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守護神・中村航輔。太陽王の「未来」を背負う男は3度の大ケガを経て、帰ってきた

たび重なる負傷という大きな挫折と戦ってきた男の有り様を、太陽王の守り人・鈴木潤が振り返る。

週替わりのテーマを決めて日本サッカーについて語り合う『J論』。今回は4大会ぶりの世界切符を狙うU-19日本代表の若きサムライたちを取り上げる。Jリーグで育った彼らの戦いは、そのまま日本サッカーの未来を占う場ともなるだろう。3番目に登場するのは柏レイソルが誇る次世代の守護神・中村航輔。たび重なる負傷という大きな挫折と戦ってきた男の有り様を、太陽王の守り人・鈴木潤が振り返る。

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<写真>日本の頼れる守護神 (C)川端暁彦

▼菅野を継ぐ者
 柏レイソルの守護神と言えば、常にストイックな姿勢を貫き、己を高めることを念頭に置いて日々精進する菅野孝憲が不動の地位を築いている。ただ、その菅野の牙城を揺るがす存在として、以前から名前の挙がる選手がいることをご存じだろうか。その男こそ、「柏レイソルアカデミーが生んだ最高傑作のGK」という誉れ高き称号を持つ、中村航輔だ。

 セービング、ポジショニング、コーチングといったGKに必要な要素を全て揃えているばかりか、ジュニア時代から柏アカデミーで育ったことによって足元の技術も卓越しており、フィールドプレーヤーさながらに最後尾からパスを供給できる。彼の活躍は柏U-18だけにとどまらず、2011年にメキシコで開催されたU-17ワールドカップでも顕著だった。中村は日本代表のゴールマウスを守り、ベスト8進出に貢献している。

 ユース時代に中村を指導した柏アカデミーの松本拓也GKコーチは「とにかく決断が早い。若い選手だとその判断で遅れて失点するケースがありますが、航輔はこう守ると決めたら、それを瞬間的に実行に移せる」と、中村が持ついくつかの特長の中でも、それが最大の長所だと話す。

 また、「あいつが後ろにいるのは心強い。バックパスをしても絶対につないでくれる」(秋野央樹)、「航輔が守ってくれていると失点する気がしない」(木村裕)など、同期の選手からの信頼も抜群に厚い。高校2年次にトップチームに練習参加した際には、キャプテンの大谷秀和が「普通にうまい。トップでも遜色なくやれている」と、中村の実力に太鼓判を押したほどだ。

▼重なる負傷というイバラ道
 だが、将来を有望視されたこの逸材には、2012年以降、数々の試練が訪れた。まず、2012年夏、日本クラブユース選手権大会を目前に控えた7月に右腕を骨折。3カ月後にはその傷も癒え、AFC・U-19選手権(つまり前回大会だ)に出場するU-19日本代表メンバーに飛び級招集を受けるも、再び同じ右腕を骨折してしまう。メンタルの強い中村とはいえども、さすがにショックは隠し切れず、悔しさのあまり眠れない日もあったという。

 2013年のトップチーム昇格後も、負傷のために通常の練習ができず、「焦りがないと言ったら嘘になりますけど、焦ってまたケガをするのも嫌なので慎重にやっています」と気丈に振舞いながら、リハビリを続ける日々を過ごしていた。

 右腕の骨折が完治したのは、怪我から約1年後の2013年の秋だった。復帰後、初めてGKの通常メニューをフルでこなし、クラブハウスに引き上げて来たときの弾けんばかりの笑顔で語っていた中村の表情は今でも印象深い。

「もう二度とケガはしません。あとはトップチームで活躍するだけです!」

 サッカーができる喜びを心の底から感じている、そんな様子だった。

 だが、サッカーの神様は、中村がピッチに立つことをまだ許してはくれなかった。同年12月にU-18日本代表候補(現・U-19代表)に選ばれると、中村は久々の代表招集に張り切り、オフ返上で自主トレを行っていた。ところがその練習中に、今度は右膝外側半月板損傷という大ケガを負ってしまった。「心は折れていないから大丈夫です。意外とサバサバしています」と周囲には元気な姿をアピールしていたものの、長い間苦楽をともにしてきた秋野、木村、小林祐介ら同期の選手たちには「いつもの航輔らしい元気がない」と、心の内を見透かされていた。

▼3度の負傷を乗り越えて
 1年半のうちに3度も大ケガをしたのだから落ち込んで当然である。

 ただ、落ち込んではいたが、本人の言葉通り、気持ちは折れていなかった。通常の練習はできなくとも、毎日全体練習が終わればプロテインを片手にトレーニングルームに籠り、積極的にフィジカル強化に励んだ。単に身体を大きくするためではない。復帰した時にセービングの飛距離を伸ばすため、筋肉である程度の重さを付けなければいけないと必要性を感じたゆえの肉体改造だった。ケガをした状況でも、復帰後を見据えて努力を怠らなかった。

 そんな中村に、ついにピッチに戻る日がやってきた。2014年5月11日、Jリーグアンダー22選抜の一員として、J3第11節のツェーゲン金沢戦で復帰を果たした。最初のケガから、すでに22カ月も経っていた。さらに柏のトップチームでは、9月23日のJ1第25節サガン鳥栖戦で初のベンチ入りを経験。まだ出場機会がないにもかかわらず、サポーターからチャントが作られるという異例の歓待ぶり。間違いなくサポーターからの期待の大きさの表れだろう。

 ただ、Jリーグアンダー22選抜も、柏での初のベンチ入りも、これから始まる真の復活劇を考えたら、それらは序章に過ぎない。2年間の沈黙を破り、その規格外の実力を発揮する場は、2年前に負傷で出場を逃してしまったAFC・U-19選手権だ。本来持つ才能に加え、度重なる故障を乗り越えてきたことで、さらに鍛え上げられたメンタルと、地道なトレーニングでフィジカル的な逞しさを増した中村は、試合には出場できなかった間も、明らかに大きく成長を遂げた。

 そしてU-19日本代表でアジアの頂点を極めた後は、柏のゴールマウスに君臨するべく、いよいよ菅野の牙城に挑戦することになる。


鈴木潤

1972年生まれ、千葉県出身。一般会社員を経て、2002年にフリーライターへ転身。ユース年代を取材する傍ら、2003年から柏レイソルの取材を開始する。現在はクラブオフィシャルのライティングをはじめ、J’s GOALの柏担当を務め、2度の降格と4年連続の優勝という激動の時期を取材。また、2014年7月より自身の責任編集による有料ウェブサイト『柏フットボールジャーナル』を立ち上げ、柏に関する情報を日々発信中。