「1本1本の原稿に込める思い。熱量の源泉とは?」中野和也/後編【オレたちのライター道】

"ライターの数だけ、それぞれの人生がある"。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画。第9回は『SIGMACLUBweb』の中野和也氏に話を聞いた。
(前編「現在の財産となっている時代に積み重ねてきた経験とは?」)

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▼久保竜彦の素顔

ーー久保選手こそインタビューが難しい選手という印象です。

中野 いやいや、そうでもないですよ(笑)。彼の場合、要は出てくる言葉を待ってあげればいいんです。彼が黙っているのは、もちろん話すことが面倒くさいという要素もあるんですが、言葉が見つからないという要素が強いです。だから黙って、考え込んでしまうんです。5分くらい待てばポロっと良い言葉が出てくるんですよ。ただ久保は、キャラがぶっ飛んでいました。99年に世界が滅亡するという『ノストラダムスの大予言』を本気で信じていたため、2002年のW杯は開催されないと思い込んでいたんです。そこまで真剣に信じている人を僕は初めて知りましたよ(笑)。

海外でのプレーについても、「絶対に行きたくない」と。その理由が「海外はご飯がおいしくないし、醤油がないから」。根が純粋なんですね。その上に、あれだけの身体能力があって、常人ではない発想がある。ただ、台頭してきた当時の久保は地元の人々に「二流の選手」と言われていました。「まったく分かっていない」とイライラしてしまって(笑)。そういった評判を覆すような原稿を書きたいという思いを抱いていました。

そのころ、クラブも経営危機を迎えて、高木琢也、森保一、柳本啓成ら貴重な戦力を放出。一方で久保允誉現会長が第3代社長として就任し、あっと言う間にクラブ改革を成し遂げるなど、いろいろな動きもありました。そういう状況下で、自分はサッカーに専念したいと思って、『アスリートマガジン』との契約を98年で辞めたんです。

ーーその後のライター活動の軸足は何でしたか?

中野 99年から『広島フットボール』という有料メルマガを始めました。また2000年に『紫熊倶楽部』を創刊。04年にはサンフレッチェの公式モバイルサイトを依頼されたんです。メルマガと内容が被ることからメルマガの発行もやめ、モバイルサイトと紫熊倶楽部が今も両輪です。

ーー編集の立場から言わせていただくと、中野さんの記事からはものすごい熱量を感じます。前編で話されていた焼き鳥屋とリクルートでの経験が原稿に反映されているのでしょうか。

中野 もちろんです。あの時代の経験によって、人間を見る視点が複眼的になりましたし、相手の熱意や温度差を読み取る技術を学びました。特にリクルートでの求人広告は、応募者や採用などの結果が明確に数字として出てくる。結果を出さないと、広告を出してくれたクライアントに対して失礼ですから、必死で自分自身も戦っていたんです。その姿勢は、間違いなく今にもつながっています。

スポーツを追求している人は純粋ですが、トップアスリートになっているような人はきれい事では済まされないことも経験してきています。そうしたプロの世界を追求している取材対象者に向き合う中で、話を聞いた内容を原稿化する際は、自分の全精力を投げ打ってでも書かないと失礼にあたる。そもそも自分自身の原稿のクオリティーが高いとは思っていませんので、せめて原稿に込める思いの部分だけでも全精力を傾けるようにしています。それをサポーターに伝えることで選手やクラブのこと、サッカーのことをもっと好きになってもらうきっかけを作ることが、僕の仕事だと思うから。

個人的には、サッカーを扱うライターだからといって、サッカーの経験が必須だとは思わない。そして何よりも、自分がサッカーのことを分かっているという気持ちは危険だと思っています。サッカーに限らず、スポーツの世界は深淵です。サッカーをやっていたからといって、その深遠さの奥底にはたどりつけない。その自覚すらない人もいるのも確かですけどね。一方でいくらサッカーを理論的・体系的に研究しても、W杯の舞台や海外リーグ、国内リーグなどのプレーを経験している選手たちが見た景色や空気感を説明することができない。だから取材対象者に対して絶対にリスペクトを抱きつつ、自分自身が人生で積み上げてきたことを生かしながらその話をかみ砕いて、読者であるサポーターに喜んでもらえる記事を書く。そこに関しては、元プロ選手ではなくてもできると思いますし、自分の存在意義はそこにしかないとさえ思っています。

▼スポーツ界に風穴を開けたJリーグ

ーー中野さんは昨年からタグマ!での『SIGMA CLUB WEB』を始めました。ちなみにコンテンツを作る上で大事にしていることはありますか?

中野 やるべきことは100パーセント、読者のためです。読者に楽しんでいただきたいということだけが、僕のこだわりです。実は雑誌を作っている中で一時期、「文章はあまり読まれないから写真を重視すれば」というアドバイスを受けて誌面作りをしたところ、購読部数が一気に減ったことがあります。「インタビューのQ&Aが多く、あまり作り手の熱意を感じない」と読者から指摘を受けたこともありました。作り手が真摯にやっているかどうか。安易に逃げていないかどうか。自分では真摯にやっているつもりでも、読者にそれが伝わるかどうか、そこが問われているんです。一生懸命やってきましたが、部数が落ちた時は自分の「真摯さ」が読者に伝わっていなかったということです。

ーー長らくJリーグを取材してきた中野さんにおうかがいしたいのですが、Jリーグが在り続けてきた意味や価値を感じることはありますか?

中野 全国各地にJクラブが誕生して、Jリーグが特にスタジアムや練習場などのハード面で強い要求を提示しましたよね。それがめざましい成果を発揮して、日本のスポーツ環境は大きく前進したと思います。景気が後退すると企業がスポーツから撤退していったのですが、そういう状況でも「スポーツクラブ」という存在があれば生き残れるとJリーグが明確に示したことで、他の競技のプロ化も促進されましたよね。

川淵三郎元チェアマンを始めとしたJリーグ草創期を支えてきた人々が推し進めてきた「地域密着」という方向が、企業スポーツが主だった日本のスポーツ界に風穴を開けました。Jリーグが築いてきた思想があるからこそ、プロ野球も地域密着へと舵を切ったし、Bリーグの今があると思っています。また最近流行の兆しを見せている"スポーツツーリズム"という考え方も、もともとJクラブのサポーターが始めたものでしょう。そういった意味でJリーグはスポーツやそこから派生する文化の広がりに、大きく貢献してきたと考えますね。

ーーそれでは最後にライターの後輩に向けたメッセージをお願いします。

中野 一緒に頑張りましょうとお伝えしたいです。以前は雑誌に載らなければ何の意味もない時代でしたが、現代はいろいろな形で自分の文章を発表することができますよね。サッカーを扱うメディアが少なくなったとしても、だからこそ1本1本の原稿を、取材を頑張っていきましょう、と。読者からの反応で気落ちするようなことがあるかもしれませんが、ライターの書いた記事が読者に100パーセント賛同されることはありません。とにかく一生懸命にやること。その意思は確実に読者へ伝わります。僕はそう思いますよ。


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【EXTRA TALK】
取材ノートに代わるものは......

こだわりのアイテムは、このiPadProです。実はもう、一冊もノートを持っていません。ライターが原稿を書く時の基礎は、取材データや資料。これがあれば、すぐにデータを取り出せますし、保管や保全も難しくはありません。またiPadProのNotabillityというアプリは、録音と文字が同期するので文字起こしの時には本当に役立つ。コレ一つでインタビューや取材後の整理がしやすくなりました。仮に壊れてしまったとしても、データはクラウドに保管されていますから、必要に応じて同期できますからね。また、このApple Pencilが出現したことで、ノートにペンで文字を書く感覚と何ら変わりなくメモもできるんです。


※スポーツツーリズム......スポーツを見に行くための旅行およびそれに伴う周辺観光など、スポーツに関わるさまざまな旅行のこと

【プロフィール】
中野和也(なかの・かずや)
1962年3月9日生まれ。長崎県出身。居酒屋・リクルート勤務を経て、1994年からフリーライター。1995年から他の仕事の傍らで広島の取材を始め、1999年からは広島の取材に専念。翌年にはサンフレッチェ専門誌『紫熊倶楽部』を創刊。1999年4月10日のJ1リーグ対G大阪戦以降、広島公式戦816試合連続帯同取材を続けており、2013年末には『サンフレッチェ情熱史』(ソルメディア)を上梓。2016年初頭には『戦う、勝つ、生きる』(ソルメディア)を書いた。一方でアウトドア活動も積極的。富士山の麓で2年連続、正月キャンプを敢行した。


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