その立ち居振る舞いがチームの支え。DF稲本潤一がフロンターレに与える好影響
かつて3度のW杯に出場した元日本代表MFは、登録をDFに変え、試合に向けての備えを怠らない。そんな男がチームにもたらしている価値とは何か。
▼田中裕介の視線
大混戦のJ1優勝戦線も、残すところ4試合。川崎フロンターレはかろうじて優勝争いに食らいついているといった状況にある。
今季の川崎Fは、風間八宏監督が提唱する独自理論に基づいたサッカーを推進してきた。風間監督はフォーメーションや、局面での戦術で型にはめることがないため、選手個々によって風間理論の習熟度にばらつきも大きく、メンバーは自然と固定されがちとなる。若手選手ならまだしも、実績のある選手がベンチを温めることも少なくない。そんな状況の中、その存在感だけでチームをまとめる選手がいる。1979年生まれ、今年35歳になった稲本潤一だ。
2010年に川崎Fの一員となった稲本は、加入当初こそボランチとして出場時間を増やしたが、ここ数年はベンチを温めたり、ベンチ外で試合を過ごすことが増えてきた。3大会連続でW杯に出場した実績を持つ選手なだけに、仮に稲本本人から不平不満の言葉が出てしまうと、場合によってはチームに深刻な亀裂が生じても不思議ではない。しかし、稲本はそうした振る舞いをすることがないという。それどころか、川崎Fの選手にプロフェッショナリズムを与える、そんな存在となっている。
レギュラーポジションを剥奪された経験のある複数の選手に、稲本の姿勢について問いかけると、例外なく「見習うべき選手」との答えが帰ってきた。たとえば第12節・C大阪戦でミスを連発するなどの低調なプレーからポジションを剥奪された経験を持つ田中裕介に、こんな質問をしてみた。
「稲本選手は、あれだけの実績を持つ選手にもかかわらず、出るときも出ない時も何一つ変わらない姿勢で練習に臨んでいます。稲本選手の存在は参考になりますか?」
この質問に対し、田中は「本当に素晴らしいと思います。プロとして一番あるべき姿だし、こういう人がベテランにいるからこそ、チームがまとまっているし、上位にもいるんじゃないかと思います」と答える。
キャリア10年目の田中は決して若い選手ではない。これまでに数多くのベテランと呼ばれる選手とプレーしてきた。その経験を踏まえ「イナさんはその中でも一番、人間ができているというか、プロっぽいですね」と絶賛する。定位置がなくとも黙々と練習に取り組み、チームのためにできることを探す。「目の前でそんな姿を見せられると、こちらは練習するしかなくなる」と話す。
▼登里と山本が語る「稲本」
その稲本が2得点を決め、大ブレイクしたのが2002年日韓共催W杯のことだった。この大会において、日本代表がチュニジア代表と相まみえたグループリーグでの試合前に前座試合が行われていたのだが、24歳の登里享平はその試合に出場経験があるのだという。練習から全力で取り組み、試合出場の機会を伺う稲本の振る舞いについて登里は「自分にとってプラスになってます」と述べ、ベンチで一緒に観ているときも「相手チームの動き方について自分とは違う見方をしているので、勉強になる」とも話す。そうやって持てる経験を、若手選手に還元している。
分厚いボランチの選手層に阻まれて、出場機会を伸ばせずにいた山本真希は、稲本の姿に励まされたと言う。「どんな練習でも手を抜かずにやっていて、だからオレも頑張れるというのがあります」と話した。山本は、その姿勢を貫き「常に試合に出る準備をしてきたつもりですし、それでこの前(鳥栖戦で)チャンスを貰って、勝つことができて、チームに貢献できました」と胸を張った。
▼「その日」を待って、ただ備えるのみ
リーグ戦も終盤になると、少しずつ疲労が蓄積されてくるものだ。その最たる例が足首を痛めている中村憲剛であり、原因不明の疲労感に襲われ、中耳炎を患った大久保嘉人であろう。彼ら以外にも、レナトが負傷し、大島僚太はアジア大会に招集され、小林悠がA代表の一員として日の丸を背負うようになった。レギュラークラスの選手が離脱することで、それまでベンチをあたためてきた選手に出番が回ってくる。チャンスをもらった彼らがどの程度準備できているかは、そのままリーグ戦の行方を左右する重要な要素となる。
風間理論は少しばかり特殊だが、現在のフロンターレに限らず、影響力のある控え選手たちが造反した瞬間にチームが分裂し、派閥が作られ、競争力を失った例は少なくない。そうした最悪の事態に陥ることなく、突然起用された選手たちが当たり前に活躍する。その原動力の一つとなっているのが、自らの立ち居振る舞いでチームに模範を示す稲本なのである。
もちろん稲本本人は、試合に出て活躍することがチームに対して彼が還元できる最大の利益であると考えている。今季、登録をMFからDFに変更したのは、そのほうが現役を長く続けられる可能性があると強化部に促されたからだ。それだけ試合に飢えてもいる。そんな稲本にしてみれば、単に試合へ出る可能性を高めるために準備をしているだけなのかもしれないが、川崎Fが終盤に来てもなお優勝戦線に踏みとどまっているのには、稲本のようなベテラン選手の影に隠れた貢献があるのは間違いない。
所属して、プレーして、準備する。それだけでチームに好影響を及ぼしている稲本の存在は、川崎Fにとって得難いものであるのは間違いない。
江藤高志
1972年12月生まれ。大分県中津市出身。99年にコパ・アメリカ観戦を機にライター業に転身し、04年シーズンからJ’sGOAL川崎F担当として取材を開始する。プロサッカー選手について書く以上サッカーを知るべきだと考え2007年にはJFA公認C級ライセンスを取得する。また、川崎F U-12を率いダノンカップ4連覇などの成績を残した髙﨑康嗣元監督の「『自ら考える』子どもの育て方」(東邦出版)の構成を担当した。