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東京から岐阜へ。同じ路を歩む後輩、野澤英之に贈る言葉~吉本一謙

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今回はFC東京を中心としたWEBマガジン「トーキョーワッショイ!プレミアム」からの記事になります。

【無料記事】東京から岐阜へ。同じ路を歩む後輩、野澤英之に贈る言葉~吉本一謙(2017/06/16)トーキョーワッショイ!プレミアム
2017年06月16日更新

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後輩の道のりを自身のキャリアに重ね合わせ、吉本は励ましの言葉を贈った。

J3は第4節と第6節で、併せて147分間の出場。ルヴァンカップはベンチだった第4節を除く5戦フル出場で1得点。J1の出場は開幕からしばらくのあいだ第5節の5分間+アディショナルタイムだけに留まっていたが、中断期間前の第14節vs.清水エスパルス戦に先発フル出場、完封勝利に貢献した。まちがいなく存在感が大きくなってきている。
それでも「レギュラーを獲ったなんて全然思っていない」と謙遜し、気を引き締めているのが吉本一謙という男だった。

「試合に出たときにいい結果を残すことが大事だと思う。常に自分としてもいい準備をしているつもりでしたけど、それがこのあいだ(vs.清水)はいいかたちで出た。一試合一試合取り組んでいくことが大事」

今シーズンのFC東京は、大型補強の目玉だった大久保嘉人自身が「選手の名前を見たら相手チームは畏れる」と断言するほどの陣容だけに、まずはポジションを争うグループに入ることが重要だという感覚は理解できる。

「レギュラーを獲ったなんて全然思っていない。すばらしい選手がたくさんいるから、どのポジションも競争がある。その競争のなかにいられないとだめだと思うので、いられるようにとは、どの立場でも意識してやってきたつもりです。たまたまこのあいだは結果が出てよかった」

いまはJ1でも先発して18人のメンバーにふさわしい価値を示しているが、アウエーのvs.ベガルタ仙台戦では、遠征メンバーに加わりながら試合当日にリストから外れ、スタンドで観戦。19人めの立場を味わう経験もした。

「もちろん悔しい思いを持って練習したときもあったし、メンバーに入れないときもすごく悔しい気持ちがあった。J3に行くときも、J1に出たい気持ちはあるし。そういういろいろな感情がわくなかでも、ひとつの芯だけはブレずにやってきた」

絶対に動かさない”芯”はふたつあるのだという。

「”チームのために”というのと、”自分のプレーをしっかり出す”というのと。どんな感情のなかでもそれは自分の人生に於いてはずっとやってきた。ブレずにやっていることがいまにつながっているし、これから先もつながっていく。しっかり練習や試合で示していければ、(スタッフは)それを平等に見てくれていると思う。19人めに選ばれることはすごく誇りになる。監督が最後まで迷っているということだと思うから、外れたときも自信を持って、胸を張って帰ってきていた」

トップチームがリーグ戦、カップ戦、U-23と三軍体制のように層をなしている今シーズン、吉本ほどその階層をまたいだ選手はほかにいない。

「いちばん(多くのカテゴリーに)おれが出てるでしょ(笑)、J1とJ3とルヴァンと。だからいろいろな選手の気持ちもわかるし、みんなの力が必要だと思う。J3の若手もチームの競争に入ってくることが大事だし、試合に出るひとは責任を持ってやらないといけない。(自分自身は)ずっとJ1に出たいですけど、でも、その試合毎に責任感を持ってやりたい。ルヴァンやJ3ではキャプテンもやって、身が引き締まる思い。誇りを持ってプレーできている」

そのように継続して自分のプレーを表現することが勝利につながり、勝って結果を残すことが試合に出つづけるために必要なことなのだと、吉本は言う。
まだJ3すらなかった2009年夏から2010年いっぱいまでの一年半、武者修行のようにFC岐阜へと期限付き移籍をしたときも、それは同じだった。

「まだ自分はサッカー人生がつづくと思ってますけど、いままでサッカーをつづけてきたなかで、振り返ると岐阜に移籍したときが自分の転換期というか、心のなかでほんとうにいろいろなことを考えた時期だった。そこで試合に出られなかったら、もうサッカー選手を辞めなきゃいけないと思っていたし、いろいろなことを考えた。そういう経験がいまにつながっている。あそこで岐阜に行っていなかったらいまはもうサッカーをやっていないかもしれない」

いくつもの思いを同時に抱えての移籍だった。それはひとくちには言い表せない。

「東京から移籍するときに、試合に出たいという気持ちももちろんありましたけど、悔しかったし、いまは要らないんだな(苦笑)という気持ちもありました。自分は東京で活躍したいということがいちばんで、それは忘れていなかったけれど、でも”出て行っていいよ”というのを見返してやろうという気持ちももちろんあったし、見返して”あのとき移籍させなきゃよかった”って思わせてやろうと思っていました。行っているときは」

岐阜で活躍したことで、東京へ復帰する路ができた。だから吉本には、ことし岐阜へと移籍した野澤英之の気持ちがよくわかる。ジュニアユースとユースの6年間を東京の下部組織で過ごし、トップに昇格したもののレギュラーの座を掴みきれず、期限付き移籍。ふたりとも、まったく同じコースを辿っている。

【無料記事/J2第5節】野澤英之、FC岐阜で初出場!(2017/03/25)
http://www.targma.jp/wasshoi/2017/03/25/post9787/

「ヒデ(野澤英之)とも話したんですけど、試合に出るか出ないかでこれから先の人生が決まるという状況でサッカーをやることは大事だと思う。岐阜で会ったときに、ヒデにそういう話もしました。『試合に出られないときは悔しいし、最初にけがをした時期は苦しい思いもした』『ほんとうにやばいと思って、死にものぐるいで練習してる』『最後に終わったときには絶対、どっちのチームからも求められて、ほかのチームからもオファーが来るなかで自分の選択肢があるのがいちばんいい』と。でも、そうなってもヒデには『おまえは東京に帰ってこなくちゃいけないし、東京で活躍しなきゃいけない選手だと思うから、帰ってきて活躍してほしい』と言いましたけど」

移籍した先でいろいろな経験をして、いろいろなひとに戦力として求められる状況になって帰ってこい、そのうえで、東京でレギュラーを獲るのがベストだとおれは思う――そういう言葉を、吉本は野澤に贈った。

「ヒデも『すごく充実している』って言っていた。そういう状況で『緊張感を持って取り組む経験もできているし、いまほんとうに試合に出なきゃいけないと思ってやっているから、すごくいい経験ができていると思う。大木(武)さんのサッカー観は練習していてもすごく勉強になる』と言っていたので。すごい活躍をして、岐阜のひとたちに愛されるのもヒデにとっては大事だと思う」

少年時代を過ごしたFC東京の下部組織と、プロ入り後に居場所となったFC岐阜、ふたつのクラブへの思いが重なり、より野澤を励ましたくなるのかもしれない。

「おれのあと(東京から)岐阜に行った選手がいなかった。ユースのかわいい後輩でもあるから(笑)、ヒデにはしっかり活躍してほしいし、岐阜のことももちろんヒデに強くしてほしい。やっぱり古巣で愛着があるから。岐阜で活躍して『あいつ、FC東京の下部組織出身の選手なんだ』と、ひとりでも多くのひとに言ってもらえるようになってほしい。東京で活躍するのがいちばんいいけど、もういまはほかのチームでいろいろなFC東京下部組織出身の選手が活躍していて、それはうれしいことなので。しっかり結果を出してほしい」

いっしょにプレーしたいか? と訊ねると、吉本は「そうですね。おれももうちょいがんばらないと」と笑みを浮かべた。そして三十路まであと一年というところまで来た自身を思い起こし、岐阜で過ごした日々が糧になっていることを実感してか、再び先輩らしい言葉を野澤に贈った。

「岐阜に行くということにも、人生をかけてそうとうな覚悟があっただろうし、いまもそうとうな覚悟を持ってやっていると思う。それがいちばん大事で、帰ってきたときや、30歳になったとき、現役をやめるときに『ああ、あのとき岐阜に行ってよかったな』と思えるような経験をしてほしいです」

東京に復帰して試合に出るくらいに成長しないと岐阜のファン、サポーターを喜ばせることはできず、また岐阜で認められるほどにならなければ東京に戻ってくることはできない。いつか再びピッチ上で会う日まで、野澤は岐阜で、吉本は東京で、プロサッカーの世界に挑みつづける。


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