J論 by タグマ!

京都橘、土のグラウンドに見えた風と温度と男の背中

2年連続して国立のピッチに立った京都橘高校を取材で訪れた彼は、そこにどんな景色を観たのだろうか。

93回目を迎える伝統行事、高校サッカー選手権大会が12月30日より首都圏で開催される。今週の『J論』では、高校サッカーを取材してきた6人の筆者が、それぞれ少し視線と論点を変えながら「高校サッカーの風景」を描いていく。まず始めに登場するのは、古都の奇人・森田将義。2年連続して国立のピッチに立った京都橘高校を取材で訪れた彼は、そこにどんな景色を観たのだろうか。

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リハビリ明けで自主練に励む小屋松が、後輩に混じってボールを蹴る (C)Masayoshi Morita

▼グラウンドには小屋松がいた
 12月某日、京都橘高校のグラウンドにOBの小屋松知哉(名古屋)の姿があった。2年連続での国立行きを牽引した彼は名古屋グランパスに進んだものの、4月のJデビュー戦で右膝前十字靱帯を断裂。6カ月のリハビリを終えてオフシーズンを迎えた彼は来年を見据え、一人黙々と自主練に励んでいた。

 彼に遅れること数十分。学校行事を終えて、後輩たちもグラウンドに姿を表した。久々に顔を合わす先輩に近寄る後輩たちのセリフは揃いも揃って、「スパイク持ってきてくれました?」というもの。プロから”お古”を貰おうと必死な後輩たちの姿を見て、思わず小屋松は「お前ら、どんだけガキやねん」と苦笑いを浮かべるほかない。

 この日の練習メニューは疲れを考慮し、軽めを予定されていた。ウォーミングアップを終えて五人一組に分かれてのミニゲームが始まると、また選手たちは無邪気な顔をのぞかせる。小屋松も後輩たちに交じってプレーしたが、やはりプロの動きは別格。次々に翻弄された後輩からは「やっぱりグランパス上手いわ~」、「おい、グランパスに負けてどうすんねん!」などと声が飛ぶ。彼らの姿を見ていると、マネージャーが言っていた「『大変でしょ?』ってよく言われるんですけど、楽しいんですよ。手のかかる子どもばっかりだけど、つらい時に元気を貰える場所なんです」という言葉が自然と思い出される。軽めのはずだった練習は徐々に熱気を帯びて延長を重ね、結局は2時間を超えていた。

▼原点と、徹底と
 こうした明るい雰囲気の原点は米澤一成監督の現役時代にまでさかのぼる。同じ京都の東稜高校でプレーしていた指揮官は、「楽しく練習するタイプではなかった。負けるのが嫌だったし、やる気のない奴を帰らせたりもしていた」一方で、「練習後にはバカなことをやって、チームメイトとはしゃいでいた」と言う。選手権の最高成績は県予選ベスト8と晴れ舞台には遠かった3年間だったが、人間関係の重要性を学び、「厳しすぎる上下関係はサッカーでのマイナスになるので、ほどよい位がちょうどいい」という指導法の礎となった。

 もちろん、京都橘はただ楽しんでやっているだけのチームではない。

 練習見学に行くたびに見かけるのが、部内ルールが守れずに雷を落とされている選手の姿だ。サッカー部と学校生活の双方で顔を合わすからこそ、些細な事に気付け、指導ができる。米澤監督が「私生活から接することができるのが高校サッカーらしさ。常に見られながら社会のルールを学ぶのは、大人になった時にメリットになると思う」と話すように、ダメなことにはしっかりと注意を行っているのも京都橘らしさだろう。なごやかな雰囲気に反して、規律自体は他校に比べてむしろ厳しい。こうした指導があったから、入学当初は「人間的には凄く低いスタートだった」という今年の3年生も、「伸び率でいえば、歴代トップクラスかもしれない」と大きく成長した。

「サッカーしか楽しいことがなかった僕らの子どもの頃と違って、今は色んな情報があったり、おもろいモノがいっぱいある。『それでもサッカーを選ぶ』今の子らって、僕らよりサッカーが好きなのかなって思う」と米澤監督は話す。怒られても、つらくても、サッカーが好きだから頑張れる。選手たちが前向きな気持ちでグラウンドに現れるから、学校生活も含めた指導も効いてくる。そうした循環が子どもを少しずつ大人に変えていく。それがこのグラウンドにはある。

▼その背中に見えたもの
 取材も終わり、そろそろ帰ろう。そんなことを思いながら見渡したグラウンド。すっかり暗くなっていた土のピッチの上で、一人黙々とボールを蹴るDF日高憧也の姿があった。

 校舎からそっと見守る米澤監督は、「高校サッカーって感じでしょ?」と口にしながら、誰よりも早く朝練に顔を出し、下校時間までボールを蹴る彼の頑張りを教えてくれた。入学当初は決して上手い選手ではなかったが、こうした積み重ねのおかげもあり、選手権府予選ではアシストも記録する活躍を見せている。

 帰りがけ、日高へ少し声をかけると、「3年生なんで、後悔したくないんです」という言葉を残すと、今度は一人、坂道ダッシュに向かった――。

森田 将義(もりた・まさよし)

1985年、京都府生まれ。路頭に迷っていたころに放送作家事務所の社長に拾われ、10代の頃から在阪テレビ局で構成作家、リサーチとして活動を始める。その後、2年間のサラリーマン生活を経て、2012年から本格的にサッカーライターへと転向。主にジュニアから大学までの育成年代を取材する。『エル・ゴラッソ』『ゲキサカ』『サッカーダイジェスト』『サカイク』『Number』などに寄稿している。チャームポイントは天然パーマ。