J論 by タグマ!

「『スタンド・バイ・グリーン』を始めたきっかけは、「オレの書いた記事、読みたい人いますか?」というアプローチの一環でもあった」海江田哲朗【オレたちのライター道・後編】

『スタンド・バイ・グリーン』の原動力

“ライターの数だけ、それぞれの人生がある”。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画がスタートした。第2回は『スタンド・バイ・グリーン』の海江田哲朗氏に話を聞いた。
(前編「コイツは人より優れた何かを持っているのか。取材ルートや手札を持っているのか。そういったことが仕事の依頼の判断基準になる」海江田哲朗)

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▼海江田流”営業スタイル”

ーーFC東京か東京ヴェルディか。その二択でランドへ行ったのですね。

海江田 そう、ランドへ行っちゃった。今だったらもう少し選択肢はあるんだろうけど、都民だからどちらかしか選べないと思っていた。でも東京都にこだわる必要はあったのだろうか、という気がしている。ただもともとは地方出身者だから、東京都に対してのアイデンティティが薄いんだけど、そういう意味でもどこかで都と接点を持ちたいという意識も働いて、その前の年に作ったレッズのムック本を持ってランドへ営業に行った。

でも、そのときも相変わらず偉そうな態度を取っていた気がする。お門違いもはなはだしいけど、レッズのムック本を持って、当時のヴェルディの広報部長さんに「昨年はこういう仕事をしてきたのですが、ヴェルディに興味がありまして、取材をさせてもらえますか」と営業をした。オレの営業の手法は、電話をかけてアポを取って営業をするというスタイル。サッカーライターを始めたばかりだから、とりあえず媒体への営業は全部制覇してやろうと思って、アポを取り付けて営業に行っていた。ほとんど相手にされなかったけど、そりゃ相手にされないわと今なら思うよね。「とりあえず会ってください。会ってオレという人間を見てくれれば分かる」みたいなことを恐ろしいことに思っていたんだよね。「仕方がないから会ってみるか」という感じで会ってくれた。

ーーヴェルディのクラブハウスを訪ねたときの光景は今でも思い出せますか?

海江田 その年は雪の始動日だったことを覚えている。当時のことを思い出すと、本当に恥ずかしいし、自分のことをぶん殴ってやりたい心境なんだけど、クラブハウスに今ベガルタ仙台でコーチをやっている小林慶行さんがいてね。まだサッカーの取材を始めて2年目なのに、それを悟られまいとするわけよ。自分の身分は明かさずに、挨拶だけは大事だと思ったから、知らない人に対しても、「こんにちは!」と挨拶をしていた。そして何を思ったか、慶行さんにも話しかけて、あの方は人間ができているから対応してくれてね。「オレ、今年のヴェルディいけると思うんですよ。これからちょっとよろしくお願いします」みたいなことを小林慶行さんに言っていた。そうしたら2001年は残留争い(苦笑)。ひどいよね。最後はエジムンドが来て、残留するわけだけど、監督の松木(安太郎)さんはシーズンの途中で解任されてしまって、小見(幸隆)さんが後を受け継いだ。

ーー当時のヴェルディは、GKは本並(健治)さん、林健太郎さん、山田卓也さんなど、個性的なメンバーが多かったですよね。

海江田 みんな一癖あったけど、今思えばそこで鍛えられたね。みんなすごいから、オレは見透かされていたと思うよ。こっちが話すことを「薄っぺらいことを言ってるな……」と分かるんだろうね。今の選手も、例えば若いライターがなんとか頑張って、同じ目線に立って話そうとするんだけど、選手からすれば「何言ってんだ、コイツ」と見透かされてしまうと、なかなか話は深まらない。その中でどうすればちゃんとした話ができるかなと、当時は日々そんなことを考えていたと思う。

今でも覚えていることは、2001年はリーグ最終節がFC東京との東京ダービーだった。福岡と残留争いをしていて、FC東京のサポーターは状況が分かっているから、試合中にもかかわらず、実際には点を取っていないのに、開始10分ぐらいで「福岡先制!」というコールが沸き起こった。あの頃のFC東京サポーターは面白かった。まあ、そんなこんなでオレのヴェルディ1年目は激動のシーズンだった。

ーーところで、各媒体への営業の成果はいかがでしたか?

海江田 スポナビ(スポーツナビ)に営業をして、スポナビで連載をいただいたんじゃないかな。2週間に一度ぐらいのペースで選手一人ひとりをクローズアップするような企画だったと思う。でも、最初はチームものの原稿を書いたね。

1年前にはレッズのムック本を作っていたから、ヴェルディを1年間追いかけて、一冊のまとまったものを作ろうという野心は持っていた。そういうつもりで動いていたんだよね。実力はないけど、とにかく野心はあった。でもチームは1年目が残留争い。エジムンドが来て残留をして面白かったけど、ある意味アテが外れた。普通であれば損切りという判断ができたのかもしれないけど、逆に面白いと思ったんだよね。あれからヴェルディの取材を始めて、16年も経っているのか……。でも、ここまで来ると、今度は抜ける理由が必要になってくる。

ーー取材2年目もヴェルディの取材の継続を選択し、定点観測を続けることになりましたが、海江田さんが続けようと思った原動力や、海江田さんの背中を押した理由は何だったのでしょうか?

海江田 とにかく1年目がいろいろな意味で酷過ぎて、逆に笑ってしまうぐらい面白かった。その一方で取材もそれほどうまくできなかったし、先ほどの話ではないけど、癖のある選手が多いから、次第に見透かされているなということがこちらも分かってくる。そうなると、この人たちとちゃんと話せるようになりたいという欲が出てくるもの。でも、林さんとか、ちゃんと話せるようになったのも、恐らく引退してからではないかな。

同じ歳だから、もう少し親近感を覚えてもらえるかなと思ったけど、現役の頃は全然距離が縮まらなかった。取材はうまくできなかったし、自分自身に納得がいっていなかった。とりあえず自分が納得いくまでやりたいなと思って2年目に入った。1年目の損を少しでも2年目で取り戻そうと続けた部分もあった。それから16年。良い時と言えば、2005年元日の天皇杯で優勝したことぐらいかな。

ーー監督はオジーさん(オズワルド・アルディレス)でした。かつて町田でプレーしたこともある平本一樹選手が躍動した天皇杯決勝は記憶に残っています。桜井直人さん、廣山望さんなど、個性的なメンバーがいました。

海江田 ワクワクしたよね。その翌年にはJ2に落ちちゃうんだけど……。

▼『スタンド・バイ・グリーン』の原動力

ーー長年追いかけてきたヴェルディを一つの切り口として、昨年からタグマ!でWebマガジン『スタンド・バイ・グリーン』(以下、SBG)を始められました。SBGを始めて、再認識したことなどはありますか?

海江田 あらためて思ったことは「オレ、こんなに書きたいことがあったんだ」ということ。時々レポートを書いていたけど、しばらく”休眠状態”の時期もあったから、始めてみてどうだろう?と思ったこともあった。でも書きたいことが出てきたね。それはやってみないと分からないことだった。

ーー個人的にはSBGの切り口やテーマ性が面白いので、すごく参考させてもらっています。「書きたいことがこんなにあったんだ」とおっしゃっていましたが、SBGで常に意識していることはありますか?

海江田 SBGは完全に100%読者に向けて書いている。直接読者の方から「はい500円、500円」といただいている形ではないけど、購読料をいただいていることはすごくリアルなことだと思う。読者の名前を一人ひとり分からなくても、毎月月末になると具体的な読者の人数が分かる。この方々がお金をくださっていると思うと、そのリアリティはすさまじいと思う。

そして一つ言えることはSBGの原稿には、ある人におもねりたいがための原稿は1行もありません。オレもそういう原稿を読むと、もう2行で分かるわけよ。要は読者に向けて書いてなくて、この人に気に入られたい。もしくはこういうふうにクラブを良いふうに書いている自分を見てほしい。そういう原稿はSBGには1行もなく、全部読者に向けて書いている。それは誓って言えること。でも、もちろん間接的にそれを読んだ選手などが「面白れぇ」と笑ってくれればいいなという気持ちは、もちろんどこかにあるけどね。

ーーちなみに更新の頻度はどの程度ですか?

海江田 だいたい週5回かな。でも始める前は、もう少し割り切れるかなと思っていたんだよね。オレが原稿を書く。そこに読みに来てくれる読者がいます。500円を払ってくれるという関係性を仕事として割り切れるかなと思っていたんだけど、SBGをやる中で読者との連帯感みたいなものを勝手に感じている自分がいるんだよね。

例えば昨年の天皇杯。初戦は熊本で次は高知での試合。普通だったら絶対に取材に行かないのに、テレビ放送がないから、現地へ見に行けない人はどんな試合か分からないだろうから、「分かった、行ってくるよ!」みたいな読者との関係性やつながりを勝手に感じている。読者に動かされている感じもしないし、SBGは「いいよいいよ、行ってくるよ!」みたいな1対1で接している感覚があるんだよね。

ーー重複する部分があるかもしれませんが、SBGを始めて良かったなと思うことは何でしょうか?

海江田 一つ挙げるとしたら、「ファイト!」という気持ちが出てきたこと。オレ、そんなにしょっちゅうファイトする人間じゃないけど、そういう気持ちを取り戻してくれた感はある。個人メディアを立ち上げてやれるかどうかは全然分からないし、読者がどれほど集まるかは全然分からないけど、とりあえずやってみよう。ダメだったら止めようでいいじゃんと始めてみた。

もちろん、やるからには成功させなきゃとは思っていたけど、SBGを始めたきっかけも「オレって必要ですかね?」というアプローチでもあったから。「オレの書いた記事、読みたい人います?」みたいなアプローチもあったから、こういう勝負は面白いよと思って昨年の1月末から始めたんだ。始めてから昨季は1試合を除いて、アウェイの試合にも取材に行けたし、必要に迫られて、「この企画面白いかな、楽しんでほしいな」と思って企画を考える。そういうことができるのも、楽しみの一つではあるよね。

ーー最後に若手ライターへのメッセージをお願いします。

海江田 少しでも面白かったなという原稿があったときなどは、本人に伝えるようにしている。自分も先輩方にそう言われてきたことでここまで引っ張ってもらったところがあるじゃん? 若い頃とかすっげーダメだったと思うんだけど、ダメなりに周りの大人が良いところを見付けて「ここは良かった」と言ってくれていたと思う。それと同じことを今でもしているね。

ーー例えば、若手や下の世代からの突き上げを脅威に感じるようなことはありますか?

海江田 すごく気にはなるけど、特にはないな。すっごく口幅ったい言い方になるけど、時々「どんな本が好きか?」、「どんなライターが好きか」とか、そういう話をすると、その人の教養のバックボーンが伝わってくるんだけど、比較的今はみんな横着に育ってきていて、手近に見られるものだけを読んできた人が多いという印象。まあ、ネットが普及して、横着になりがちなのはオレもそうなんだけど。この本がどうしても読みたくて、「絶版になった本だけど、古本屋を探して回ってでもこの本が読みたかったんすよ!」みたいな感じの人とはなかなか巡り会えないね。

今の人たちは本当に良いものをどれだけの人が読んできたのか、疑問に思う。全部物事は回っているものだし、いろいろなスタンスがあることで面白いことができるのに、割と同じものを読んできた人やライターが多くて、そうなると”ストライクゾーン”が小さいと思う。すんごいカーブがあるのに、もっといろいろなやり方があるのに……とは時々思っているけどね。

ーーなるほど。SBGがなぜ企画の幅が広いのか、その原動力が分かったような気がします。

海江田 オレ、頭がおかしいんじゃないかと言うくらい時々やっているよね。『SBG探偵局』というコーナーはその象徴。時々人格を変えてやったりしているもん。でもオレ、思っていたことと違うことが起きたときに、それを面白がる才能は人よりもあるんじゃないかな。裏切られたときに笑ってしまうような……。

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【EXTRA TALK】
“SBG生活”で写真に目覚める

海江田 言い忘れた。カメラも好きなんだよね。子供の頃に初めて親父に買ってもらったプレゼントが、多分オリンパスの『PEN−F』。当時、小学生くらいだったから、誕生日プレゼントか何かで買ってもらったのかな。カメラも、タグマ!を始めて良かったと思うことの一つ。最近、新しいものを買うことにした。ボディだけではなく、レンズもちょっと良いものが欲しい。凝り性なところがあってさ。

ーー会心の1枚を撮れた時は最高の気分です。

海江田 写真を撮るようになってから、カメラマンさんに対する敬意は高まった。こっちはその日よく撮れた写真を使おうとするから制約が緩いけど、カメラマンさんは、その試合を象徴する1枚を要求されているわけだから。カメラはコレが気に入っている。子どもの頃、オリンパスのカメラを最初に使ったから、なんとなく運命を感じるなと思いながら、大切に使っているよ。

海江田 哲朗(かいえだ・てつろう)

1972年、福岡県生まれ。獨協大学卒業後、フリーライターとして活動。東京ヴェルディを中心に、日本サッカーの現在を追う。主に『フットボール批評』、『サッカーダイジェスト』などに寄稿。著書に、東京ヴェルディの育成組織にフォーカスしたノンフィクション『異端者たちのセンターサークル』(白夜書房)がある。2016年初春に始動した『スタンド・バイ・グリーン ライター海江田哲朗のWEBマガジン』で、東京Vのマッチレポートやコラムを届けている。最近は必要に迫られて始めたカメラに夢中で、新たに購入した機材が早く届かないかなと待ち焦がれる日々。

郡司 聡(ぐんじ・さとし)

茶髪の30代後半編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』編集部勤務を経て、現在はフリーの編集者・ライターとして活動中。2015年3月、FC町田ゼルビアを中心としたWebマガジン『町田日和』を立ち上げた。マイフェイバリットチームは、1995年から1996年途中までの”ベンゲル・グランパス”。