J論 by タグマ!

ハリルホジッチを唖然とさせた「日本固有の病」。だが、私はそこに「幸運」を感じた

流浪のフォトジャーナリスト・宇都宮徹壱は、ある日本人論を起点にこの6月に思いを馳せる。

ロシアW杯へと続くアジアの戦いが始まった。日本代表は初戦でシンガポールと対戦し、0-0の引き分け。ホーム開催であること、またグループ1位にならねば突破が保証されないレギュレーションを思えば、痛恨の結果にも思える。今週のJ論は〝6月のハリルジャパン〟を評価し、今後のあるべき施策とは何かを考えたい。流浪のフォトジャーナリスト・宇都宮徹壱は、ある日本人論を起点にこの6月に思いを馳せる。

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(C)宇都宮 徹壱

▼W杯でも戦わない選手がいるということ
 W杯予選が始まる1カ月ほど前、元日本代表監督の岡田武史氏にインタビューする機会があった。取材テーマは、同氏が現在オーナーを務めるFC今治に関するものだったのだが、その中でW杯ブラジル大会に臨むアルベルト・ザッケローニに関する、実に興味深い言及があった。すでにスポーツナビにアップされたものを以下、引用する。

ザックとは大会前にたまたま食事をする機会があって、そのときに「日本人の場合、大会前に調子が良すぎるのはかえって良くない」という話をしたんです。そのときはよく分からなかったみたいだけれど、大会後に日本で会った時には「あのとき、お前が言っていたことが少し分かった気がする。それにしてもW杯のピッチに立って、死に物狂いで戦わない選手がいるだろうか?」と言っていた。

 さらりと言っているが、実に恐るべき内容である。ザッケローニに率いられた日本代表は、初陣となる埼玉スタジアムでのアルゼンチン戦(もちろんメッシもいた)に勝利すると、およそ1年にわたって16試合連続無敗記録を樹立。その後もフランスやベルギーといった欧州の強豪にもアウェイで勝利している。2013年のコンフェデレーションズカップでは、守備の脆弱さが顕在化したものの、それを補って余りある攻撃力で本大会は戦えるはず、と多くの人々が(そして指揮官や選手たちも)楽観していた。

 昨年のブラジルにおける敗因について、ここで多くを語るつもりはない。が、ここで注目すべきは「W杯のピッチに立って、死に物狂いで戦わない選手がいる」ことにザック自身が驚いたという事実である。死に物狂いで戦わない(あるいは、戦えない?)選手がいたことはもちろん問題だが、そういう選手であることを気付かずにザックが23名のリストに選んでしまっていたこと、そしてかように致命的ミスが本大会の試合になって初めて露見したということについては、われわれはただただ当惑するよりほかにない。

▼指揮官を当惑させた病
 なぜこのような話を蒸し返したかというと、今回のシンガポール戦は確かに不甲斐ない内容と結果に終わったけれど、それでも昨年のブラジルでの悲劇に比べれば、はるかに救いが感じられるということを言いたかったのである。日本人選手は、親善試合ではそれなり以上の力を発揮し、そこそこ結果を出す。ところが、結果が求められる試合で少しでも上手くいかなくなると、決定的な場面でシュートを外しまくったり、予期せぬ展開に冷静さを失ってしまったり、ということを繰り返す。もちろん例外的な選手もいないわけではないが、これはある種、国民的な悪しき伝統といっても過言ではないだろう。そしてそれは、歴代の外国人監督を悩ませてきた宿痾(しゅくあ)でもあった。

「私は、それなりに長いサッカー人生を送ってきた。このように支配をし続け、19回の決定機を作ったのに、こういう(点が入らない)試合を見たのは初めてだ」

 スコアレスドローに終わったシンガポール戦、試合後のヴァイッド・ハリルホジッチのこの発言に、一定数の日本のファンは「何を今さら」とか「日本の決定力不足を知らなかったの?」と思ったのではないか。

 だが当人にしてみれば、コートジボワール代表監督時代に経験した信じ難いほど硬いピッチとか、アルジェリア代表監督時代に受けたメディアからの苛烈なバッシングといったものに匹敵するくらいの衝撃を、この試合で受けたようである。

 すなわち「普段のリーグ戦や親善試合では、あれほど落ち着いてゴールを決めているのに、なぜW杯予選でそれができないのか?」と。親日家で知られるザッケローニですら、集大成となるはずのW杯になってようやく「死に物狂いで戦わない」選手がいることに唖然としたのだ。来日して3カ月のハリルホジッチが、こうした日本人選手の悪しき特性に驚くのも無理は無いと思う。

 Jリーグや欧州組の視察だけではわからない、そして短期合宿でも気付かなかった日本人選手の”病”というものを、W杯予選の早い段階で指揮官が自覚できたのは、むしろ幸運であった。もしもザッケローニ時代のように順調に勝利を重ねていたとして、ロシアでのW杯初戦とか、あるいは最終予選の重要な試合で初めて”病”が露見していたならば、きっと目も当てられなかっただろう。そうして考えるなら、今回のシンガポール戦での不甲斐ない戦いは、むしろポジティブに捉えることも十分に可能だと思う。

▼今後のあるべき姿とは
 では、今後どうするべきなのか。

 ひとつ提案するならば、メンタル面でのサポートができる人材を日本代表の活動に常駐させることだ。もっとも、これは決して新しい発想ではない。ブラジルでの惨敗を受けて、原博実技術委員長(当時)は「メンタル面に課題があった」ことを言及している。予想外のゲーム展開に気持ちの切り替えができないこと、過緊張から決定的な場面でシュートをふかしてしまうこと、普段どおりのプレーができないまま次第に我を失ってしまうこと──。

 これらはいずれも、技術面や戦術面の問題ではなく、メンタル面からケアすべき問題である。当時の強化のトップが言及していたくらいだから、その点について技術委員会でも議論はあったはずだ。ところが、なぜか具体的な方策がなされないまま、ハビエル・アギーレ率いる日本代表はオーストラリアでのアジアカップに臨み、結果として準々決勝のUAE戦で自滅に近いPK戦敗退を余儀なくされたのである。

 今回のシンガポール戦の責任を、指揮官のみに求めるのは危険だと思う。もちろん戦術面や選手起用で、いくつか首を傾げざるを得ない場面もないわけではなかった。しかしそれ以前に、前技術委員長が言及したメンタルの問題が、その後も放置されたままUAE戦と同じ過ちが繰り返されたことを、むしろ問題視すべきではないか。次の予選までは3カ月。仕切りなおす時間は、それなりにあるはずだ。これまで着手してこなかった日本固有の”病”について、今こそ技術委員会は真摯に向き合うべきである。