年12月ギリギリで期限付き移籍の交渉がまとまりました。
――岸本流武選手も期限付き移籍だね。
西村 いろいろなタイプの選手を入れたいと考えました。泥臭い形でゴールができる。ストライカーとしての臭覚を持っている選手。もう1つ彼に関しては、前田大然(現松本山雅FC)と同じように、五輪代表候補として、うちで試合に出て結果を残せたらいいと考えました。
――左サイドバックのジエゴ選手は、松本山雅FCでプレーを見たの?
西村 そうです。松本山雅FCで彼のプレーを見ていました。左利きの左サイドバックが必要だったので、獲得に乗り出しました。
――ジェフェルソンバイアーノ選手は、どこを見て獲得をきめたの?
西村 日本人が嫌がるコンタクトに強い選手という観点で選びました。力強さがあって、推進力があり、相手のラインを下げられる選手です。代理人から映像を取り寄せてみました。例えばファウルをもらった後、どういう態度を取るのかなど、些細な振る舞いや、雰囲気から、選手の性格なども推察して、獲得を決めました。
■2016年、1年目終了後に語っていたこと
ここからは、2016年に時計の針を戻したい。
西村”強化部長”は1年目の仕事を振り返り、このように語っていた。
――1年目が終わっての感想は?
西村 引退してから1年目は、浦和レッズの普及部で、その後は、地域リーグ(VONDS市原FC)の監督とGMを3年やっていたのもあり、Jリーグの試合は、あんまり見てなかったんですよ。選手の情報もほとんどなかった。水戸の選手の名前とかは、すぐに覚えられたのですが、その選手がどんなプレーをするのかとか、どういう選手なのかは分からなかった。就任した12月は、引き継ぎの仕事がメインでした。選手もスタッフも含め、会社の中には、1人も知り合いがいなかった。
強化については、いまから思えば大変だったかなと思います。人間関係を作るのが最初の仕事でした。強化部長として監督、コーチ達と関係性を作るのは、初めてだった。ボンズ市原の時は、自分がいきなり監督になって、フロントの人にも声を掛けたり、現場のコーチを呼んだりと、一からの組織作りでした。しかし水戸では、すでにある組織の中に、自分があとから入って強化部長をやる。しかも、年齢も監督の方が上でしたし。こういうことは初めてだったので、いま思えば、すごくいろいろな経験ができたんだなと、1年間経って思います。
いまはいろいろな意味で信頼関係もありますし、選手のことも監督のことも分かる。スタンスとしては、構えずに自分のことを知ってもらったり、相手のことを知る努力をしたりと、それで進んでいきましたからね。
■あとがき
ここまで読んでくれた読者は、西村強化部長がどのような人間なのか、どのように考えでチームを強くしようとしているのかを、少しでも知ってもらえたと思う。 果たして、3年目の強化部長は、自分の思ったことや考えていることを実行できているのだろうか。その答えは、今シーズンを終えてから、話を聞くことにしよう。
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