J論 by タグマ!

「50歳ぐらいまでに自分の明確なスタイルを作り上げること。これは自分自身がやれるかどうかの勝負になります」鈴木康浩【オレたちのライター道】

その動画を見て自分を奮い立たせることもありました。

“ライターの数だけ、それぞれの人生がある”。ライターが魂を込めて執筆する原稿にはそれぞれの個性・生き様が反映されるとも言われている。J論では各ライター陣の半生を振り返りつつ、日頃どんな思いで取材対象者に接して、それを記事に反映しているのか。本人への直撃インタビューを試み、のちに続く後輩たちへのメッセージも聞く前後編のシリーズ企画がスタート。第1回は『栃木フットボールマガジン』の鈴木康浩氏に話を聞いた。
(前編「この仕事は小さな仕事を決して疎かにせず、そこに自分のすべてを懸けてできるか。それ以上でもそれ以下でもありません」鈴木康浩)

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▼新たな展開を検討中の『栃木フットボールマガジン』
――『栃木フットボールマガジン』を始めるようになったきっかけは何でしょうか?
始めたのはちょうど昨年の今頃である2015年12月。僕はもともと昔で言うところの有料メールマガジンを始めたいと思っていました。その一方でJ3になったことで書ける媒体も減っていきますし、情報の露出自体も少なくなっていくだろうから、(J3に降格したことで)情報が減るかもしれないと不安に思っている読者やコアサポーターのために、栃木SCの情報を届けようと始めました。

栃木SCがJ2を戦って7シーズン。J2に7年も居続けると、コアなサポーターの数も多いですし、そういった方々は栃木SCがなくてはならない、生活の一部となっています。そういった方々へ、監督や選手の生の声といった一次情報を届けることをしないと、J3降格により、栃木SCの火が消えてしまうかもしれないという不安もあったので、始めることにしました。

――『栃木フットボールマガジン』を始められてから、中美(慶哉)選手のインタビューで会員数が急激に伸びたと聞きました。
中美選手がJ1クラブのサガン鳥栖へ移籍することが決まったのは、ちょうどこの『栃木フットボールマガジン』を初めて10日後ぐらいのことでした。年末に中美選手の移籍が決まり、たまたま中美選手と連絡が取れたので、年明けの4日に喫茶店で会って話を聞きました。

彼は地元の栃木県宇都宮市出身の選手なので、移籍への思いや栃木SCに対する思いを語ってもらい、次の日から3日間連続3回に分けてインタビューを掲載したところ、多くの方に会員になっていただきました。ありがたかったです。中美選手のインタビューを載せたことで、媒体としても軌道に乗りましたが、まさか今回のJ2・J3入れ替え戦で中美選手と対戦することになるとは、その時は夢にも思いませんでした(苦笑)。

――ここまでのお話の延長かもしれませんが、栃木フットボールマガジンの媒体としての指針や方針は何でしょうか?
一度始める時に、『栃木フットボールマガジンとは?』といったコーナーでも書いていますが、大げさなことを言うと、「サッカーの力で、栃木を、地方を創生すること」。本当に大げさな話ですし、そこまで大げさなことを言わなくても良かったなと思っていますが(笑)、今年一年間やってみて思うことは、やるからにはやはり大きな目標を掲げるべきだなと。

栃木SCのファン・サポーターだけではなく、栃木のいろいろな方たち、あるいは栃木県に住んでいない栃木県民の方たちなど、少しでも栃木に対しての思いを持っている方たちが、「何かすごく盛り上がっているな」と、エネルギーが放出される場所にしたいというコンセプトを持っています。

――そのための具体的な方法論は何でしょうか?
今はサッカー関係者の記事が中心になっていますが、サッカーだけではなくてもいいと思っています。栃木県にはリンク栃木ブレックスというBリーグのチームに田臥(勇太)選手が所属していますし、栃木はバスケも熱い地域です。例えば、『栃木フットボールマガジン』に田臥選手のインタビューが載っていてもいいと思っています。

そうすれば、サッカーファンとバスケファンがそこに集まってきますし、両者の繋がりができてくる。近々、野球のBCリーグに参加する野球チームの活動が始まるので、「栃木フットボールマガジンです」と言って野球の取材をしても、僕はいいと個人的には思っています。一つのコンセプトとして、競技の枠を超えた展開もやりたいなと考えています。それがサッカーで地方を創生する一歩になるのかなと思っています。

▼避けては通れない”ジレンマ”
――これまで他の競技を取り上げた実績はありますか?
今シーズンも知り合いの記者の方にラグビーの記事を書いていただき、無料で掲載しました。ラグビーを好きな方は自分のチームの情報が載るとうれしいでしょうから、媒体のことを気にかけてもらえるきっかけにもなります。他の媒体に情報がなかなか載らない中、読みたい他競技の読者の方には有効なスペースになると思うので、今後もやっていきたいと思っています。ただ一方で、日々の更新もありますので、自分のマンパワーに対するジレンマもありますね。

――来季以降、『栃木フットボールマガジン』としての近未来の展望で思い描いていることは何でしょうか?
今季1年間やってみて、あまりできなかったことをやりたいなと思っています。やはり監督や選手のコメントを、1年間シーズンを通して発表していくと、最後の3カ月間ぐらいは若干マンネリ化しますよね。そのマンネリ感を少しでも減らせる新たなコンテンツをやりたいなと思います。例えばこのクラブに携わったOBの方やその周辺の方たちを、もう少し露出していこうかと。

選手から直に取れる一次情報もすごく大事なのですが、周りから見た選手に対しての視点や、違った角度から選手たちに焦点を当てると、また違う見方が出てくると思うんです。ただやはりそれをやり切るためには”マンパワーの壁”があるので、申し訳ないのですが、読者の方々にお約束はできません。ただ、そういう気持ちはありますという意思はお伝えしておきます。

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▼今季のモチベーションビデオ!?
――タグマ!を続ける現実問題として、書く場所がある喜びを持てる一方で、更新のペースと向き合う必要もあると思いますが、鈴木さんはどのように向き合っていますか?
始めた当初は、週2・3回更新を謳っていましたが、入会しようかどうか迷っている方が更新頻度を見た時には、2・3回よりも5回以上と書いてあったほうがいいので、週5回以上に変えました。そう書いた以上はやらなければいけないと、いい意味で自分にプレッシャーをかけることができますから。

また、僕は他のタグマ!ファミリーの方の相場よりも100円高く、月額の購読料を648円に設定しているので、「何だよ、この料金でこの情報量の少なさは」と言われることもありますから、格好良く言いますと、高い金額設定は僕自身の覚悟の表れでもあるんです。

――読者からの「情報量が少ない」といった指摘は、耳が痛い話です。
更新頻度のことを指摘されるようになると、そのぶん、「オレ、ダレているな」と気付けます。更新頻度と原稿のクオリティーを保つことは常に大事にしていることです。一番は監督や選手の生の声といった一次情報を届けることですから、現場に足を運んで、できるだけ鮮度の高い情報を届けるように意識しています。

また”サイトの色”という意味では、信頼度の高い記事を載せることも大事にしています。例えば今回発表された来季におけるJ3からJ2への自動昇格枠が、『2』になるという情報は、僕が発表される2週間前くらいに「来季から自動昇格枠が2になる。だから希望を持ちましょう」というニュアンスのことを書いていました。

その後、Jリーグが正式に発表すれば、「栃木フットボールマガジンで書いていたとおりだ!」とサイトへの信頼度が上がります。そういったことを繰り返すことで読者の心をつかむことにつながります。今後も信頼度の高い記事をアップすることは大事にしていきたいと思っています。

――勉強になります。
この仕事をやっている以上、走り続けなくてはいけないですし、こうして走り続けられる理由は、自分のなかに喜怒哀楽といった湧き出てくる感情があることでやり切れる部分もあるじゃないですか。嫌でやっている仕事ではないですから、少々キツい時があってもやり切れるものです。

今振り返ると、公務員を続けている方には申し訳ない言い方になりますが、公務員をやっている時は、8時間拘束されるのがイヤだったんですよね。「24時間のうちの8時間は、1日の3分の1でしょ。例えば公務員を定年までやると、何年人生をムダにするんだ? 20年くらいムダにするかもしれない。この時間がもったいないな。本当に自分がやりたいことに、この8時間を当てられたら、どれだけ自分の人生が変わるんだ?」と。今はこうして自分がやりたいことをできているので、本当にありがたい話です。

――鈴木さん個人という意味では、これからの5年、10年先の人生設計で思い描いていることはありますか?
栃木SCに対して、喜怒哀楽や愛情を持って接していることを原稿にして、お金をいただいているという方向性と同じではありますが、フットボールやサッカーに関わる方々、できるだけ市井の方々の人間模様を書いて、一冊の本にまとめる。それはずっと思っていることです。フットボールがある日常を書いて、読んだ方が「ああ、良い話を読んだな」と思える、すぐそこにある、ちょっとしたいい話をまとめた本を出したいと思っています。自分の強みを生かしたモノを本にしたいという思いは常に抱いています。

僕は今38歳なので、40歳がもう見えてきている中、自分の書きたいテーマを持ちながら、何か形にすることをやり切りたいですね。忙しい毎日の中でそれを形にするのはなかなかに難しいけど、。それをやりたいんです。40歳までに一つの形にして、それを継続して、50歳ぐらいまでに自分の明確なスタイルとなるようなものを作り上げることができれば、そこから先につながっていくんじゃないかと思っています。これはもう、自分自身がやれるかどうかの勝負になります。

――最後に今までライターとして10年以上、取材をしてきた中で一番の思い出を聞かせてください。
一つ挙げるとすれば、栃木SCの廣瀬(浩二)選手が昨季のホーム最終節、京都サンガF.C.に敗れてほぼJ3降格が事実上決定したあとのホーム最終節のセレモニーで、グリスタのファン・サポーターに向けて、廣瀬選手が挨拶した時でしょうか。最初は普通に振る舞っていたのですが、やはり涙を流しながら、来季の契約に関することも決まっていない状況の中で、「この悔しさを胸に、来季も頑張っていきます!」と廣瀬選手が挨拶をしたシーンです。

このシーンは動画に残っているので、シーズンの途中に勝ち切れない時期が続いたときや大分トリニータが下から迫ってくる過程で、その動画を見て自分を奮い立たせることもありました。仕事をする時の”拠り所”のような感じではありました。

――なるほど。例えば書けない時に、その動画をもう一度見て、気持ちを奮い立たせていたと。
まあ、書けないことはないですけどね(笑)。その動画を見て、あらためて自分の気持ちに火をつけるようなことはありましたね。

また今季の印象的な出来事を挙げると、かつて栃木SCに在籍していた選手たちが、クラブに対して熱い思いを持っていることが分かったこともうれしかったですね。例えば優勝が決まる第29節のAC長野パルセイロ戦やJ2・J3入れ替え戦などでは、昨季まで栃木SCに在籍していた選手たちがグリスタに来ていました。
今の時代は誰でも情報を発信できるので、栃木SCに在籍していた選手たちがTwitter上で、キックオフを前に「頑張れ」といったメッセージをつぶやいた投稿を見ると、僕はそういう彼らの声を(在籍していた当時は)拾えていなかったのですが、現場に足を運ぶことやSNSを通じて発信することで、栃木に対しての思いを持っている選手がいたことに、今回はグッと来ました。

例えば、山形に移籍した荒堀謙次選手は、これは後で知ったことなのですが、今回の入れ替え戦のキックオフ12時半前の、12時10分ぐらいに栃木SCとは何も書かずに「頑張れ」と一言だけTwitterでつぶやいていたんですよ。それは明らかに、入れ替え戦に向けてのつぶやきだと推測できましたから、ただただクラブを思って行動してくれたことをうれしかったですね。

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【EXTRA TALK】
“三種の神器”ならぬ”一種の神器”!?

――ちょっと仕事道具のお話を聞かせてください。双眼鏡とストップウォッチは使っていないのですね。
双眼鏡とストップウォッチはともに使っていないですね。ノートにはこだわっていますが、書き方にこだわりがあるわけではありません。ノートはコレ(上記写真)を使う、というだけの話です。

――このノートにこだわる理由は何ですか?
立って取材をする時や囲み取材の際には、ココ(側面)がある程度固くないと、メモを取ることが難しいんですよ。無印良品の開きやすいノートというこのノートは(背表紙が)ガムテープみたいな感じで使いやすく、ずっと使っています。でも、この黒のカバーのものはもう絶版になってしまい、コレが最後の一冊なってしまいました。

――コメントを取る際は、基本的にICレコーダー(テレコ)とノートを併用する形でしょうか?
そうですね。テレコを回しながら、ノートに書き込みますが、基本的には音声データをすべて文字に起こしています。少々面倒ですが、意外にメモとは実際のニュアンスが違っていたり、メモをしていた言葉よりも意外に言い回しが優しいことなどもあるので、文字に起こすようにはしています。

鈴木 康浩(すずき・やすひろ)
今年4月、栃木フットボールマガジンを円滑に軌道に乗せるために浦和のマンションを引き払い、故郷・栃木に戻った。現在は大自然のなかの伸び伸びした生活に心洗われる最高の毎日を過ごしている。これで栃木SCが来季J2に復帰できれば文句なし。

郡司聡

茶髪の30代後半編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』編集部勤務を経て、現在はフリーの編集者・ライターとして活動中。2015年3月、FC町田ゼルビアを中心としたWebマガジン『町田日和』を立ち上げた。マイフェイバリットチームは、1995年から1996年途中までの”ベンゲル・グランパス”。