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大卒2年目の分岐点。”縁に恵まれた男”泉澤仁が大宮を導く

大宮のキャンプを取材してきた片村光博が大卒2年目のアタッカーに注目。苦しんだ昨季、この男を支えたものは何だったのだろうか。

3月の開幕に向けてJリーグ各クラブのキャンプは最終段階、あるいは打ち上げて次の段階へと入っている。今週の『J論』では、このキャンプへ実際に足を運んだ取材記者に”今季のイチ押し選手”を挙げてもらった。第2回目は大宮のキャンプを取材してきた片村光博が大卒2年目のアタッカーに注目。苦しんだ昨季、この男を支えたものは何だったのだろうか。

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(C)片村光博

▼かつての恩師からの金言
 大宮アルディージャの背番号39・泉澤仁は、多くの”縁”とともに戦っている。

 彼に関わった人々は、時間が経ってもその様子を気にかけ、何かと連絡を取ってくることが多い。今オフも小学生時代から大学生時代まで、さまざまな時期の指導者たちから激励の連絡を受け、泉澤もそうした人々に信頼を寄せている。

 代表的な例が、新潟ユース時代の監督だった片渕浩一郎氏(現・アルビレックス新潟アカデミーコーチ兼JFAナショナルトレセンコーチ北信越地区担当)だ。そこにある師弟関係をうかがい知れるエピソードが、プロ1年目の昨季にあった。

 2014年、大学No.1ルーキーとして期待を背負って加入した泉澤だったが、プロでのスタートは決して順風満帆なものではなかった。当時の大熊清監督(現・セレッソ大阪強化部長)からは、期待値の高さもあって守備の厳しさやオフザボールの動きの改善を求められたが、結果として武器である突破力を生かすことに注力できず。開幕から2試合に途中出場したものの、以降は長く出場機会に恵まれなかった。当時は練習でも精神的な不安定さがプレーに表れてしまうシーンが目についた ほどだ。

 自信を持って入ったプロの世界で、思うようなプレーを出せていない。出口の見えない状態で迎えたJ1リーグ戦の中断期間、胸の中には迷いがあった。

「すごく悩んでいた。やりたいこととやらなきゃいけないことと、いろいろあって…。『ここじゃないのかな』と思ったりもした」

 そんな折に救いとなったのが、かつての恩師・片渕氏の言葉だった。

「電話で『(試合に)出てないね。でも、ここで出られないからダメなんじゃなくて、何かあるかもしれないから地道にやっていけば絶対に先につながる』と言われた。結構、乾(貴士)選手の話を出されるんですよ。『(乾は横浜F・マリノスで)出られなくても、セレッソに行ったらああやって輝いたんだから、地道にやっておかないと』と」

 その言葉により、泉澤は再び前を向く。ただ、乾のように新天地を求めるのではなく、自らを信じて大宮で勝負することを選んだ。

「なんだかんだ、僕は大宮が好き。みんな優しいし、大樹さん(スカウトとして獲得を進めた松本大樹・現強化本部長)もいる。そのぶんまで頑張らなきゃと思う」

 恩師の言葉で気持ちを新たにした泉澤は、第20節、奇しくもかつて憧れた新潟・ビッグスワンで行われた試合から本格的に台頭。第23節・鹿島アントラーズ戦からは渋谷洋樹監督の下でレギュラーに定着し、反攻の時期を迎えたチームにおいて、攻撃のキーマンとなった。

▼謙虚さと力強さと、折れぬ心
 これはほんの一例だが、挫折を味わったときに与えられたアドバイスを素直に受け入れ、糧とすることができる。だからこそ人々は泉澤に声を掛け、正しい道を進ませるために助けを惜しまないのだろう。苦しんでいれば、誰かが手を差し伸べる。それは幸運ではなく、「感謝の気持ちを忘れないために」と背番号39を着ける彼自身が築き上げた”縁”によるものだ。

 試練の時を乗り越えた泉澤は今季、大宮でプロ2年目を迎える。現在行われている宮崎キャンプでは、今季初の対外試合となった12日の練習試合・宮崎産業大学戦で早速ドリブルから決定機にも絡んでみせた。まだ準備段階に過ぎないとはいえ、たたずまいには、良い意味での余裕も感じられる。

「昨季はアキさん(家長昭博)に頼っていた部分があったので、今季は自分がやれればと思っている。昨季は遠慮がちな部分もあったし、自分の良さを分かってもらえていない部分もあった。今季はそのあたりをしっかり出していきたい」

 力強く前を見据えると同時に、「常に危機感しかない」と語るように慢心とも無縁。決して大口を叩くタイプではないだけに、「チームの中心になっていきたい」という言葉が重みを持って響いてくる。

 真価を問われる2年目は、J2優勝がクラブとしての至上命令だ。生易しいシーズンになるはずもないが、泉澤の心が折れることはないと断言できる。たとえ折れかけても、周囲の助けとともに再び立ち上がり、より強くなって戦える。その心こそ、彼の持っている最大の武器なのだから 。

片村 光博(かたむら・みつひろ)

1989年1月26日生まれ。東京出身、東京育ち(途中、豪州キャンベラで5年半)。2002年の日韓ワールドカップを機にサッカーにのめり込み、約10年後の2012年、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』のインターンとしてサッカー業界に身を投じる。編集手伝いから始まり、2013年には栃木SC担当で記者として本格的にスタート。2014年は大宮アルディージャとジェフユナイテッド千葉の担当を兼任し、2015年からは大宮に専念している。効率的で規律のあるサッカーが大好物。