J論 by タグマ!

最も印象深いのは「北朝鮮への入国。そしてキム1号2号」 村上アシシとヨモケンで『世界一蹴の旅』総括

北朝鮮訪問の経験は人生の財産

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経営コンサルタントとサッカーライター、ふたつの顔を併せ持つ村上アシシ氏が著名人と対談する連載企画「村上アシシのJにアシスト!」。今回のゲストは、2010年にアシシ氏と共に『世界一蹴の旅』をしたヨモケンこと四方健太郎氏。7年経った今だからこそ明かせる旅の秘話を語ってもらった。

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▼ワールドカップに人生を狂わされた男たち

アシシ:J論の連載、半年あいてしまいましたが、今回は南アフリカワールドカップに出場する32カ国を巡る『世界一蹴の旅』を一緒にしたヨモケンに来てもらいました。

ヨモケン:なんか過去の連載見ると、監督とか選手呼んでるけど、俺なんかでいいの?

アシシ:ぶっちゃけると、サッカー界の大物何人かにアポイント取ろうとして全部空振りしたもんで、じゃあ知り合いを呼んで一回間を繋ごうということで(笑)。

ヨモケン:なんだそれ(笑)。

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<ヨモケンこと、四方健太郎氏>

アシシ:とはいえ、7年前にやった世界一蹴の旅って、今振り返ってみても相当ネタ盛り沢山だから、いくらでも面白い話できるんじゃないかなと。とりあえず、ヨモケンのことを知らない読者もいると思うんで、簡単に自己紹介してよ。

ヨモケン:元々は前職のコンサルティング企業、アクセンチュアでアシシの2つ下の後輩で、アシシとは仕事後のフットサルで仲良くなったんだよね。

アシシ:あれはヨモケンが新人時代だからもう15年も前か。そりゃ2人も歳取るわけだ。

ヨモケン:もう今では僕も2児の父ですよ。今はシンガポールに移住して、グローバル人材を育てる海外研修の会社をやっています。東南アジアを中心に5カ国7社くらいの役員をやっている。一方で、サッカーの方も色々とやっていて、ビジネス×サッカー×アジアというのをキーワードに『アジアサッカー研究所』というのを立ち上げて、現状は二足のわらじ状態だね。

アシシ:海外研修の奴はテレビ東京の「ガイアの夜明け」に取り上げられたりしてるんだよね。

ヨモケン:そうそう。出たのは4年前かな。

アシシ:俺は世界一蹴の旅の後はサッカーにどっぷりハマって今に至るけど、ヨモケンはどっちかって言うと人材育成の方に行ったよね。

ヨモケン:そうね。世界一蹴で得た気付きがふたりでそれぞれ違って、その後別々の道を歩んだってのも面白いよね。別に喧嘩別れしたわけじゃないんだけど。

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<村上アシシ>

アシシ:当時はアシシとヨモケンで『リベロ』っていうコンビ名をつけて2人で活動してたわけで。

ヨモケン:懐かしい!そんな事実を知らないフォロワーとか多そうよね。リベロって自由人って意味でつけたんだけど、まぁ今でも結構そういうふうになってるんじゃないかな。

アシシ:そうそう。この前講演会やった時に、2010年の世界一蹴の旅時代から僕のことフォローしてる人?と聞いたら、2割くらいしか手が上がらなくてビビったわ。ていうかもう、世界一蹴の旅自体が既に7年も昔の話なので、なんで世界一蹴したのかとか、改めて背景を説明してよ。

ヨモケン:キャッチーな言い方として「ワールドカップを32倍楽しむため」ってメディア向けには話してたけど、あれは完全に後付けよね。

アシシ:そもそもの切っ掛けは2006年のドイツワールドカップよね。俺とヨモケンがまだ前職で一緒で、2人で現地でキャンピングカー借りてドイツを縦横無尽に駆け巡った経験がクッソ面白くて、4年後の南ア大会はもっとすごい企画をやろうと意気投合したのよね。

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<2006年ドイツワールドカップ>

ヨモケン:あれは超面白かったなー。

アシシ:で、その後2008年にお互いがたまたま、コンサルの別の仕事で上海に住んでて、毎週お酒飲みながら計画を練ってた。最初は猿岩石みたいに日本から南アまで陸路で行こうとか、破天荒な企画を立ててたのよ。覚えてる?

ヨモケン:そうだっけ?2008年とか9年も前の話だから詳細は忘れたな。

アシシ:東南アジアを陸路で西に向かうとすると、当時のミャンマーは陸路抜けができなくて、大陸横断は無理ゲーだろとか話してて、そこから色々とアイデア出ししてると、どっちが先に思い付いたかは忘れたけど、ワールドカップ出場32カ国全部周ったら面白くね?って発想がふっと湧いて、2人でこれだ!ってなったの。この企画、猿岩石みたいにタレント立てられてテレビ番組とかでやられたら俺たち絶対太刀打ちできないから、企画書を人に見せる時に守秘義務徹底とか無駄なこと書いてたわ。

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<企画書に載せた旅の経路>

ヨモケン:すごく覚えているのは、始めは他人事で相談に乗ってて、いかにこの旅を面白くするみたいなアイデアをいろいろ出していたら、これ俺もやりたくね?みたいな話になって。2人で旅すればコストが下がる、治安対策もできる、役割も分担できるとかメリット多くて、これは俺も一緒にやるしかないでしょってなったのを覚えてる。

アシシ:旅の予算見積もったらヨモケンはそんなに貯金ないって話になって、まだ旅立ちまで1年あるんだから、フリーランスになって単価上げて金貯めろって俺がヨモケンに会社辞めさせたのね。

ヨモケン:まさにワールドカップのために会社を退職するっていうね。俺が2010年南ア大会のために会社辞めて、アシシは2006年ドイツ大会を切っ掛けに会社辞めて、2人してワールドカップに人生狂わされた男たち(笑)。

▼当時SNSが流行っていたら確実に炎上していた北朝鮮訪問

アシシ:世界一蹴してどこの国が良かった?って質問、もう何百回とされてると思うけど、ヨモケンはいつも何て答えてる?

ヨモケン:やっぱり北朝鮮でしょ。鉄板だよね。誰に話しても強烈なインパクトだと思うよ実際。

アシシ:意気揚々とワールドカップ出場32カ国巡ります!と宣言して日本を旅立ったわけだけど、その後に北朝鮮がまさかの予選突破を決めて、勘弁してくれと(笑)。

ヨモケン:企画書には免責事項って感じで最後に「北朝鮮が出場を決めたら、その限りではありません」とか言い訳書いてたけど、結局は行く決断をしたんだよね。

アシシ:アジアを旅しながら、インターネット経由で入国手段とか、過去に行ったことのある人のブログとか、めっちゃ調べたよね。最終的には中国の旅行代理店経由で3泊4日のツアーにひとり日本円で14万円で申し込んだわけで。

ヨモケン:当時、北朝鮮に行くことは自己責任で済まされることかどうかって議論したよね。

アシシ:当時はまだFacebookやツイッターはまだ流行ってなくて、俺は確かmixiで友人限定で「北朝鮮に行きます」と日記書いたらたくさんの人に反対されたんだよね。

ヨモケン:なんかあっても自己責任だって俺らが主張してたら、自己責任の範疇を超えていると。もし何かあった時に政府が出ていって、たとえば身代金を何億円払ったりしたもんなら、それは国民の税金なんだと、それはもはや自己責任の範囲を超えているって言われて、ぐうの音も出なかった。

アシシ:仮に当時ツイッターが全盛期だったら、北朝鮮行く前に確実に炎上してただろうね。

ヨモケン:何より、生きて帰ってきてよかったよね。何事もなかったから今は笑える話で済むけど。

▼北と南それぞれの論理で展開されるプロパガンダ

アシシ:2009年8月、中国の国境の町、丹東から鉄道で入って、平壌まで寝台列車で8時間。その時撮った動画、今やYoutubeで20万回以上再生されてるわ。

ヨモケン:平壌に着いたら、ツアーガイドという名の監視員2人が駅で出迎えてくれて、日本語が流ちょうに話せる人たちで、2人とも名前はキムですって。区別できないから下の名前を教えてって言ったら、1号と2号でいいですよって。余計恐いわ、本名教えてよって(笑)。

アシシ:キム1号が上司で、なぜか関西弁なまりで、歳は40代くらいかな。昔日本と国交があった時はよく日本に行ってたって。キム2号は1号の部下みたいな感じで、こっちは海外経験なさそうで、日本語もちょっと片言だったよね。

ヨモケン:3泊4日の旅程は基本、キム1号2号が僕ら2人にマンツーマンでついて、ホテルの部屋にいる時以外は常に同じ行動を取るの。もうひとりドライバーがいて、5人セットでバンに乗って、平壌市内や韓国との国境にある板門店を観光する感じ。

アシシ:板門店までの片道2時間ドライブの車内で、キム2号との会話が結構衝撃だったの。「村上さん、朝鮮と南朝鮮はなんで分かれたか知ってますか?」って聞かれたの。

ヨモケン:北朝鮮の人たちは自分たちのことを朝鮮と呼んで、韓国のことを南朝鮮と呼ぶんだよね。

アシシ:「えー、戦争の結果分かれたんですよね?」と答えたら、「違うんです。元はと言えば日本のせいなんです」って。

ヨモケン:マジで?みたいな。

アシシ:そんなの世界史で習ってないし、北朝鮮国内ではググれないから「へーそうなんですかー」と当たり障りなく答えといたけど、キム2号曰く、北と南に分かれたのは、元々日本が朝鮮半島を植民地にしていた時に、北緯38度線で県境みたいなのを日本が作ったんだと。それの名残で、戦争が終わった時、ソビエトとアメリカで領土分けようとなった時に、日本がここで分けてたから今回もここで分けようと。だから日本のせいだって。

ヨモケン:すごい論理(笑)。

アシシ:真相確かめたいから、出国して当然ググるよね。そしたらどこにもそんな話は書いてなくて。もしかしたらキム2号の主観が入っているかもしれないけど、どうにかして日本を悪者にしようとする国の方針みたいなのが垣間見れて、プロパガンダって怖いなと思った。

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<平壌市内で撮影したプロパガンダの壁画>

ヨモケン:プロパガンダの話でいうと、俺も感じたことがあって。俺は北朝鮮と韓国の国境にある板門店に北側と南側、両方から行ったことがある世界的にも数少ない人間だと思うんだけど、板門店にはJSAっていうジョイント・セキュリティ・エリアというものがあって、韓国が警備する時間、北朝鮮が警備する時間と入れ替え制になってるのね。

アシシ:たしかにあの国境線がある建物は、北と南に扉があったよね。

ヨモケン:そこに韓国側から入った時は、やぶれたジーパンとかでは行かないでくださいって言われて。北朝鮮の人はジーパンとかおしゃれとかわからないから、ちゃんとした格好で行けっていうルールがあるの。そういった西側の視点で板門店を訪問して、北朝鮮の兵士を双眼鏡で覗いてみると、カーキ色の薄汚い服装で、共産国ってお金ないんだな、悪の枢軸かわいそうだなと感じるわけ。それに比べて、俺たち西側の兵士は「UN」と書いてあって、いかしたサングラスして我が軍はカッコいいと感じるわけですよ。これは完全に西側の論理。

アシシ:そして今度は北側から行ってみたと。

ヨモケン:キム1号2号に説明されて、朝鮮統一三原則みたいなのがあって。朝鮮による朝鮮のための統一とか書いてあるわけですよ。どういうことって聞いたら、戦争で北と南に分かれちゃったんだけど、それはバックにアメリカとソ連がいたんだと。でももう今はソ連はいないだろ。南にはまだ米軍が駐留している。アメリカ軍のせいで南朝鮮が傀儡政権になっている。あんなガンがいるから、俺たちは統一できないんだと、わかりますか?と聞かれたら、そこの話だけ聞いたらアメリカ超悪いじゃんってなる。

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<板門店で北朝鮮側の兵士と記念撮影>

アシシ:たしかに俺も車内で「そうですねー」って相槌うってた(笑)。

ヨモケン:アメリカさえいなくなれば、朝鮮半島の人たちが手を合わせて同じ民族で念願の統一ができるのにと熱く語られて、ふむふむと思いながら38度線の板門店にたどり着くわけですよ。そういう北側の論理を聞いた上で、今度は北側から南側の警備を双眼鏡で覗いてみると、ぐりぐりっとしたサングラスをした、いかつい国連軍兵士がのっそりと立ってるわけですよ。「あれが悪の枢軸米軍率いるUNですよ」と言われたら、まさにそうやって見えてしまう。北と南、それぞれの論理があるんだなってのを知れたのは、すごく良い経験になったと思う。

アシシ:まさに戦争っていうのは正義と悪の戦いではなくて、正義と正義の戦いなんだっていう結論にたどり着くよね。

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<2009年当時の平壌の街並み。移動中の車内から撮影>

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<平壌市内の交差点の一部は信号がなく、警官が手信号で交通整理をしていた>

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<世界最大規模のマスゲームイベント、アリラン祭にも足を運んだ>

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<ツアーの中で平壌の地下鉄にも乗車した>

▼北朝鮮訪問の経験は人生の財産

ヨモケン:こうやって振り返ると、キム1号2号との会話は本当に色んな示唆があったよね。

アシシ:俺が覚えてるのはキム1号に「朝鮮人にとってアメリカと南朝鮮と日本、嫌いな順に並べたらどうなるかわかります?」って聞かれて。

ヨモケン:また、何ともリアクションしづらい質問(笑)。

アシシ:さすがに「わかりません」って答えたけど、正解は「アメリカ>日本>南朝鮮」の順で嫌いなんですと。アメリカが悪の根源であって、それの味方をしている日本と南朝鮮が嫌いと。とはいえ、南朝鮮は同一民族で将来的には統一したいから日本の方が嫌いという形。その論理で考えたら、今のミサイル問題ってちょっと見えてくるものがあって、ミサイルの標的はあくまで悪の根源アメリカであって、辻褄が合う。かといって日本が安全ってわけでは決してないんだけど。

ヨモケン:北朝鮮現地に行ったからこそ知れた知識だよね。

アシシ:数年前にキューバがアメリカと仲直りして国交回復したじゃない?今やもう、独裁政権で四面楚歌の国って世界的に見ても、北朝鮮くらいしかない。そういったほぼ「鎖国状態」の国に足を踏み入れた経験って、何物にも替えられない人生の財産だと思うわけですよ。

ヨモケン:俺も北側の論理をじかに聞けたってのが大きいな。フラットに見てアメリカ側の論理が正しいと当然思うけど、彼らなりの論理、彼らがどういう教育を受けてそうなっているのか、の背景を知れたという意味では、非常に意義のある北朝鮮訪問だったと思う。

※後編:1年間でかかった経費は○百万円!? 「サッカーは世界を繋ぐ」を体現した世界一蹴の旅

※北朝鮮3泊4日の詳細レポートは当時のブログをご覧ください。