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J2・大分に”ダブル”。J2復帰を果たした”相馬ゼルビア”の原動力

2連勝とJ2・大分を凌駕した"相馬ゼルビア"の強さの原動力に町田の番記者・郡司聡氏が迫った。

Jリーグは、そのレギュラーシーズンを終えてポストシーズンに突入。最後の勝者になろうとしのぎを削っている。シーズンの命運を決する”最後の戦い”に焦点を当てたポストシーズンマッチレビュー。最終回はJ2・J3入れ替え戦を勝ち抜き、J2昇格を果たしたFC町田ゼルビアにフォーカス。2連勝とJ2・大分を凌駕した”相馬ゼルビア”の強さの原動力に町田の番記者・郡司聡氏が迫った。

▼勝負の入れ替え戦前。相馬監督の心境
 J2・21位大分トリニータとのJ2・J3入れ替え戦を前に、FC町田ゼルビアの相馬直樹監督はこんな言葉を漏らしていた。

 「チャレンジャーとして打ちのめされる怖さもある中での試合となる」

 対戦相手となる大分のメンバーを「正直21位になるような顔ぶれはない」と評したように、彼らのポテンシャルが最大限に発揮されれば、もしかしたら歯が立たないかもしれないーー。そんな恐怖心にも似た思いが指揮官にはあったという。

 ところがどうだろう。ホームでの第1戦こそセットプレーから先制点を許したものの、後半のシュート数を1本に抑えた上に、2-1での堂々たる逆転勝利。敵地に乗り込んだ第2戦では守護神・高原寿康が前半に相手のPKを止め、後半は鈴木孝司が挙げたPKによる虎の子の1点を自慢の堅守で守り切った。2戦合計3-1。堂々たる2連勝で、町田は2012年以来の復帰となる悲願のJ2昇格を勝ち取った。

 今季最高のパフォーマンスを披露し、チームが持ち得る現状の最大値を発揮して逆転勝ちした第1戦。そして、元日本代表FW高松大樹やブラジル人FWエヴァンドロを最前線に配し、前線から圧力をかけてきた大分の攻撃を封じるなど、リーグ最少失点の守備力が光った第2戦。「人生を懸けた戦い」(リ・ハンジェ)である入れ替え戦で、チームの総力を発揮できたことは決して偶然の産物ではない。

▼戦力の底上げに寄与した”天皇杯シリーズ”
 現役時代から”理論派”として知られていた相馬直樹監督率いる”相馬ゼルビア”のチームコンセプトは、最終ラインがハイラインを維持するコンパクトな陣形や、素早い攻守の切り替え、激しい球際の攻防など、オーソドックスなフレーズが並ぶ。そこに指揮官はシーズン当初から”一戦必勝”を掲げ、目先の一戦にすべてを懸けるチームスタンスを構築してきた。さらに強化を司る丸山竜平強化部長が「一つの方向を向いて戦ったときやチームとなって戦ったときにものすごい力になる」と話しているように、クラブの軸足は常に同じベクトルを向いたチーム力に据えられている。

 もともと、チーム全体の陣形をコンパクトに保ちながら、ボールサイドに人数をかけてボールを奪い、ボールを奪った次の瞬間から前へ出て行くショートカウンターを標榜するチームだけあって、チーム力は生命線。ディフェンスリーダーの深津康太は事あるごとに「ウチには良い仲間がいる」と触れているように、コレクティブなスタイルが相馬ゼルビアのストロングポイントである。

 もちろん、コレクティブなチームは一朝一夕にできたモノではない。攻撃の軸である鈴木崇文は言う。

 「天皇杯で勝ち進んだことが大きかったと思う。昨季はすぐに負けてしまったけど、普段リーグ戦ではあまり出場機会のない選手が結果を出して、チームの自信になったし、誰が出てもやれるとなったことは大きかったと思う」

 天皇杯予選にあたる東京都サッカートーナメントを含めれば、地域リーグから大学生、そしてJ1からJ3のカテゴリーのチームまで、”天皇杯シリーズ”は計7試合を戦った。さまざまなカテゴリーのチームと対戦し、負ければ終わりという緊迫感の中で戦力の底上げが成された。

 シーズン前のキャンプで負傷し、出遅れたFW戸島章は、天皇杯で試合経験を積み、シーズン終盤は鈴木孝司の相棒に定着。得点数こそ伸び悩んだが、最前線でボールを失わず、前線の起点となる役割を果たした上に、彼の成長がスピードと裏抜けに定評がある久木野聡を結果的に”ジョーカー”として起用できるように指揮官の用兵の幅を広げるなど、勝ち点奪取に貢献した。終盤戦は左右のSBの貴重なバックアッパーとして、穴を埋めた松下純土も、一連の天皇杯シリーズで自信を付けた一人である。

▼日常のJ3で鍛え上げたチーム力
 不変のチームのコンセプトの下で戦ってきた日常のJ3リーグでは、簡単な試合など一つもなかった。

 ときには働きながらサッカーを続ける対戦相手の選手たちの情熱に気圧される試合もあった。さらに今季は町田を「J3最強チーム」と最大限にリスペクトしてきた”策略家”であるブラウブリッツ秋田の間瀬秀一監督や、現有戦力とチーム状況を鑑みて、勝つための戦略を落とし込むことに長けたグルージャ盛岡の鳴尾直軌監督など、個性あふれる指揮官による”仕掛け”で苦戦を強いられた試合も少なくなかった。

 それでも、「僕たちはギリギリの試合を勝ってきた」(リ・ハンジェ)という自負が町田にはある。終わってみればシーズン4敗と、爆発力では優勝したレノファ山口に劣るものの、町田はJ3で最も安定感のあるチームだったし、なりふり構わぬJ3の猛者たちとのゲームで揉まれていく過程で、チームは右肩上がりに成長を続けていた。6連勝を含む7勝2分でリーグ戦をフィニッシュし、運命のラスト2試合もタフに1点差ゲームをモノにした結果が、その証左だろう。

 昇格を決めた入れ替え戦第2戦のあと、町田の指揮官はこう言った。

 「入れ替え戦を戦う立場になったものとして、今季、J3の舞台を一緒に戦う仲間や戦友たちの代表として、これだけできるというのを見せたかったという思いもあった。J3は生半可なリーグではないと思っているし、本当にいろいろな仕事を抱えてプレーをしている選手たちの思いをピッチでぶつけられたときに、ちょっとくらいうまいだけでは、無力化されてしまうことを昨季からたくさん経験してきた。そのゲームに対する思いや、サッカーに対する思いなど、本当にピッチ上で全員が同じ意識を持つことの大切さであることなど、いろいろなものをJ3の場で学ばせていただいたと思っている。それを最後、結果として見せることができたなと思うし、その厳しいリーグを戦ってきたからこそ、今日があったなと感じている。あらためてですが、ライバルたちにありがとうと感謝を述べたい」

 ハードワークを信条とする”相馬ゼルビア”が不変のチームコンセプトの下、ギリギリの攻防を積み重ねる中で、最後はタフに勝ち切るチームへと変貌を遂げた。積年の悲願であるJ2昇格を決めた入れ替え戦第2戦は、実に町田のトップチーム公式戦45試合目。指揮官は今季最後の試合を前に、「本当は43試合で終わるつもりだったんだけど、45試合になっちゃったからね」と茶目っ気たっぷりに話したが、結果的に町田の運命を決めた大分との2連戦は、J2クラブを相手に町田の”総合力”を誇示する場となった。

 初参戦となった2012年当時。クラブにとって、”夢の舞台”だったJ2への帰還ーー。町田は来季、初めてJ2クラブとの入れ替え戦を制したクラブとして、2度目の”夢舞台”に臨む。

郡司聡

茶髪の30代後半編集者・ライター。広告代理店、編集プロダクション、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』編集部勤務を経て、現在はフリーの編集者・ライターとして活動中。2015年3月、FC町田ゼルビアを中心としたWebマガジン『町田日和』(http://www.targma.jp/machida/)を立ち上げた。マイフェイバリットチームは、1995年から1996年途中までの”ベンゲル・グランパス”。