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Webマガジンを始めた理由にもつながる大宮のポテンシャルとは?片村光博/後編【オレたちのライター道】

記事の中に選手の人となりの部分を盛り込んでいくなど、そういったことにもトライすることができます。

“ライターの数だけ、それぞれの人生がある”。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画がスタートした。第8回は『Omiya Vision』の片村光博氏に話を聞いた。
(前編「ベースを作った豪州留学時代。異国の地で身につけた生きる力とは?」)

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▼栃木担当時代に培った財産

ーー少しずつサッカーの仕事に近づいてきた印象です。ちなみにどのような経緯でエルゴラには携わるようになったのでしょうか?

片村 大学院2年次の2012年1月にインターンに応募して、同年3月から携わるようになりました。当時は携帯サイトの更新作業や本紙の手伝いをやらせていただきました。そのような仕事を1年間続けていく中で13年からは並行して栃木の担当記者をやることになりました。1週間のタイムスケジュールの例は、水曜と金曜に栃木の練習を取材して、日曜日は栃木の試合取材。火曜と木曜はエルゴラに出勤していました。

ーー13年当時の栃木と言えば、三都主アレサンドロやパウリーニョ(現・松本山雅FC)、クリスティアーノ(現・柏レイソル)、サビア(元・松本山雅FCなど)ら、外国籍選手が豪華メンバーでしたよね。しかも松田浩監督が途中解任されるなど、記者として非常に貴重な経験が積めた1年になったのでは?

片村 例えば三都主選手のような実績のある選手へ取材ができたことは貴重な経験になりました。出来事を伝えるだけでは話題になりにくい環境でしたが、クリスティアーノなどネタにしやすい選手もいましたし、真正面からだけではなく、違った角度からでもいかに面白い話を引き出すか。すごく勉強になった1年目でした。

ーー翌年からですかね。エルゴラで大宮の担当記者になったのは。

片村 2014年の新体制発表会が大宮の初取材でした。大熊清体制に移行した年です。新体制発表会では家長昭博選手(現・川崎フロンターレ)、泉澤仁選手(現・ガンバ大阪)などがいました。そのシーズン、残念ながら大宮は初のJ2降格となってしまいましたが……。

ーーちなみにタグマ!を始めたのは、どのタイミングですか? 始めた理由とあわせて聞かせてください。

片村 2015年の6月です。『Omiya Vision』を始めた理由としては、大宮のオフィシャルサイトは内容が充実していますが、ほかのメディアで大宮が取り上げられる際の視点は、残留争いの話題やこんな選手が来たといった表面的なものが大半を占めています。でも大宮に長く携わっていると、一人ひとりがクラブとしてこうありたいという姿をしっかりと思い描いていますし、クラブの予算規模も大きく、大宮はポテンシャルを秘めているクラブです。そうしたクラブの姿を伝えていきたいという思いもありました。

またそのシーズンはJ2に降格し、クラブとして一つのやり直しがきくタイミングであったことも大きかったです。一度離れたものの、クラブに長く携わってきた渋谷洋樹さん(次期・ロアッソ熊本監督)が監督を務めていたことで、大宮の目指すカラーが色濃く反映されるだろうなとも思っていました。

ーー『Omiya Vision』という媒体名にはどんな思いがこもっているのでしょうか?

片村 クラブとしての今後の指針(ビジョン)を代弁できれば、という思いで『Omiya Vision』という媒体名にしました。

▼”後進”へのメッセージ

ーーちなみにコンテンツはどんな構成になっていますか?

片村 マッチプレビュー、マッチレポート、試合のコメントなどのゲーム系コンテンツから、練習後のコメント、そしてチームや選手のコラム、チームを離れていった選手を取り上げる『オレンジウォッチ』というコーナーがあります。そしてアカデミー関連の記事は基本的に無料で掲載しています。

ーーなお、コンテンツを作る上で大事にしていることは?

片村 若手や移籍してきた選手の中には、まだ”キャラ付け”されていない選手もいます。その記事を読んだだけで、選手としての特長や人となりまで分かってもらえるような構成にすることは意識しています。マッチプレビューやコラムは、それを読めば前後関係を含めて全体感が分かるように書くようにしています。

ーー今後、コンテンツや記事の内容で強化しておきたいポイントはありますか?

片村 記事の中で次への展望が見えるものにしていきたいと思っています。目の前の結果が大事とはいえ、特にマッチレポートはその先の視点を見失わないように表現していきたいです。

ーー『Omiya Vision』をやっていて良かったなと思うことは?

片村 情報としての鮮度や賞味期限の難しさがある中で、入手できた情報をタイミングよく出せることは大きなメリットです。鮮度が高い状態で伝えることができますし、他媒体ではなかなか注目されないような選手でも、然るべきタイミングで取り上げることができます。先ほども言いましたが、記事の中に選手の人となりの部分を盛り込んでいくなど、そういったことにもトライすることができます。

ーー片村さんはタグマ!ファミリーの中でも比較的若手に入る年代です。そういった意味ではこれから後に続くライターの方に近い年齢層ですが、後進に続く方たちへどんなメッセージを伝えたいですか?

片村 志のある方は、スタート時期に少々の蓄えがあり、あとはやる気次第では何とかなると思います。いろいろな巡り合わせもありますが、全力でやれば何かがついてくると思います。この業界は狭い世界なので、選り好みをしなければ何かしらの仕事はありますし、やりたいようなサッカーの仕事ではなくても、それをやっていることで後で何かしら仕事が転がってくることも。食わず嫌いにならずに、サッカーに関係する仕事をするチャンスがあれば、それを続けていくことでその先の仕事につながってきます。まずは依頼主に頼んだらコイツはやってくれると思ってもらうことが大事なのかなと。情熱さえあれば、ある程度の段階までは行くと思います。

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【EXTRA TALK】
片村さん流”二種の神器”

 こだわりのアイテムは、このストップウォッチとノートです。ストップウォッチはiPhoneのそれを使っている方もいますが、僕は首からかけてすぐに時間をチェックできるようにコレを使っています。

 またタグマ!のほかのライターの方も使っていますが、僕もこの無印良品のノートを愛用しています。大宮の番記者も半数以上がコレを使っているほどの人気です。サイズ感がちょうどいいこと、半分に折って使ってもまったく違和感がないこと、そしてこのK線の幅がちょうどいいんですよね。良き相棒たちです。

大宮の明朗系・片村光博

1989年1月26日生まれ。東京出身、東京育ち(途中、豪州キャンベラで5年半)。2002年の日韓ワールドカップを機にサッカーにのめり込み、約10年後の2012年、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』のインターンとしてサッカー業界に身を投じる。編集手伝いから始まり、2013年には栃木SC担当で記者として本格的にスタート。2014年は大宮アルディージャとジェフユナイテッド千葉の担当を兼任し、2015年からは大宮に専念している。効率的で規律のあるサッカーが大好物。有料WEBマガジン『OmiyaVison』主宰。